第13話 無知は罪

「あのさ、やっぱりクシーヴ は……」

しずかにしてろ!」

 ルーツの細々ほそぼそとした声に、双子ふたごの小さいが、強い声がかぶさった。もう片方ときたら、こぶしかためて、今にもルーツをなぐばしそうだ。ルーツはそのわりように狼狽ろうばいし、口をつぐんだ。

 リカルドは首のあたりに手を当て、目をつむり、音の出所でどころさがしている。

 暗い森の中では視覚しかくよりも聴覚ちょうかくたよりだ。一見いっけん何もわったところがいように感じる森の中で、狩人かりうどこすう音をかいくぐり、けものが出す、わずかな音を探し当てなくてはならない。そんな に近くで大きな声を出されては、たまったものではない。 の足音を聞き逃すどころか、一方的いっぽうてきに気づかれて、しのられ、不意打ふいうちされてしまうことだってあ 

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 リカルドは目をつむったまま、北西ほくせいの方角を指した。双子ふたご指示しじされた方向ほうこうかって弓をかまえる。矢は弓の右側みぎがわ、口ほどの高さで固定こていされ、右耳にれるかれないかぐらいの位置いち矢羽やばねは軽くままれている。

 けもの姿すがたいまだ見えない。だが、双子は獣の位置をさがしているというよりも、もうすでに、獣を射抜いぬくタイミングを見計みはからっているようだった。

 リカルドは一度目を開け、双子が配置はいちについたことを確認かくにんすると、今度こんどは地面に右耳を着け、大地から音をひろい始める。

「かなり近い。距離きょりにして五十メートル弱ってところか」

 突然とつぜん、ルーツの耳に、リカルドの声がんできた。耳にはめた道具によるものである。知ってはいたが、 くにいる人の声が近くから聞こえるというれない体験たいけんに、ルーツは少し戸惑とまどった。

「ちっ、足音じゃどの獣かわからん。とうさんだったら判別はんべつできるんだが」

 それにしても、この道具はどのくらいの音を拾ってくれるのだろう。普通ふつうにしていれば、リカルドは耳を地面にけているだけのように見える。何かをしゃべっていることすらわからな 。カルロスさんは否定ひていしたが、ルーツはハバスが言った『卑怯ひきょう』というが、この道具 には一番ふさわしいような気がした。

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「あと、三十メートル。こっちにかってきてる。さっきの声が聞こえたか」

 リカルドは右手を少しげると、バネの要領ようりょうで、右手だけを支えにしてね上がるように起き上がった。けものもリカルドと同じように、地面の音を聞いている。リカルドにとって、身動みうごきを極力きょくりょく少なくし、獣に情報じょうほうあたえないというのは至極しごく当然とうぜんのことだっ 

「そろそろ 

 その声とともに、双子ふたごの矢がはなたれる。しげみをっ切るようにして消えた矢は、一瞬いっしゅんのちに、森の静寂せいじゃくやぶ轟音ごうおんとともにあらわれた。

「フグゴオオオ 

 人間の鼻息はないきをさらにひどくしたような声。あえて言うならば、鼻づまりの時に無理むりやり鼻をかんだような感じだろうか。低い地鳴じなりのような音が、体をやぶるような強さでルーツにおそいかかってくる。

 昆虫こんちゅう寄生きせいされたみたいに、疣状いぼじょうに大きく変形へんけいした鼻がよく目立つ。二本の矢は、片方かたほうが右目の少し下、もう片方が左の目尻めじりに突きさり、二本のなみだとなってしたたり落ちている。獣は自分を射抜いぬいた者をさがしているようだった。

 全員に無差別むさべつに襲いかかってこればいいのに、獣はその場にとどまり、あたりを見渡みわたしている。双子はとっくにルーツとリカルドより後方まで下がり、もうすでつぎの矢をつがえていた。

