第二章 狩るもの、狩られるもの
第8話 当たり前だからこそ
「おーい、ルーツ」
窓の外から、声が聞こえた。
「時間だよー、遊びに行こうよー」
なんだか誰かに呼ばれているような気がする。
ベッドの上でまどろんでいたルーツは、大きな欠伸をふわあとした。眠たい身体をむくっと起こすと、自分の周りをぐるりと見渡す。
「ねえ、ルーツ。いないのー?」
名前を呼ばれて、意識が戻り、その場でぐぐっと伸びをした。
それから、壁の時計に目をやると、なんともう九時過ぎだ。慌てて飛び起き、寝間着を脱ぎ捨てると、ルーツは急いで服を着こんだ。
「今いくから、そこで待ってて!」
築数十年でガタガタになった階段を、転がるように駆け下りる。
すると、村長は既に起きてきていて、ソファにゆったりと腰かけている。リビングには空気がこもっていて、朝ごはんの匂いが鼻についた。
「出かける前に、少しは食べていくんじゃぞ」
身支度をしていると、村長の声が後ろからした。どうやら、村長はたった今、一人で食事を済ませたところらしかった。テーブルには、ナイフとフォーク。それから、ルーツがこれから食べるはずの、こじんまりとした朝食だけが残っている。が、目を擦りながら食卓を眺めたのち、ルーツは悪びれずに答えた。
「いいよ、僕おなか減ってないし」
―――――――――044―――――――――
嘘ではなかった。朝起きたばかりの時は、なんだかおなかが空かないのだ。口が甘ったるい食べ物や、脂っこい食べ物を受け付けてくれない。
村長もそれを知っているのか、いないのか。今日の朝食はあっさり食べられる、果物が多めの献立だったが、それでも今は食べる気が起きなかった。
「ルーツや、食べ物を粗末にしてはならんぞ」
村長はそう言うが、食欲が湧いてこないのだから仕方がない。
「でも、ハバスが外で待ってるんだ」
ルーツは渋ると、村長は難しい顔になった。そして、ルーツがソワソワしていると黙って立ち上がり、部屋の扉をがちゃりと開ける。
「やあ、ルーツ」
元気な声が聞こえてきた。
「何時ものことだけど、今日も遅起きだねえ!」
男の子は家の前で、しばらく待ってくれていたようだった。
「……あれ、村長さん?」
戸惑ったようなハバスの声に、ルーツは急いで戸口に向かおうとする。
が、先に村長が出たので間に合わない。ルーツより早く村長は、外行きの顔で笑いかけ、ハバスと会話を始めてしまっていた。
「おはよう、ハバス。もう、朝ご飯は済ませてきたのかい?」
部屋を出ると、村長の声がした。
「うん、ちょっとだけね」
玄関に近づくと、追ってハバスの声がして、見ればハバスは、元気な調子で、村長と仲良く話している。
「早く遊びに行きたかったから、そこまで食べてないんだけど――。でも、昼ぐらいまでなら、ぜんぜんへーき。多分持つから大丈夫」
間延びした声で言いながら、ハバスはお腹をポンポン叩いていた。
だけど、ハバスはルーツを誘いに来たはずなのに……。そのルーツをほったらかしにして、会話を続けているというのはどうなのだろうか。
とにかく、ルーツが廊下で手持ち無沙汰にしていると、村長の声が聞こえてきた。
「本当に、毎日待たせて済まんのう。うちのルーツときたら、まだ朝食も済ませていないんじゃ。余っておるし、なんなら一緒に食べていかんか? ほら、外でひとり、じっと待っておるってのも酷じゃろう。入った入った」
結局、勝手に決めてしまった。こういう時、村長は無理解だから困る。子どもの話に、大人が首を突っ込まないでほしい。遠慮するハバスの背中を押しながら、部屋に戻ってくる村長を横目に、ルーツはすこしムスッとして席に着いた。
―――――――――045―――――――――
「うわー、これ、パリパリ鳥の丸焼きじゃん」
すると次の瞬間、大きな声が聞こえてきた。
部屋に入ってくるや否や、ハバスは料理に飛びついていた。
「丸焼きなんて――こんなのうちでは滅多にでないよ、大変だもん」
明るい声のする方を見れば、ハバスは口からよだれをじゅるじゅる。目をキラキラさせながら、ルーツが残そうとしたご飯を見つめている。
「これ、買ってきたの? それとも村長さんが作ったの?」
鳥をパクパク食べつつも、それでも喋る。食い意地の張った、友だちの姿を見て、ルーツはちょっと苦笑した。
