第18話 根は優しい奴だ、彼は。

 魔獣まじゅうたしかにルーツの名前をんだ。

「リ、リカルドは、みんなは。ころしてない、ころ、殺さないでください」

 す? どこからそんな話が出たのです? 私はあなたに何もしていませんよ?」

 必死ひっしに、自分の顔先にびた手にすがりつくルーツに、魔獣はおどろいたように言っ 

 どの が……と思ったルーツだったが、よくよく考えてみれば、確かにこの魔獣は、ルーツたちに もしていないのかもしれない。

 足元で昏倒こんとうしているハバスの顔には、小さなきずこそあったものの、多量たりょう出血しゅっけつともなうような深い切り傷は見当たらなかった。ルーツが知らない魔法まほうか何かで、中から傷つけられている可能性かのうせいいとは言えないが、殺すだけならわざわざそんなまどろっこしいことをする必要ひつようはない。何より、殺すつもりならもうすでに、ルーツは細切こまぎれになっているはずだっ 

 しかしこの魔獣は、ルーツのの前でリカルドを昏倒こんとうさせている。とすると危害きがいくわえる意思いしまったくないというわけでもないらしい。いったい何が起こっているのか、ルーツにはさっぱり わからなかった。

「安心してください。この人たちは、あなたのおれさんなのでしょう? 少し気をうしなってもらっただけです。すみません、大声を出されるとこまるので。ですがけっして、傷痕きずあと後々あとあとまでのこるような手荒てあら真似まねはしていません」

 そう言うと、魔獣は一瞬いっしゅん、倒れているリカルドの安全を確認するように目を る。

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「ああ、そこの木を破壊はかいしたことをおこってらっしゃるのでしたら、このとおり。あやまります。その点にかんしては完全にこちらの不手際ふてぎわですから。ほんの少しだけ力の加減かげん間違まちがえまして……あっ、でもちゃんとお仲間なかまさんは無事ぶじですよ! 村の人たちが助けにるころには何事もかったかのように起き上がることもできるでしょうし、明日になればきずもほとんどえていると思います」

 魔獣まじゅう言葉ことばが通じること自体にも意表いひょうかれたルーツだったが、それとはべつのことも、さらなる気の動転どうてんを引き起こす要因よういんとなっていた。

 道具を通じて聞いた声とまったちがう。いま、目の前にいる魔獣は、ルーツにやさしく語りかけてきていた。長い年月を思わせることにわりはないが、道具を通じて聞いたのが古い大木たいぼくのようだったのに対し、いまの声は深いみずうみそこからひびく音を想起そうきさせる。ルーツがべつの魔獣なのかと、疑心暗鬼ぎしんあんきになったのも無理むりはなかった。

だれ? 何を、なんで、どこから?」

 聞きたいことがあまりにも多すぎてからまり合い、結果けっかとして言葉ことばわすれてしまったかのような簡素かんそ文句もんくが口かられる。しかし魔獣は、またルーツに語りかけるようにしながら、その言葉を両断りょうだんした。

「そんなことを っても何もいいことはありません」

 そう われてしまえば、他に聞くことはなかった。聞いたところで、何もできない。この魔獣の手にルーツの運命うんめいは……いや、カルロスさんたちの運命もゆだねられてい なぶころすもし、目の前で食べるのも良し、情報じょうほうをいくらあつめたところでルーツには何もできない。いま、ルーツが生きていること自体、魔獣まじゅうの気まぐれのようなものなのだか 

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「どうして、ぼくの名前 を……」

 その後の言葉ことばつづかなかった。

魔物まものは、相手あいてを見ただけで名前が分かると言ったらしんじますか? しかし、その確証かくしょうはありません。私が何を言おうと、あなたにはたしかめるすべがない。つまり、あなたのいに対する私の言葉は意味いみしません」