―――――――――083 ―――――――――

「ライラプスか、厄介やっかいだな」

 リカルドが小さな声でつぶやく。その声が、ルーツの耳の中で大きく反響はんきょうすると同時に、情勢じょうせいは大きく動いた。

 顔がととのった方の双子ふたごによってふたたはなたれた矢は、確実かくじつにライラプスの脳天のうてんとらえたように見えた。だがけものは、ルーツの想像そうぞうよりも敏捷びんしょうに動いた。矢がライラプスに到達とうたつするよりも早く、前進ぜんしんしかできないように見える獣の体がしげみの中にかくれる。それと同時に、ぺちゃり顔の双子によって放たれた矢が茂みにんだ。まるで、その位置いちに獣が動くことを予知よちしていたように、連携れんけいが取れている。が、今度は、獣は雄叫おたけびをあげることはなかった。ルーツたち以外いがいだれもこの森にいないかのように、あたりはひっそりとしずまりかえっている。

 そのあいだ人形にんぎょうのように棒立ぼうだちをしていたルーツは、なるべくいきころそうとつとめながら、右腰みぎこしに取りけてある矢筒やづつへと手をばした。

 カタン 

 矢羽やばねの部分をなかなかつかむことが出来ず、あせった結果けっか、矢筒につめいきおいよくあたり小さな音を立てる。リカルドは迷惑めいわくそうにルーツの方を一瞥いちべつしたが、茂みの中にいるはずの獣は相変あいかわらず動きを見せなかった。

 やっとのことで矢をつかむと弓をしならせる。手袋てぶくろをしているはずなのに、弓を引きしぼった状態じょうたいたもっていると、ルーツの右手にはピリピリとしたいたみが走った。

―――――――――084 ―――――――――

 呼吸こきゅうをするたびに、矢の先端せんたんが数センチメートルほど、上下動じょうげどうしていることに気づき、ルーツは懸命けんめいに心を落ち着かせる。長い呼吸に切りえると、不安定ふあんてい姿勢しせいは多少安定 した。

 正面しょうめんしげみからは十数メートルほどの距離きょりがある。初動音しょどうおんを聞きのがさなければ、十分じゅうぶん対処たいしょできる。ルーツはそう自分に言い聞かせることで心の安定をたもっていた。

 以前いぜん、ハバスは、人はたたかいの場に出ると沸騰ふっとうしそうなくらい高揚こうようすると言っていたが、全然ぜんぜんそんなことはない。たのんでれてきてもらったくせに、ルーツの心の中は早く終わってほしいというねがいであふれていた。


 けものが茂みの中に消えてから、そしてルーツが弓をつがえてからしばしの時がった。かみぎわから、生暖なまあたたかいあせがしたたり落ちてくるのを感じる。あの中に手負ておいのライラプスはかならかくれているはずなのに、しばし姿すがたを見せないだけで本当はいないのでは? と疑心暗鬼ぎしんあんきになってくるから不思議ふしぎだ。

 ルーツは早くもそう思い始めていた。緊張状態きんちょうじょうたいえられず、こしを少し落とすと、矢先もむねのあたりまで下げ、休息きゅうそくを取ろうとする。

 その一瞬いっしゅん命取いのちとりだった。

―――――――――085 ―――――――――

「ルーツ、 だ!」

 気がついた時には、間合まあいにはいられていた。完全かんぜん意識いしきを落としていたわけではない。むしろ、平常時へいじょうじの数倍はあたりを気にしていたはずだった。しかし、ライラプスはルーツの警戒けいかいを、いとも簡単かんたんやぶった。

 ルーツが弓をかまえる時、顔は正面しょうめんをまっすぐ見つめる。前方からてきが出てくるのを警戒しているのだから当然とうぜんだ。左手で弓を持っている以上いじょう身体からだがぶれる事も考えて、弓の左側ひだりがわ架空かくうまとき、右目でねらいをつけなければ、当たる物も当たらなくな 