ハバスはよくしゃべる。それもうるさいくらいに。だが、そのちょっと元気すぎる性格こそが、ルーツがハバスと仲良くなった理由だった。
暗い森。ルーツがその場所に行かなくなって、もう一年余りが経っている。
あの日、唯一の、自分だけの安心できる場所を失ったルーツは、同年代の子どもと打ち解けることを余儀なくされた。
しかし、打ち解けるといっても、それは簡単なことではなかった。というのも、ルーツはそれまで、人と殆ど関わってこなかったのである。だから、友達の作り方を知らないし、そもそも話し掛け方もよく分からない。おまけに、相手が人間なもんだから、向こうから近づいてきてくれることもなく、結果ルーツは孤立した。
そんな中で、ルーツに一番に話しかけてくれた子がハバスだった。
「ねえねえ、そこで緑色の角が生えた虫見つけたんだけどさあ」
初対面からあまりにも馴れ馴れしかった。
「一緒に見に行かない? 今いいところなんだ。先端から液体がぶちゅっと出てて、気持ち悪いのなんのって……」
誰かと後ろ姿を間違えたのだろう。最初は、そう思った。だが、上顎の犬歯が異様に発達したその男の子は、明らかにルーツに話しかけてくれていた。
―――――――――046―――――――――
いつも明るく、ときにはおどける。居るだけで場が盛り上がる存在。それがハバスという男の子。そんな村一番の人気者と仲良くなれたことが大きかったのだろう。ルーツは友だちを作るために自ら足を踏み出さずに済んだ。
具体的に言えば、ハバスの友だちや、仲間たち。
ハバスの隣に居る事で、今までルーツを遠巻きにしか見ていなかった子も、自然にルーツと遊んだりするようになったのだ。
もちろん、全員と仲良くなれたわけではなかった。が、幸いにも、露骨に嫌われているわけではない。今のルーツの周りには、多くの人が。それこそ、一年前には想像もしていなかったほどの人が溢れていた。
けれど、ハバスはどうして、誰とでも仲良くできるのだろう。
そう考えると、ルーツはとても不思議な気分になるのだ。普通、誰とでも相性のいい性格なんて、存在しないと思うのだが――。
ふと気づくと、ハバス達は、料理の話題で盛り上がっているところだった。
いつもはあまり笑わない村長も、ハバスに掛かればこの通り。わざわざ家庭料理の解説なんて、ニコニコ顔でしてあげている。
いや、村長が、ルーツ以外の子と話している時の方がよく笑うのは、単にルーツが愛想のない、ぶっきらぼうな子どもであるせいかもしれないけれど。
「ところで、ルーツ。今日はどこに遊びに行くんじゃ」
ルーツが考えごとに耽っていると、村長の声がした。二人の会話を、どこか遠くで聞いていたせいで、ルーツは戸惑い、しどろもどろになる。慌てて答えようとして舌を噛み、思ってもいないことが口から出た。
―――――――――047―――――――――
「ん、アレッドさんのところ……じゃなくて、エマのとこでもなくって……ハバス、どこだったっけ?」
ルーツは、適当に話を流した。というより、この話題についてはあまり触れられたくなかった。しかし、ハバスにはその心持ちが伝わらなかったらしい。ルーツが、口元の汚れを拭っていると、代わりにハバスが、純真な眼差しで答える。
「えー、ルーツ。もう忘れたんかー? 昨日約束した話」
そしてルーツが、猛烈に否定しているのには目もくれず続けた。
「ん、本当にどうしたん? 昨日はあんなに、明日は狩りに連れて行ってもらえるんだあ、って張り切ってたのに。でも、罠で捕まえるのかなあ。それとも、弓をもたせてくれるのかなあ。こーんなにでっかい鳥とか捕まえちゃったらどうしよう。ね、ルーツ。どうしよっか? 二人で分けて食べる?」
ルーツは肩を落とした。ハバスが不思議そうに首を傾げているのを見て、思わず口からため息が漏れた。身振りで鳥の大きさを表しているつもりなのだろうか。両手を目一杯に広げているハバスの姿が、なんだか今だけは恨めしく思える。
それでも話しかけられている以上、無視するわけにもいかないので、ルーツは馬鹿になったつもりになって、仕方なく棒読みの演技をした。
「ああー、そうそう、そうだった。狩りにいくんだった今日は」