 魔獣はゆっくりと、ルーツの後ろに回った。ルーツよりろく七倍しちばい巨大きょだいな成りをして、足音が少しも聞こえないのは意外いがいだった。

 ルーツの首だけが、魔獣 を追いかけるように回る。すぐに首から下も首を追いかけたが、それはルーツの首筋くびすじいたみをのこ結果けっかとなった。

「あなたが魔物の言葉をかいせると、仲間なかまから聞きました。それも、もっと信頼しんらいける仲間 から」

 魔獣はそう言うが、ルーツは他の魔獣と出会った記憶きおくなんて持ち合わせていない。

 仲間? たしかにいまぼくは、このものと会話できているけれども……ぼくができるなら、それは他のみんなにも えることじゃないだろうか。

 思いもよらない言葉を処理しょりしきれなくなったルーツののう悲鳴ひめいをあげる中、魔獣は混乱こんらんするルーツをりにしたまま話をすすめた。

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たしかに、本来ほんらいだれしも、魔物まものと話をすることは出来ます。生まれたばかりのあかぼうなら全員ぜんいん例外れいがいなく可能かのうでしょう。ですが、成長せいちょうするにしたがって、私たちの言葉ことばかいせない人は多くなります。大人は言うまでもなく、あなたくらいの年ごろでも、もうかべを作ってしまっている。……あの子は駄目だめでした」

 あの子、と言うのがだれなのか。魔獣まじゅうの目線の先を追うと、そこにはリカルドがたおれてい 

他者たしゃ理解りかいしようとつとめ、みずからをゆだね、信頼しんらいする心をわすれた時、人々の耳は私たちの声を聞き取ることが出来なくなります。姿形すがたかたちちがっても、相手あいてを理解したいという気持ちがほんのちょっぴりでものこっているなら、私たちの言葉はとどくはずなのです ……。あなたに残っていてよかった。以前 とは違い、最近は聞き取れない人がほとんどだから。とくに私のような見た目だと、みんな、出会っただけで心をざしてしまう」

「いや、僕、魔獣になんか会ったことなくて、本当にこれは何かの間違まちがいで……」

 温和おんわ雰囲気ふんいきくずれてしまわぬよう、おそる恐るルーツは言うが、魔獣は て分かっているとでも言いたげに、もっともらしくうなずいた 

「私の仲間なかまは、かれは何も知らないと言っていましたが、それは正しいようですね。ますます間違 いないです」

「でも、僕。魔法まほう使つかえない、ただの人間にんげんで……」

 それでも必死ひっしに魔獣の言葉を否定していると、魔獣は、あなたの話を聞いていると、助かりたいと思っているのか、 かりたくないのかわからなくなってきます、と可笑おかかたをすくめる。

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「そう卑屈ひくつになりなさんな。私の仲間なかまは言っていましたよ。ルーツは弱虫で、責任感せきにんかんいし、意気地いくじなしで、体力も知能ちのう並外なみはずれたものを持っているわけではない。めるべき点をさがすのにも苦労くろうするし、人付ひとづいが苦手なのか、友だちもいない。まもたてとしてやとうつもりなら、世界中せかいじゅうだれよりもおすすめしない。だけど――、話し相手 としてなら、複雑ふくざつ境遇きょうぐうかかえた子にとって、これ以上最適さいてきやつはいないだろう。やさしい奴だ、かれは。ってね」

 そんな奴は知らない。素直すなおにそう思った。話の前半はたしかに一致いっちしていると言ってもいい。非常ひじょう不愉快ふゆかいだが。だが、後半は? 根は優しい? ルーツはだれからもそんなことを われたことがなかった。

「私はどうやら追われているようでして。何も悪いことはしていないのですが。まったく、物騒ぶっそうな世の中になったものです」

 その言葉ことばに、ルーツは先ほどの出来事を思い出した。ルーツも魔獣まじゅうがまだ何もしていないにもかかわらず、ころされると勘違かんちがいし、大騒おおさわぎした。この魔獣は無実むじつつみで、魔法を使つかえる人たちに追われているのだろうか。

ちがいます。人ではありません。もっとおそろしいものです。言うなれば、同族どうぞく……と言ったところでしょうか。もっとも、彼らは私のことも見下みくだしているようですが」

 魔獣は、ルーツの考えなんて、すべてお見通みとおしであるかのように答えた。

あずかってほしいものがあるのです」

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