第16話 助けに行こうよ

「リカルド、 こう」

 ふるえるひざを何とかさえつけ、むねを何度もなでおろすと、ルーツはリカルドにかって話しかけた。濁音だくおんじりでちゃんと聞こえたかはさだかではないが、ともかくリカルドは、森のおくを見つめるのをめてかえる。

「そうだな、早く村の大人たちにこのことをしらせないと……」

 ルーツのようにいてはいないものの、リカルドの声には深いかなしみの色が見てとれた。けっしてルーツの方を見ようとはせず、しぼり出すように言葉ことばつむいでいる。

「早く帰らないと、おれたちまでんじまうかもしれないもんな。ルーツ、今回ばかりはたしかにお前の判断はんだんが正しいよ、ここでただすわっていても仕方ない。心配かけて悪かっ 

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 ルーツには、リカルドが懸命けんめいなみだこらえているように見えた。立ち上がるさいも、いずれ出てくる嗚咽おえつおさえるためなのか、左手で口をおおったままである。憔悴しょうすいしきった表情ひょうじょうのまま、村の方にヨロヨロと歩き出そうとするリカルドは、ルーツがいままで見たものの中で一番たよりないものだった。

 そんなリカルドの手を、気がつけばルーツは、リカルドよりも頼りないき顔でつかんでい 

 けに行こう、リカルド」

 リカルドは目をかっぴろげて、ルーツの顔を見た。リカルドにとってその提案ていあんは、一緒いっしょ心中しんじゅうしようと言われているのと同義どうぎだったが、リカルドの顔からは、あきれよりもおどろききが見てとれた。

 ルーツ をじっと見つめたまま目をそらさない。まるで自分の前に立っているのが本当にルーツなのか、たしかめているようだった。

「いまならに合うかもしれない。助けに行こうよ、リカルド」

 ルーツはあいわらず、なみだ鼻水はなみず一緒いっしょくたにさせながら言った。ひざはガクガク、掴んだリカルドの手のひらにまでふるえがつたわっていく。

 ルーツは少しだれかからされればんでしまいそうだったが、それでも目だけはリカルドの方を つめていた。

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「ルーツ。さっきとうさんが言ったこと、聞いてただろ。おれたちは、一刻いっこくでも早く帰って、村の人にこのことを知らせなくちゃならないんだ。西の森に魔獣まじゅうが出たって。五人の子どもと父さんがまだ森にいるって。でも、でも……。父さんはんじゃったから村のまもりに人手ひとでを回して大丈夫だいじょうぶですって!」

「リカルド! そんなこと、うそでも言うなあ! んだなんて言ったら本当にんじゃうかもしれないだ !」

 いつのにかリカルドも、目をらしていた。ルーツも手のこうで、目頭めがしらをグリグリとぬぐう。

「魔獣におそわれて、無事ぶじでいられるわけないだろ。それともなんだ、ルーツは魔獣のおそろしさも知らないのか? このまま二人で行っても死ぬだけさ。魔獣 が父さんたちを見逃みのがしている確率かくりつけるしかない」

「でも、このままほうっておいたら、魔獣がころさなくても、けものに食べられちゃうよ。リカルドが行かないって言うなら、ぼくは一人でも行く」

 ルーツは、砂塵さじんの方に向かって歩き始めた。しずまりかえった森に、ルーツが草をむ音だけがひびく。ルーツは音を立てぬように歩くことなどできない。その音がものにも、そして森のどこかにひそむ獣たちにも聞こえていることは明らかだった。


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 かたふるわせて何かを考え込んでいるリカルドの耳に、周囲しゅういの草むらの中を動くべつの生き物の音がんでくる。一瞬いっしゅん警戒心けいかいしんめぐらせたリカルドだったが、その音はリカルドの横をあっというとおぎ、ルーツを追従ついじゅうしていった。

 リカルドがルーツを追いかけるか、追いかけまいかまよっているあいだに、一匹いっぴき、また一匹と小型こがたけものくらいの音源おんげん道脇みちわきしげみを走りけていく。だが、音たちはルーツにおそいかかるわけでもなく、ルーツに足音を気取けどられないくらいの、微妙びみょう距離きょりたもってい 

 もしかすると、この獣たちは、ルーツが魔獣まじゅうなぶごろしにされるのを察知さっちし、そのおこぼれにあずかろうと集まってきたのでは――。 に住む生き物たちの不自然な挙動きょどうに、リカルドはとある悲惨ひさんな未来を想像する。その途端とたん

「待て、ルーツ。おれも行く!」

 頭で考えるより先に、魔獣に聞かれるという危険きけんわすれて、リカルドは咄嗟とっささけんでいた。これで魔獣にも、二人の どもがまだ森の中にいるということがはっきり分かったはずであ 

 もうげられない。とめどなくこみ上げてくる恐怖きょうふを、リカルドは奥歯おくばみしめながらこらえた。

「獣一匹たおせないお前じゃどうにもならないだろうからな、俺も手伝てつだってやるよ」

 ルーツのとなりまでひとっぱしりすると、歩調を合わせ、並んで歩き出す。砂煙すなけむりの前にまでせまってい 


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 遠くで見ていた時は、砂煙すなけむり空気中くうきちゅう黄土おうど色の煙をき出しつづけていたのに、煙の中に入ると、それは白いもやのようだった。こんなに塵状ちりじょうに砂がっているというのに、不思議ふしぎなことに、目の中に砂はんでこない。口の中も湿しめったままだった。

 ルーツの視界しかいも軽い靄がかかったようで、遠くを見ることが出来なかったが、それでも前方にひらけた空間があるのははっきりと分かる。

 靄に入った時から聞こえているミシミシといういやな音に気を取られながら横を見ると、他の木々にもたれかかるようにしてえる細木ほそぎ様子ようすが目に入った。人間で言うと、ほね皮膚ひふやぶった感じだろうか。中の繊維せんいが見えてしまっている。木々は薄皮うすかわ一枚でなんとかつながっているだけにぎず、れることはまぬがれなさそうだった。

 この木々の惨状さんじょうも、先ほどの大きな音のせいなのだろうか。とすると、ここら一帯いったいにはすさまじい爆風ばくふういたことになる。

 ルーツは一瞬いっしゅん、近くにいたであろうハバスたちのことを思いかべたが、頭をって考えをばした。すすむにつれて、木々の様子ようすさらひどいものになっていく。その中心に、原因げんいんがいることは明らかだった。

 最初さいしょに、異変いへんに気がついたのはリカルドだった。まだ何も気がついていないルーツを手でせいし、前にすすむのを止めさせる。

 かが、近くにいる」

―――――――――105 ―――――――――

 ささやくようなリカルドの声に、ルーツはまわりを見渡みわたした。いや、見渡そうとした。先ほどまでたしかにそこにあったはずの木々が、雲海うんかいの中にいるようにみるみる見えなくなっていく。すぐとなりにいるリカルドの顔にももやがかかり、次第しだい白煙はくえんの中へと消えていっ 

リカルド 、そこにいるよね」

  はどんどん濃くなっていく。そしてリカルドの顔がすっかり靄の中にかくれてしまったころ、二人の予想よそう裏腹うらはらに靄は唐突とうとつれた。

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