もちろん、こんな大事なことを忘れるはずも無かった。ルーツはちゃんと覚えていた。昨日、ルーツとハバスは、小川の岸辺。明るい森のすぐ近くで、二人の女の子たちと一緒に、狩りに行きたいという話をしたのだ。
そこで、少し頬を膨らませながら一人の子が言うには、
「リカルドは私たちと同い年なのに、本物の狩りを何度も体験しているんだよ。ずるいと思わない?」
もう一人の子が言うには、
「そうそう、リカルドばっかりずるい」
そしてハバスが、
「じゃあ、リカルドのお父さんに頼んでくるよ!」
―――――――――048―――――――――
こんな子ども同士の愚痴から、とんとん拍子に話は進んで、何故か昨日の夕方には、狩りに同伴出来ることになっていた。多分、ハバスの人柄が関係しているのだろう。ルーツが頼んだところで、そうは上手くいかない。
しかし昨日、親には内緒にしておくように。そう、念を押したのはハバスだったはずなのに……。急に話しかけられて、動揺したルーツも悪かったが、秘密を明かしたハバスもハバスだ。森でみんなと狩りなんて――。これはまたとないチャンスかもしれないのに、村長に止められて、僕だけ行けなくなったらどうしよう。
「どうした、ルーツ。顔色が悪いぞ?」
「いんや、口の中噛んだから痛いだけ」
ルーツの眉間に皺が入り、口が苦々し気に歪んでいることに気付いたのだろう。顔を覗き込んでくる村長に、ルーツはそっぽを向きながら答えた。
とにもかくにも、ルーツは早く食事を切り上げてしまいたかった。出かけてしまえば、途中で呼び戻されることはないだろうから。
「狩りに行くとは……子どもだけでか?」
だが、制止されるのは時間の問題であるように思えた。ルーツは食べるのに忙しいふりをしたのだが、その間にも村長は話しかけてくる。そして、こちらが何も明かしていないのに、連れて行ってくれる大人の名前を探り当ててしまった。
「もしや、カルロスあたりが付いていくのかう」
「村長さん、なんでわかったの? 魔法? 僕の心でも読んだの?」
ハバスは言った。喋れば喋るほどボロを出す友人を見て、ルーツはため息をついた。せめて反応しないでいれば、誤魔化す事も出来たかもしれないのに……。
正直なのは悪い事ではないのだが、正直すぎるのも考えものだ。ハバスはもうちょっと、人を疑った方がいい気がする。
とにかく村長は、難しい顔をしていた。眉間に皺がますます寄り、今にも駄目だと言い出しそうに見えた。けれどハバスの手前、ガミガミ怒ることも出来ないらしい。
ルーツはびくびく。村長はむっすり。しばらく二人が黙りこくっていると、空気が重いことにようやく気が付いたのか。ハバスが申し訳なさそうに口を開いた。
―――――――――049―――――――――
「でも、村長さん。僕とルーツが行くのは明るい森だよ? 魔獣が出てくる暗い森じゃないんだし――、心配しなくても大丈夫だよ。……きっと」
ハバスは純真な目つきで村長を見ていた。けれど村長は困り顔。ふーむと唸って、顎髭を撫でるような仕草を見せている。それから、言い聞かせるように口を開いた。
「ハバスや。森を侮ってはいかん。森は確かに、多くの恵みをもたらしてくれるのじゃが……時には牙をむく。事故、遭難、危険生物。何と出くわすか分からぬから、大自然という奴は怖いのじゃ。それこそ、明るい森で魔獣と出くわし、頭から食われてしまう可能性もゼロではない。……どうしても、ということは無いのじゃろう? それなら儂はおぬしらに、危険な事はして欲しくないんじゃがのう」
そして、二人の反応を見たところで、村長は続けた。
「確かに、大人であっても不覚を取ることはある。小さな獣に、殺されてしまう事もある。じゃが、十五にもなれば、少しは力も身についてくる。そう考え、わしはそこで線を引いた。森での狩りは、十五になってから。その決まりを定めたのじゃ。しかし、お主とルーツはまだ十一歳。十五までは四年もある。あと四年、せめてもう一年ほど、大人しく待つ気にはなれんかのう」
ルーツはうーんと唸った。ハバスもうんうん唸っていた。待てるというのは簡単だった。だけど二人は今どうしても、みんなと一緒に狩りに行きたかったのだ。
それも一日中。中途半端じゃ駄目なのだ。獣を自分で捕まえるくらいでないと、この衝動は収まる気がしない。そう考え、ルーツは村長に頼み込む。
