第四章 記憶を無くした女の子

第20話 憶測で物を言うんじゃないよ

「おーい。……オーバット? どこに居るんだあ。それとも、ついに野垂のたんじまったのか ?」

 簡素も簡素。売り物以外はすべての要素をはいした殺風景な部屋に、少し間の抜けた、呑気のんきな男の声が響いた。

 それからしばらくドタバタと大きな音がしたあとで、おくとびらがガラリと いて、

「うるさいねえ、エーガス」と、中から寝間着ねまき姿の女が顔を出す。

「こっちは折角せっかく、あったか陽気ようきの中で、お昼寝ひるねしてたってのに。やかしだったらただじゃおかないよ。お前のくさいきがついた品物しなものは全部引き取ってもらうからね 

 人前に出てきたら、仕事 モードに切り替える、というわけではないらしい。商人としてはいささか……いや、人としてもあまりめられたものではない言動をり返す女の両手には未練みれんがましく布団ふとんはしにぎられていた。

「半分くさった食べ物を陳列ちんれつしている店の主人に言われたくないね」

と、男は言うが、女はひとつ大欠伸おおあくびをし、勘定台かんじょうだいすと、またすうすうと寝息ねいきを立て始め 

「おい、オーバット。おれは客だ。応対おうたいしてくれ」

「帰ってくれ。後生ごしょうだよ……あともう少し、寝かせておくれ」

 むにゃむにゃ眠る女を見つめる、客らしき男のひたいには、っすらとだが青筋あおすじかんでい 

「その言葉ことば本日ほんじつ二回目だぞ、オーバット。今度かぎりというから、昼前ひるまえおとずれた時は帰ってやったが……いつても寝てるな、お前ってやつは」

 男があきれたようにそう言うと、店主はようやくむくりと体を こす。

「あれ、それって昨日のことじゃなかったっけ? それとも一昨日おととい? あれ、あれ? そういえば、私。今日、カルロスさんの食事にばれる約束やくそくしてたんだっ 

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「その約束やくそく昨日きのうかぎりで反故ほごになったぞ。アーリーが、またオーバットのやつが約束やぶったってカンカンだった。結局けっきょく、お前の気持ちよさそうな寝顔ねがお見た後、かたを落として ってったけ 

 おそらくは不規則ふきそくな生活習慣のせいで、日付すらもあやうくなっていたのだろう。エーガスが思い返すように言うと、女は頭をきむしる。そのさいかみの毛から頭垢ふけらしきものがポロポロとこぼれ落ち、エーガスは少し体を引いた。

 店の商品しょうひんにコバエがいていても気がつかないところから、すでさっすることは出来るのだが、本当にこいつときたら、商人という仕事に最も向いていない。こんな接客せっきゃく収益しゅうえきを出していることは、この村の七不思議ななふしぎのひとつである。

「あーあ、いやだなあ。もうアーリーに顔向かおむけできないよ。そうだ、エーガス。あんた言っといてくれない、オーバットが反省はんせいしてたって」

「少しでもあやまる気持ちがあるなら、そう言いつつ、また寝ようとするのを止めろ。商品 、ただで持ってくぞ」

 男は、ゆめ現実げんじつしているオーバットにけると、あみのようなものを手に取り始めた。この店の網は十種類じゅっしゅるいほどあるようで、右から左へと、網目あみめあらいものからじゅんならんでいる。

 勘定台かんじょうだいかれた網を見て、寝惚ねぼまなこだったオーバットは思わずき出しかけ 

「何、これ。あんた、こんなのがしいのかい。ここの在庫ざいこ処分しょぶんき合うつもりなら、そこのくさりかけの果物くだものでも買っていってよ。もう食べれやしないけど、虫ならたくさんあつまってくるだろうし」

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 エーガスがえらんだのは、この店で一番網目あみめこまかい網だった。頭からかぶれば、いきが苦しくなるくらい、まれている。

ふくろならべつの物があるよ。あんた、川でどろさらいでもするつもりかい」

ちげえよ。でもオーバット、よく川で使つかうって分かったな。そこの小川おがわで魚でも引っけるつもりなんだけど。村の子ども連中が、一緒いっしょに魚ろうってうるさいんだよ」

 面倒めんどうなことにまれた、とでも言いたげなエーガスに、オーバットはニヤつきをかくせない様子ようすだった。真剣しんけんな手つきで網の素材そざいたしかめているエーガスを見る度にわらいがこみあげてくるようで、口に手を当て、必死ひっしこらえている。

「あんたが?  どもと?」

 ついに、口からクスリと笑いがこぼれ、馬鹿ばかにされていることに気づいたエーガスは、そっぽをいた。

「しょうがないだろ。たのみこまれたんだから。子どものころ、魚をどう捕ってたかなんて、わすれちまったんだ」

「左から三番目のにしな。小川の魚はちっこいから、四番目以降いこうのを買ってもすりけられちまう 

 網を見てはしきりに首をかしげるエーガスに、オーバットは片肘かたひじをついたまま助言を送る。エーガスはオーバットの言う通りに、一度手に取った網をたなもどし、三番目の網を っていった。

「あんがと。それじゃあ、もらっておく 

 勘定台かんじょうだいの上に出された数枚の緑色みどりいろ貨幣かへいは、その横に無造作むぞうさかれた小さなツボの中にほうり込まれる。中で貨幣同士どうしはぶつかり合い、甲高かんだかい音を立てた。

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「いい音。落ち着くよ。この音を聞くために、商人しょうにんやってると言っても過言かごんじゃないからね 