 その点で、ルーツは基本きほん忠実ちゅうじつであったともいえる。だが今回は、矢筋やすじへの意識いしき明暗めいあんを分けた。

 正面をいた時、左側は視界しかいはしにはうつむ。たとえ、視界の端からけものおそってきたとしても、見えているのならばその攻撃こうげき意識いしきしてかわすことが出来る。不運ふうんかさなり、攻撃をらったとしても、被害ひがい最小限さいしょうげんおさめることができるだろう。

 しかし、右側はどうだ。矢をるべく右目で的をとらえたさい、右側には少なからず死角しかくが生まれる。真後まうしろと同じ、見えない領域りょういき。音や、気配けはい。視覚以外の何かで対処たいしょしなければならない不可視ふかしの領域がどうしても生まれてしまうのだ。わずかな音をつねに意識していなければ、暗闇くらやみから突然とつぜん襲われるようなもの。

―――――――――086 ―――――――――

 ルーツが油断ゆだんした一瞬いっしゅんいて、その暗闇くらやみからライラプスはかってきた。いや、向かってきたというのは不正確ふせいかくかもしれない。正確には、んできた。

 声にしたがい、すぐさま右を向いたルーツだったが、その目は、ライラプスの体全体をとらえることは出来なかった。かろうじて目に入ってきたのは、びきったけものうしあしのみ。

 ライラプスは正面しょうめんから突進とっしんするのではなく、気取けどられるのを覚悟かくごでひっそりとわきに回り込み、一番近いしげみから直接ちょくせつんできたのだ。ゆうに三メートルをえる跳躍距離ちょうやくきょり。自分の体の約三倍にもたっする大ジャンプだった。

 おどろいたのは、りつめていた気をゆるめたばかりのルーツである。むねのあたりまで落としていた矢先を、ライラプスの鼻先 に向け、獣の動きを止めようとする。

 だが、その驚きのせいか。それとも元々のつたな腕前うでまえのせいか、ルーツのはなった矢は動くまとを大きく外れ、はるか上空へとんでいった。そしてその上空からは、ルーツめがけて、ライラプスが飛びおりりてくる。

 ――左にけろ!

 そうさけんだのは、リカルドだったか、それともルーツの心の中の声だったか。自分が放った矢が上空に えていくのを見つめながら、ルーツは体をよじり、何とか少しでも、上からせまるライラプスからのがれられるようにたおれ込んだ。

―――――――――087 ―――――――――

 左肩ひだりかた全体重ぜんたいじゅうがのしかかり、ひたい苦悶くもん表情ひょうじょうかぶ。かたをかばって右手一本で起き上がろうとするルーツのすぐとなりに、鼻息はないき荒立あらだたせたライラプスは落ちてき 

 着地とともに発生はっせいしたわずかなすなぼこりが、ルーツのや鼻、のどに入りみ、目の前にてきがいることもわすれてルーツはせき込み始める。

 やってんだ、ルーツ! ちっ、こっちだ。ゲテモノ!」

 足元にみつぶされているはずの人間がいないことに疑問ぎもんおぼえたかのように、地面を何度もひづめ確認かくにんするライラプスに、リカルドが矢をびせかける。矢は外れ、ライラプスの足元にさったが、結果けっかとしてけものの眼はルーツかられ、まだ立ち上がれないルーツは双子ふたごのどちらかにすくい出された。

「おら、今度はこっちだ。これでもらえ」

「もういい、後は目的もくてきの場所までれていけ。うまく誘導ゆうどうしろよ」

「はーい、わかりやした ー」

 すぐ近くに感じていた熱気ねっきがなくなり、だんだんと喧騒けんそうはなれていく。ルーツは背中せなかおぼえる感触かんしょくから、自分が今、だれかにささえられていることに気がついた。……いや、これは木だ。どうやら双子 は、ルーツを近くの立ち木にもたれかからせてくれたようだっ 

