第5話 獣になりたい
「サーズ、僕って捨て子なんだと思う?」
ルーツは、サーズを見ながら言った。それは、ルーツがサーズに会った時、いつも一番に口に出す話題だった。
ところで先ほど、ルーツはサーズに向かって、ここしばらく会いに行くことが出来なかったのは村長のせいだ、と言ったが、それはどことなく不正確である。
ルーツが夜までこの場所にいるのは、なにか悲しいことがあった時や落ち込んだ時だけであり、最近ルーツがサーズと会っていなかったのは、魔法を使えないことや、人間であることを、出来るだけ考えないようにしていたからだった。
「違うと思うよ」
ルーツは、サーズがそう言った気がした。もちろん、サーズは短く吠えただけである。端から見れば、ルーツの姿は、妄想に向かって一人喋りを続ける、おかしな子にしか見えなかっただろう。ただ、ルーツはサーズが励ましてくれていると本気で信じていた。
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このごろ、他の子どもはしていない仕事をさせられて辛いこと。友だちができないこと。それから家の裏で綺麗な小石を見つけたこと。昨日の晩ご飯がおいしかったこと。
ルーツは様々なことをサーズに話した。それは一見、返事が戻ってこない無益な行為にも見えた。けれども、ルーツはそうは思っていないようだった。
サーズと話すとき、面白い話をしているわけでもないのにルーツの口角がわずかに上がることがある。普段の生活では忘れてしまっている『笑顔』という表情。いつもは強張った顔の下に覆い隠されている素顔が、サーズと話していると不意に飛び出るのだ。
もしかしたら、サーズは何一つ、僕の言うことを理解していないのかもしれない。何度か不安になったことはあるが、ルーツはサーズを信じていた。それに、もしサーズが僕のことをわかってくれていなかったとしても別にいい。
サーズに話ができる。それだけでルーツは幸せだった。
ただ、話をしている途中で暗い気持ちになることも時にはある。それが、大好きなサーズとの会話であってもだ。今日はちょうど、そんな日だった。
「さっき、リカルドにあったんだけど――」
先ほどの出来事がきっかけになった。
「ねえ、サーズ。僕、村の人に嫌われていたみたいなんだ」
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サーズとの対話は、いつでもルーツを前向きにしてくれる。だが、今日のリカルドとのやり取りは、その対話をもってしても、ルーツを酷く落ち込ませるほどの力を持っていた。リカルドの名前を出すたびに、ルーツの肩は小刻みに震えた。
「どうしたらいいと思う? どうしようもできないよね! 僕のせいじゃないんだよ。弱いのも、魔法が使えないのも、人間なのも!」
サーズはただ黙ってルーツの話を聞いていた。身動き一つしなかった。
「両親のせいなんだ、全部。神殿に連れてってくれてさえいれば、こんな惨めな思い、しなくてすんだのに。人間の村に生んでくれれば、もっと幸せな生活もあったのに。僕だけ見捨てて、置き去りにして、自分たちだけ逃げて。へん、こんなの変じゃんか、僕ばっかりこんな目にあって。村長は両親の顔も教えてくれないし……村でずっと一緒に暮らしていたのにだよ! どういうことだよ!
