第6話 育てる責任

「ルーツじゃ、ルーツがもどってきた!」

「わかりましたっておさ、もう少ししたらきっと戻ってきますから、いま行くと捜索隊そうさくたいの方も……って、えっ、本当に戻ってきたんか、ルーツのやつ

 太ももが動かない。むねめ付けられるようにズキズキといたむ。森のはずれから、村の戸口とぐちまで。いつもなら二度は小休止しょうきゅうしを入れないと走り切れない行程こうていを、一度も休むことなく走り通したルーツの身体からだ悲鳴ひめいをあげていた。

 本人の意思いしかまうことなく、許容量きょようりょうをはるかにえる量の空気を、口が勝手にどんどんみ、ルーツはひどくき込み始める。喉の奥からっぱいものが上がってたかと思うと、次の瞬間しゅんかん意識いしきがふっと遠くなり、気が付くと、ルーツは大きく年季ねんきの入った手のひらに両肩りょうかたを強くささえられてい 

―――――――――031 ―――――――――

「ルーツ! こんなおそうまでどこにおったんじゃ!」

 くらみを起こしたような薄暗うすぐら視界しかいの中に、男の姿すがたがぼんやりかぶ。その顔が、馴染なじぶかい村長の顔だと気づくまでに、にぶったルーツの頭は随分ずいぶん時間をようした。二つのまゆはぴりぴりとふるえ、いかりのほどをつたえてくる。

 ――また、おこられる。

 ルーツの小さな心の中は、サーズに拒絶きょぜつされたことへの戸惑とまどいですでにいっぱいだった。村長に心配をけたことへの、謝罪しゃざいの気持ちが入る隙間すきまはどこにもく、言うべき言葉も見つからな 

「答えることも出来 んのか!」

 村長は、相変あいかわらず下をいたままのルーツを見て怒鳴どなった。となりにいた村人のかたがビクッとふるえるほどの大きな声に、ルーツの鼓膜こまくもジンジン える。ただ、ルーツはそれでもなお、何も言おうとはしなかった。いや、もうすでにこの時には、答えることすら出来 なくなっていたのもしれな 

 唯一ゆいいつの友だちだと思っていたサーズに拒絶きょぜつされたという絶望感ぜつぼうかん、何度もころんだせいできずだらけであちこちいた身体からだ、そして今までに聞いたことがないほどの村長の剣幕けんまく。さまざまなことがぜになって、ルーツは疲労ひろう困憊こんぱいだった。

 視界しかいふたたゆがみ始め、頭のどこかもズキズキといたみ出す。け止めきれない現実げんじつえられなくなったのか。もう目も開けていたくない。そんな思いを最後さいごに、ルーツは結局けっきょく一言ひとことはっすることなく、村長の方へ、たおれこむようにして気をうしな 

―――――――――032 ―――――――――


 もう少しきていれば未来みらいわっていたかもしれないのに。そんなことをこの時のルーツに っても仕方がないが。

 もしもあの 。そんなことを言ってもどうにもならないことは知っているのだが。けれども、ルーツは時々ときどき思うのだ。


 もしあの ――。


「ルーツ、どうしたんじゃ、ふくがボロボロじゃないか!」

おさ! この服、大量たいりょうの毛がついています!」

「これは、クシーヴ。クシーヴの毛じゃ。この は今までもそういう毛を服につけて ってきておった」

「長、この子はどこに っていたんですか? まさかとは思いますが、森では――」

 村長は動揺どうようを見せなかったが、村人の顔はみるみる青くなっていった。

だんじてない! この子は一人で森に行けるような子ではない。原っぱのすみにでも、クシーヴがふらり、ったさいに毛を落としていったのじゃろう」

「クシーヴが原っぱに⁉ 長、何を世迷よまよごとを。クシーヴが極端きょくたんに暗い場所ばしょこのみ、けっして、一筋ひとすじかりもまない夜でさえも、自分たちの根城ねじろとする森から出ないと、小さい時私に教えてくれたのは長でしょうが! あの子をかばっているのです 

 取るに らないことであるかのように、さらっと流そうとする村長を、村人はにらみつけるように る。

―――――――――033 ―――――――――

わしがあの子を? そう見えるか、エーガス」

 村長そんちょう挑戦ちょうせんするような目で、村人を見返みかえした。が、エーガスはまったくひるむことなく、コクリとうなず 

「見えます。ただ……問題もんだいはそのことではないでしょう。ルーツが森に行っていようがいまいが……長は昨年さくねんのことをおぼえていますか」

「よく覚えておる。かなしい出来事できごとじゃった。エルマスはおぬし従弟いとこじゃったな、たしか村人が作った古いあなにはまって――」

ちがう!」

 エーガスは、村長の言葉ことばち切った。強くするどい声だった。

「確かにあいつは、この村のだれかが作った穴にはまってんでいた。けものとらえる用のわなだった。それは間違まちがいない。大方おおかた足をはずしたんだろうってことで、決着けっちゃくもついた。けれど、あの穴のそばには、たくさんの毛玉けだまのこっていたんだ。我々われわれかみの毛くらいの長さの赤茶色あかちゃいろの毛。クシーヴの毛だ」