「何言ってやがる。それならもっとまともに接客せっきゃくしろ。同業者どうぎょうしゃが居ないからいいようなものの、そうでなかったらとっくにつぶれてるぞ」

 おだやかな表情ひょうじょうでツボをながめるオーバットに、エーガスは苦笑くしょうしながら言った。確かに、競争力の多い土地で店を出していたならば、オーバットは早々に廃業はいぎょうしているだろう。そのあたりは自覚しているようで、オーバットは自分のほおをぺしぺしとたたいて眠気ねむけを飛ばしながら、うんうんとうなずいた。

 エーガスの言う通り、この村で商店と言ったら、オーバットの雑貨屋ざっかやに他ならない。町には衣類いるいのみを取りあつかった店など、多くの専門店せんもんてんがそこかしこにあるらしいが、この村では商品はすべてひっくるめてオーバットが管理かんりしていた。

 いまひと女手おんなで一つで雑貨屋をりしているオーバットは、はたから見ると常日頃つねひごろぐうたらしているように見えるが、じつはそうではない。商品はすべて、半日はかかる小さなまちまで自分で出向でむいてお取りせ。一つ一つ、自分ので見てえらんでいく。る時間も多いが、村の中で一番外出がいしゅつが多いのもまた彼女かのじょだった。

 当然とうぜん、彼女の耳には他の村人よりも多くの情報じょうほうころがりんでくる。そのためオーバットの雑貨屋は、商店けん、村人たちの交流こうりゅうの場ともなっていたのだった。

 エーガスは、本当にあみを買いにただけだったのかもしれない。だが、いまにも店を出ようとしていた男は、ぎわの彼女の一言ひとことで、足を止めた。

「それで、エーガス。その子どもたちってのはだれなんだい。もしかして、村にあたらしく来たあの だったりするのかい?」

「すると、おれの前にも誰か来てたのか?」

「いいや、女のかんだよ」

 オーバットがそう言うと、エーガスはドアから手をはなし、ふたた勘定台かんじょうだいの方へとき直 

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「あんたが考えてることはすぐわかるよ。顔に出やすいたちなんだからね。まったく、 いたいことがあるなら、とっとと言えばいいのに」

おれだけじゃない。村中がその話題で持ち切りだ。かんでもなんでもないだろう」

 エーガスの言葉に、オーバットははぐらかすようにしてわらった。

「ああ、たしかに、そうかもしれないねえ。まあ、でも、なんで知っているかなんて、そんなことどうでもいいじゃない 。ともかくこっちにきて――ほら、すわりなよ。これでも飲みながら、ゆっくり噂話うわさばなしと行こうじゃない 

 こっちも、お客を立ちっぱなしにするのは心苦 しいから、とオーバットは心にもないセリフを言うと、勘定台かんじょうだいの上を指差す。それから身をかがめると、木製もくせいのコップを取り出した。男は、勘定台の上に座りみ、行儀悪く足をブラつかせる。コップには、みどりむらさきじったような毒々どくどくしい液体えきたいそそがれた。

「子どもたちが森でおそわれてから七日なのか。そろそろあの子も、村に馴染なじんできたんじゃないのか ?」

「そんなわけないだろ。相変あいかわらず無口むくち不気味ぶきみやつさ。ルーツも大概たいがいだが、しゃべらない奴はさらにたちが悪い」

 これを皮切かわきりに、エーガスは日々の愚痴ぐちを言い始める。日常的にちじょうてきな話題も時折ときおりあったが、やはり話の中心は、先日の森における魔獣まじゅうさわぎのことだった。

「あんたはきらいがはげしいからねえ。だからカルロスの旦那だんなしかかまってくれないようになるんだ 

「うるせえ。俺のこのみがどうこうの話じゃねえよ。普通ふつうに考えて、何もかもおかしいだろ。魔獣が出ないはずの森に、魔獣があらわれて、たまたま魔獣は全員を見逃みのがして、しかも子どもが森の中に落ちていただあ。だーれがそんなことしんじるって言うんだ」

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 エーガスは、ひたいしわせながら液体えきたいをあおった。飲み干すと、そのしかめっつらがますますひどくなってい 

おれが言いたいのは、誰かがうそをついてるってことさ。とりあえず、唯一ゆいいつ意識いしきうしなわなかったルーツは怪しい。あいつだけが起きているあいだに、何かあったにちがいない」

憶測おくそくものうんじゃないよ。推論すいろんほど危険きけんなものはないんだから」

 エーガスは、オーバットの方に液体をもどす。コップをかたむけた瞬間、オーバットも、エーガスと同じしぶ表情ひょうじょうになった。

村長そんちょうにも同じようなことを言われたよ。まあ、俺と村長の考え方がちがうのはいつものことだがな 

「いいかい。あんまり、詮索せんさくするんじゃないよ。あんたはいつだって、いちには人のことうたがうんだから……。でもまあ、あの子たちは心配だねえ。ルーツは最近さいきん、うちの店にもてないよ。どこで をしてるんだか」

「まあ、少し可哀かわいそうではあるけどな」

 オーバットは、いかりを四方八方しほうはっぽうらすエーガスの表情のすみっこにかげを見 

「また、野原の片隅かたすみにでもいるんじゃないかねえ」

 オーバットのその言葉ことば最後さいごに、エーガスは店を出て行った。オーバットも、布団ふとんをつかむと、おくの方へと引っんでいく。後には、エーガスがわすれたあみのこっているだけだっ 

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