人間だからってみんな僕を見下して――騙されたのを見て笑ってる。弱い弱いって笑ってる。何も言わないだけで、みんな心の中では僕のことを馬鹿にしてるに違いないんだ」
話しているうちに、ルーツの言葉は、次第に誰かを責めるようにと変わっていった。理不尽、という単語が頭に浮かび、なぜだか瞳が熱く、鼻の穴も膨らんでくる。
「誰も信じられない、リカルドの方がまだましさ。思ったことを全部言ってくれるもの。村の奴らときたら、『あいつら』ときたら……。村長だって、本当は面倒なもの引き受けたって思ってるはずなんだ」
―――――――――027―――――――――
彼の口はとどまることを知らず、サーズもそれをただ、じいっと聞いていた。
「なあ、サーズ。俺、人間でいるくらいなら獣になりたいよ。お前も獣だろ? 一緒に住まわせてくれないか? 連れてってくれない?」
怒りが心を荒ませ、自然と話口調を粗雑なものへと変えていく。普段なら決して使わない『お前』なんて言葉を、唯一、友だちに成り得ると思っているサーズに使ってしまうくらいには、ルーツの心境は乱れ切っていた。
「あるんだろ? 集落みたいなところ。群れみたいなもんがさあ。連れてって、連れてってよ!」
ルーツは叫ぶように言い放つが、サーズは無言で背を向けると、そのままゆっくりと立ち去り始める。
「サーズ、俺ついてく、ついてくからな!」
ルーツは、森の奥へと消えていくサーズを追いかけた。すぐ引き離されそうなものなのに、何故かサーズは走ることもなく、ルーツとの距離は縮みもせず、広がりもしなかった。
しばらく進むと、つる性の草木にまとわりつかれている古木が見えてきて、サーズはその前で動きを止める。既に村の明かりは森に溶け、ルーツの周りに光と名のつくものは一つも無かったが、闇に慣れたルーツの瞳はしっかりとサーズの姿を捉えていた。
―――――――――028―――――――――
胸を押さえ、浅い呼吸を整えていると、既にサーズは振り返り、こちらを見ている。サーズの吊り上がった目が、いつもより伏せがちになっていることに、ルーツは気がついた。
「なんだよ、そんな顔しても無駄だぞ。俺、ついていくからな」
「ウオオオオオン」
ルーツの言葉には一切反応することなく、サーズは空に向かって高らかに吠える。それはどこか、ルーツの呼びかけに答えた時の吠え声とは異なるものだった。
にわかに、あたりの木々が騒めき始めた。止まっていたはずの風がまた吹き始めたのもあったが、
――風とは異なる何かが迫ってきている。木々はルーツにそう告げていた。
予感は当たり、見る見るうちに、体が何かに擦れるような音や、軽く地面を蹴る音が、群を成し、ルーツの元へと押し寄せてくる。
「な、なんなんだよ、サーズ。何したの?」
獣になると、固く決めたはずの意思は脆くも崩れ去り、ルーツは早々にいつもの弱気に戻っていたが、そのなんらかの大群は、依然、風とともに此方に向かって駆けてきていた。
「サーズ、脅かそうったってそうは――」
そうルーツが細い声で言いかけた瞬間、何の前触れもなく音は止まった。いや、完全に止まったわけではない。まだ微かにカサカサと小さな音がしていた。ルーツの背後から。そしてルーツの右から、左から、正面から。何かがルーツとサーズを取り囲んでいる。
―――――――――029―――――――――
「ウオオオオオオオオオン」
サーズが先ほどより少し長めに吠えた。その刹那、あたりの茂みから一斉に応えるような吠え声があがり、同時に、たくさんの黒い影が背後の闇から躍り出る。サーズと同じ、赤茶色の優雅な毛並み。それは、軽く十匹を超える狼の大群だった。
獣が、同種を呼ぶために吠えることは広く知られていることだ。狩人にとって獰猛な獣に仲間を呼ばれることは死に等しい。その事実はどの家でも小さいうちから教えられるし、子どもは本能的に獣の恐ろしさを知っている。
だがルーツは、サーズ以外の生きている獣をあまり見たことがなかった。村長の言葉をいつも話半分に聞いていることと、もしかすると、サーズがルーツの前でたまに吠えて見せてくれることが影響していたのかもしれない。
ルーツは、狩人や村人が当然持っているべき恐怖を知らぬまま育っていた。だから、その時ルーツは初めて気がついた。サーズが狼――、肉食獣であることを。
ルーツは初めて、サーズに恐怖した。他の狼たちを恐れたのではない。今まで一緒に遊んでいたサーズが異質な何かに見えたことが、ルーツを震え上がらせたのだ。
ルーツはあまりの恐怖に立ちすくんでしまっていた。だが、再び体がふっとんでしまうかのような大声で吠えられると、よろよろと走り出した。狼はそのすぐ後ろを追いかけてくる。
狼たちは時には止まり、時には足取りを緩めたりしていたのだが、ルーツにはそうは思えなかった。むしろ、ルーツの目には、狼たちがさらにスピードを増し、刻一刻と自身の背後に迫りつつあるように映っていた。
―――――――――030―――――――――
ルーツは何度もよろめき、木の根に転ばされながらも森の出口にたどり着いた。あてもなく、ただ逃げていただけなのに元の場所に帰り着いたことを、ルーツは不思議に思わなかった。冷静であったならば、そう感じたかもしれない。だが今のルーツには物事を深く考える余裕すらなかった。
何度も後ろを確認し、もう何も追いかけてきていないのにたまに飛び跳ね、不規則な呼吸を繰り返しながら村の方へと駆けていく。明かりが夜でも煌々と灯っている村の入り口まで、倒れこむようにしてたどり着くと、そこには村長と、村人が一人立っていた。
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