「しかし、あれは、エルマスが一人でりに行かなければふせげたことじゃった。あの日以来いらい、一人で狩りに行ったものはいないじゃろ」

「だが、ルーツは今日一人だった。クシーヴが森のはずれにまで出てくるなら、いつ第二の犠牲者ぎせいしゃがでてもおかしくない」

「エーガス、わしの遠縁とおえんも三年前にころされておる。なかなか見つけられず、見つかった時にはすでにくさてておったのじゃが……喉元のどもとにクシーヴ特有とくゆう歯形はがたが残っておった。第三の犠牲者というのがただしいじゃろう」

―――――――――034 ―――――――――

 二人は、ほんのしばらくのあいだだまんだ。

おさ、私は討伐隊とうばつたい組織そしきしようと思います。この毛のりょうは、尋常じんじょうではありません。一匹いっぴき二匹にひきではない。十匹、いや、二十匹は、この近辺きんぺんにクシーヴがいると考えた方がいい。……そう思わせてくるほど、それこそ直接ちょくせつったみたいな量の毛が、ルーツのふくにはのこっています」

 エーガスは淡々たんたんと言った。すで村長そんちょう同意どういたといった話しぶりだった。

今日中きょうじゅうにか、エーガス」

ええ 、すぐにでも」

「朝になる前にたたくのか、この子の話も聞かずに。夜は危険きけんじゃと、おぬしも知っておろう。なんでもいいやつまで死ぬぞ」

 エーガスは、深いためいきをついた。

「長、あなたがルーツを大事だいじにしているのは知っています。ですが……はっきり言わせてもらうと、私はこの子を信用しんようしていない。

 クシーヴは唯一ゆいいつ、この森全域もりぜんいきわたり歩くけものです。普通ふつうの獣がりつかない東の森にも、西の森にも生息せいそくしています。我々われわれには王都おうとのお偉方えらがたのように、『魔獣まじゅう』か、獣かを判別はんべつする能力のうりょくなんてありません。我々だけでもることが出来ますから、便宜上べんぎじょう獣ということにしてはいますが……実際じっさい、クシーヴがどれほど危険きけんなのか、東の森と西の森のクシーヴが同じ種類しゅるいなのかもわかっていません。

―――――――――035 ―――――――――

 わからないものに近づくことが私には理解りかいできない。それに、かりにルーツが本当に森に入っていなかったとしても、体中にけものの毛をまとわりつかせたまま帰ってくるなんておかしいでしょう。はたから見ていても、ルーツはおさうやまうこともしないし、しかられれば自虐的じぎゃくてきになるだけだ。両親りょうしんがいなくて可哀かわいそうだと、自分にっているんだ。私はそんなルーツを見ると虫唾むしずが走る」

エーガス 、そこまでいわんでもいいじゃろう」

 村長そんちょうは、自分をおさえているようだった。顔をそむけた村長を見て、取り合わずに誤魔化ごまかされると思ったのか、エーガスはギッとくちびるむ。

「長。私はこの子をめるつもりはありません。ただ私は、この子を、他の子ども以上にあまやかす必要ひつようがあるのかとうておるのです。そもそも長に、ルーツをそだてる責任せきにんはありません。……自分で育てる能力のうりょくがないなら生まなければいいのに」

 エーガスはさらに強く、くちびるんだ。

「それはちがうぞ、エーガス。子どもはたしかに親に育てられる。じゃが、親がなくなった時、子をまもるのは周囲しゅういであるべきじゃ。たとえ、赤の他人の子どもだったとしても。手をべられぬ者は、いざという時も他人にまかせ、見て見ぬふりをする不義ふぎやから。形ばかりの心配しんぱいを口にしたところで、遠巻とおまきに見守みまもるだけでは意味いみがないのじゃ。行動にうつさねば。自分がこまった時だけ他人にりかかる関係かんけい成立せいりつせんぞ、エーガス 

 村長はたしなめるように言ったが、その言葉はだれの心にもひびかなかったようで、エーガスはそっぽをいた。

―――――――――036 ―――――――――

「私には、村長そんちょうの言っていることがわかりません。子どもは親がそだてるべきだ。しつけられるまわりの気持ちを考えてみても」

わしは押しつけられたとは思っておらんぞ、子どもは親の所有物しょゆうぶつではないからのう」

 エーガスは少し考えるような仕草しぐさを見せたが、何も言わずに立ち上がった。

「では、男連中おとこれんちゅうを起こしてきますので」

 村長も今回は止めなかった。エーガスはっていった。村長は、しずかにねむるルーツをきかかえて家の中に入っていく。責任せきにん放棄ほうきした子どもは、気持ちよさそうにすやすやと っていた。

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