第三章 魔獣

第15話 現実を直視できない間抜け

 道具は、ただ耳をふさいでいるだけの異物いぶつになってしまった。

 リカルドは、もう何の音もはっしない道具を耳から取り外すと、体をささえている大切な何かをうしなったかのように、こしから地面にくずれ落ちた。先ほどまで力強ちからづよかった目はすっかり生気せいきを失い、ただ遠くの方を見つめている。

 通信つうしん途切とぎれたことは、ルーツたちにとって絶望ぜつぼうすべき事実じじつでもあったが、同時に希望きぼうでもあった。ノイズや悲鳴ひめいとともに通信が切れたならば、わずかな希望ものこってはいないだろうが、このぶんだと道具はこわされたわけではない。危険きけんせまったことを感じ、カルロスさんが一方的いっぽうてきに通信を切ったのだ。

 たしかに、声が道具をつうじて聞こえたということは、魔獣まじゅうは近くにいるのだろうが、いまの時点じてんではだれかがおそわれていると確定かくていしたわけではない。全員がげおおせた可能性かのうせいもある。

 ルーツがそう自分に言い聞かそうとした瞬間しゅんかん、リカルドが見つめている先から、おびただしい数の鳥がけにび立った。空をくすとまではいかないが、どこにかくれていたのか不思議ふしぎになるくらいの鳥たちが、まるでおそろしい何かから少しでも早く げ出したいと言っているかのように、一団いちだんとなってルーツたちの頭の上を通りぎていく。

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 それとともに、聞こえてきたのは、地面がらぐような大きな音。背高せいたかの木々よりも高い砂埃すなぼこりが立ちのぼり、ルーツたちは、いやおうなしにもそこにものがいることを再認識さいにんしきさせられ 

返事 しろ、返事してくれ」

 焦点しょうてんの合わない目をしたまま、リカルドはふたたび道具を耳に当て、何かしゃべっている。だが、そのびかけに答えてくれる者はだれもいなかった。

 通信をこうから切ったカルロスさんたちはもちろんのこと、ライラプスを誘導ゆうどうしていった双子ふたごすらも、なんの返事もこさない。懸命けんめいげていて返事をするひまさえないのか、それとも道具を混乱こんらんの中で落としてしまったのか。

 大きな音は一度したっきりで、あとは不気味ぶきみなほどしずまりかえっている。双子も無事ぶじだとしんじたいが、森の落ち着きようは、まるで子どもたちの早すぎるいたんでいるようだっ 

 ルーツはあんなに小さなけものすら上手うまたおすことが出来なかったのに――。正面に見えるのは、ライラプスのびかかりとはくらべ物にならないくらいの大きな砂埃。木々をえる大きさの砂埃を起こす生き物なんて、相手あいてに出来るわけがな 。虫けらみたいにみつぶされて、地面のみになるのがせきの山。

 常識じょうしきらし合わせればそう思うのが普通ふつうだろう。リカルドが無力感むりょくかんさいなまれた目で放心状態ほうしんじょうたいおちいっているのも、現状げんじょうをよく理解りかいしているからこそだった。どれだけ考えても、目の前の現実げんじつ打破だはする手段しゅだんが見つからないから絶望ぜつぼうしているのである。

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 そう考えると、へんな話だが、取りみだすリカルドの方が、ルーツより冷静れいせいだったのかもしれない。ルーツはリカルドとちがい、現状げんじょうけ入れることが出来ていなかった。表面的ひょうめんてきには何とか平静へいせいさをたもとうとこころみてはいるものの、頭の中はぐちゃぐちゃで、ろくに を考えることすらままならない。

 昨日きのうまで一緒いっしょあそんでいたエマが、カレンが、ハバスが、そしてカルロスさんが、気がつけば生命いのち危機ききにさらされている。その現実げんじつたしかにあるはずなのに、事実じじつをありのままに け止められない。

 軽い気持ちでりに行こうって約束やくそくをした。こんなことになるなんて思ってもみなかった。十二さいになるまで森に行ってはいけないという村長そんちょうの言いけをやぶったから、こうなってしまったのだろうか。いま、みんなにかけているのはぼくのせいなんだろう 

 あついものが目にまっていくのを感じる。いている場合ではないと思いながらも、ルーツはあふれてくるなみだこらえることが出来なかった。

 サーズとわかれて、ハバスに出会って、確かにエマとカレンは、ぼくじゃなくてハバスとなかがいいだけなのかもしれないけれど、ルーツにとってようやくできた友だち。そんな友だちが危機ききおちいっている。カルロスさんは無事ぶじおくとどけると言っていたけれど、あんな砂埃すなぼこりを見れば、一筋縄ひとすじなわでいかないことくらいルーツにもわかる。

 おそろしい魔獣まじゅうに、魔法まほうの力を微塵みじんも持たない人間にんげんが勝てるわけがない。姿形すがたかたちも知らないのに、魔獣の前に立つことを考えただけで足がふるえる。

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 魔獣まじゅう対面たいめんしているのが知らない人だったら、いや村の人であってもただの顔見知かおみしりだったとしたら、ルーツはぐ家に帰っていただろう。そして村の人に助けをもとめて、後は毛布もうふにくるまって、耳をふさいで、無事ぶじねがうだけだったにちがいない。

 いのち危機ききという時に、正義面せいぎづらなんかかぶっていられない。ルーツはいつでも弱者じゃくしゃの一人で、正義に助けてもらうがわ無力むりょくな子ども。恐怖きょうふけてげ帰ったところで、きっとだれかが自分より素晴すばらしい手助てだすけをしてくれる。

 危険きけんに出くわしたら逃げ出せばいい。自分のことだけ考えて逃げればいい。そもそも自己管理じこかんりすらままならないやつに、誰かを助けることなんて出来るはずもないんだ。ルーツはいままで、そう思ってきた。だが、いま、思いかべただけでこしかしそうな魔獣と対面しているのは、ルーツの友だちだっ 

 リカルドは放心状態ほうしんじょうたい双子ふたごは戻ってこない。村から助けがるのもいつになるかわからない。異変いへんに気づいた大人たちがけつけるころにはほねまでしゃぶりつくされているかもしれな 

 もちろん、ルーツが行っても事態じたいは何も好転こうてんしない。自殺じさつをしに行くようなものだ。だが、いま行かなければ、万が一も奇跡きせきしんじてみ出さなければ、もしかしなくてもハバスには二度と会うことが出来 なくなってしまう。

 いまだに、砂埃すなぼこりが消えずにのこっていたのが決め手だった。ハバスたちがる場所は分かっている。砂埃に向けて一直線にぱしれば、途中とちゅうで他のけものに出くわして、文字通もじどお犬死いぬじにをむかえる確率かくりつはそう多くはない。

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 げおおせているならば、なんらかの返事を、道具をかいしてするだろう。ならば考えられるのは、身動みうごきがとれない状態じょうたいであるか、それともすでんでいるか。後者こうしゃであれば、わざわざ死ぬために魔獣まじゅうの元まで出向でむいていくことになるが、ルーツは後者の可能性かのうせいを頭からそぎ落としていた。

 ――現実げんじつ直視ちょくしできない間抜まぬけ。勇気ゆうき無謀むぼうをはきちがえた大馬鹿者おおばかもの。何を考えているんだ、見捨みすてて帰れ

 頭の中では、そんな言葉ことばめぐっている。だが、自分が馬鹿なことはとうの昔に分かっていた。手のとどく場所で友だちが助けをもとめている。いま、その友だちを見捨みすてたら一生後悔こうかいするような気がする。

 ルーツはなみだで、顔をぐしょぐしょにしながら立ち上がった。


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