「これから毎日、家の手伝いでも何でもするから」
ルーツは言うと、手を合わせた。一生のお願い、と懇願しながら、村長の方をチラッと見た。ハバスと言えば、此方も同様。目をつぶって、両手を顔の前で合わせている。だけど、村長はまたふーむ。腕組みをして、難しい顔でルーツを見た後、二人を見つめ、重々しく口を開いた。
「……ならん。と言いたいところじゃが――」
そして、二人のしょぼくれた顔を目にしたところで、すぐさま続けた。
「カルロスがついて行くというのなら、まあ仕方なかろう。大人付きで、というのなら、儂も少しは安心できる。それに、儂が此処で無理に禁ずれば、お主らは二人で、それも勝手に内緒で森に行きかねないからのう……」
「のう、ルーツ。くれぐれも、自分達だけで森に入る時は、ちゃんと許可を取ってから。大人にひと声かけてからにするんじゃぞ」
村長は言った。ルーツはちょっと赤くなった。
過保護すぎる。ハバスの前で恥ずかしい。とは思ったが、下手に怒らせたくなかったので、大人しく頷いて黙っていた。すると村長は、不意に真剣な面持ちになって、これだけは聞いておくようにと二人に言う。
―――――――――050―――――――――
「……よろしいか、お二人さん」
村長は言った。
「森では決して、食べきれる量以上を狩ってはならん。獣を狩るというのなら、儂から言っておきたいことはそれだけじゃ。ちゃんと分かってくれたなら、これ以上引き留めることもない。とにかく、カルロスさんの言う事をよく聞いて、今日一日で狩りの事を。生きるという事について、色々勉強してきなさい」
そう言うと、村長は立ち上がる。話が終わった事がそれでわかり、ルーツは目を丸くした。まさか、大っぴらに狩りに行ける事になるなんて! これでは秘密を明かしてしまったハバスも責められない。まさに、怪我の功名。結果的に大手柄だ。
そう感じ、ルーツはハバスとハイタッチをかました。この後のことを妄想し、わくわくとドキドキで胸躍らせた。ところが村長は、自室に戻る寸前で、不意に何かを思い出した様子になると、ルーツに声を掛けてくる。
「おお、そうじゃ。言い忘れていたのじゃが――」
村長は振り返りながら、心配そうに口にした。
「森に入るなら誰とでも。たとえ、どれだけ苦手な人がおろうとも、いさかいを起こさぬようにせなかんぞ。お前さんたちにちゃんとそれが守れるか、ルーツ」
村長に尋ねられ、ルーツは首を傾げた。
苦手? とは思ったが、今さら、謎かけなんてやっている暇はなかった。ルーツが肩を竦めると、村長は優しい笑みを浮かべ、ハバスの方に話を振る。
「ん……、よくわかんない」
ハバスも、口元を拭きながら首を傾げる。その様子を見て、村長は静かに言った。
「今回の狩り、誰といくんじゃ」
「そりゃあ、昨日遊んだ四人とカルロスさんでしょ、どう考えても」
考えこんでいるハバスを見て、ルーツは即座に口を挟んだ。
聞かれているのは自分ではないと、ちゃんと分かってはいたものの、早く話を終わらせたかった。出来れば、村長の気が変わらないうちに。
「いや、ハバスに聞いておる。カルロスさんは何か言っていなかったかのう」
だが、村長はどこか楽し気にも見えた。相手の弱みを見つけた時のリカルドのように、口元がひくひくと動いている。
―――――――――051―――――――――
「あ、そういえば……」
そして、遠回しに話す村長に、ルーツが苛立ちを隠しきれなくなった頃、パリパリ鳥をごっくんし終わると同時にハバスは答えた。
「そう言えば、リカルド達も一緒に来るよ。カルロスさんがそう言ってた。息子を森に連れて行くから、ついでに僕らも連れて行ってくれるって。でも――、あれ? この事、まだルーツに言ってなかったっけ?」
ルーツは耳を疑った。聞き違いだと願いたかった。が、そうではないようだ。
「だから、リカルドたちも含めると、全部で八人ってことになるのかなあ」
再び聞こえた『リカルド』という言葉に、ルーツの動きはビクリと止まる。
「どうじゃ、ルーツ。これでも行く気は変わらんか?」
ルーツの口から、食べかけの果物がポトリと落ちた。
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