 何度も目をパチクリしながら、あふれ出てくるなみだとともに、目に入り込んだ砂をあらながす。そうして、ようやく目が開いたころには、ルーツのまわりには、同じく木にりかかっているリカルドしかのこっていなかった。

―――――――――088 ―――――――――

「おい、大丈夫だいじょうぶか。これでも飲め」

 リカルドが水筒すいとう手渡てわたしてくる。

 ありがとう、とけ取るとそれは自分がカバンの中に入れていたものだった。

 一口ひとくち二口ふたくち。水をのどの中にながみ、一度大きく深呼吸しんこきゅうをすると、ようやく気分が落ち着いてきた。途端とたんに体から力がけ、ルーツの体はなめらかな表皮ひょうひの上をすべり落ちてい 

 やってんだ。行くぞ」

 そんな、自分の役目やくめがすべて終わったかのように気の抜けた顔をしていたルーツに、リカルド はぶっきらぼうに言った。

「えっ、 くってどこに?」

  いもよらなかったことを言われたルーツは、相変あいかわらずのの抜けた表情ひょうじょうでリカルドを見上 げる。

「もしかして、まだりするの?」

「何を言うかと思えば。ルーツ、おれら、まだ一匹いっぴきも狩れていないだろ。晩飯ばんめしどうするつもり 

 あとは双子ふたご片付かたづけてくれるものだとばかり思い込んでいたルーツは、リカルドに言われ、ようやくこの狩りがしきであったことを思い出し 

―――――――――089 ―――――――――

「はあ、理解りかいできてないようだからもう一回言うぞ。さっき、あいつらの矢が、目の下らへんにぶっさったのをみただろう。ライラプスの全身ぜんしんは、うすい毛でおおわれているだけに見えて、じつはとてもかたいんだ。だから、うまくたように見えてもあんまり効果こうかい。あのライラプスはまだまだ元気だ。まあ、さっきのびかかり攻撃こうげきけてみたらわかる だろうけど」

 リカルドは土まみれのルーツを見て、軽くわらう。

「とは言っても、ライラプスもけものだからな、急所はある。脳天のうてんのどの下。喉の下は分かるが、なぜか脳天もかわが薄い。そこに一撃いちげきくわえればいっちょ上がりだ。だからとりあえず数人で、獣を射手いしゅ正面しょうめん誘導ゆうどうして、安全をすなら木の上から脳天をうまくねらわなきゃならないんだが……あ~あ、さっきライラプスがとんだ時に、お前が喉に一発いっぱつくれていればなあ。こんな面倒めんどくさいりなんてやらずにんだの 

「ライラプスがぶなんて知らなかったんだよ」

無知むちつみだぜ、ルーツ」

 弁明べんめいもリカルドには通用つうようしない。たしかに、知らなかったのはルーツの責任せきにんだ。事前の会話から考えても、リカルドと双子は獣のことを熟知じゅくちしている。あの三人だけだったら狩りはとっくに終わっていたのだろ 

―――――――――090 ―――――――――

 しかし、りは、初心者しょしんしゃであるルーツたちのために一から考案こうあんされたものではない。追い込み方式での狩りは、元々リカルドとカルロスさんの二人か、双子ふたごふくめた四人だけでおこなわれる予定だった。

 その予定よてい参加さんかしたのがルーツたちだ。

 だから今回の狩りは、事前知識じぜんちしき技能ぎのうがある程度ていどそなわっているという前提ぜんていで計画されたものである可能性かのうせいが高い。そうでなくとも、けもの一挙一動いっきょいちどう戸惑とまどう子どもはさすがに想定外そうていがいであろう。その想定外がかさなった結果けっか危険きけんが生まれ、ルーツはあわやみつぶされる寸前すんぜんまでいった。

 ――リカルドたちも少しは教えてくれてもかったのに。

 自分 から聞こうともしなかったくせに、ルーツはそんなことを思ったのだった。

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