四章 金星と闇の大祭 3—2

威が言う。


「吾郷さんの手記を読んで、気づいた。今回の事件と、二十年前の事件は、同じ人物の手によるものだと。全員、腹を裂かれて、体内を物色されてる。犯人は御子を探してるんだと。


それで、魚波が危ないと思って帰ってきたのに。何をかんちがいしたんだか、魚波は、おれから逃げようとするし……」


「ごめんだよ……わも犯人が御子さまをねらっちょうことには気づいたけん」


「なんだよ。おれが犯人だと思ったのか? ひどいな。おれが自分や家族のために、何人もの人を殺すような人間だと、本気で考えたのか?」


「あんまり、おぞかったけん。威さんも銀次も、みんな、怪しに見えて……死んだと思っちょった砂雁は生きちょうし……もう頭んなか、あやがなて(ゴチャゴチャで)……」


威は、ちょっと、きつめに、魚波の頭をポンポンした。笑顔が、まぶしい。


「見損なうなよな!」


「うん。でも、威さんだてて、えらい剣幕だったぞね。おぞにもなあが(怖くもなるさ)」


「そりゃ、おまえの命にかかわることだ。必死になるよ」


胸の奥が、きゅっと痛む。


こういうところが、威はズルイ。


なんだって平然と、そんなことを言ってのけるのだろう。威のは、純然たる友情だと、わかってはいるのだが。


「……まあ、ように考えたら、威さんや銀次が犯人なわけはなかった。二十年前の事件も、今回の事件も、犯人が同じなら。二十年前、威さんやつは、まだ子どもだ」


二十年前にも村にいて、当時から、それなりの年でなければ、犯人には該当しない。


八十助は、どちらにも、あてはまる。


「でも、なんで、八十助さんが……」


魚波たちは、いっせいに八十助を見た。


八十助は銀次に押さえられて、うなだれている。


銀次が自分のことのように、沈痛に、つぶやいた。


「わが、最初に変に思ったのは、キジ撃ちの日だ。帰ってきて、猟銃を片づけえかとしたら、もう一挺が見当たらんだった」


米田家には、猟銃が二挺あるのだ。


魚波も見たことがあるので、知っている。


「しばらくして、じいさんが帰ってきた。そげしたら、いつのまにか銃も、もどっちょった。早乙女さんの死んどうのが見つかったのは、そのあとだ。トラさんや寺内さんやつが殺さいた晩も、朝方に一人で、もどってきた。まさかと思っちょったけど……こないだ(このあいだ)から、二、三日、続けて出ていくけん。夜祭のためだ。こうはいけんと思って……」


魚波は気づいた。


「わと竹子の話しちょうのを小耳に、はさんだときは、全部、聞いたわけだなかったんだ。全部、聞いたなら、あのとき、わが殺されちょうもんね」


あのとき、魚波たちが妙な話をしているとは思ったが、御子の渡しだとは考えなかった。それで、一男をおそったり、夜祭の見張りをしていた。


そんなときに竹子がやってきた。先日の話を思いだし、問いつめた。竹子は口封じに殺されてしまった……。


それが一連の流れだったのだろう。


「何も、竹子まで殺すことはなかったに……」


一瞬、竹子の死に顔が浮かび、やりきれなくなる。


威が問う。


「八十助さん。全部、あなたの仕業ですね?」


八十助は、だまって、うなずいた。


完全に観念したように見えた。


「八頭さんとこに、つれていこう。この人をどうするかは、あの人に決めてもらえばいい。それが、この村の決まりだろう?」と、威。


魚波は砂雁を見直した。


「砂雁は、どげすうかね? このままに、しちょくの(しておくの)?」


あの暗い岩屋で、二十年も、魚波を待ち続けてくれた砂雁。このまま放置しておくのは、しのびない。


だが、この瞬間、みんなの視線が砂雁に集まった。


全員の目が、ほんの一瞬だけ、八十助から、それた。


とつぜん、わッと声がした。


「銀次?」


魚波がふりかえったときには、八十助は銀次の手をのがれ、背後に迫っていた。


そのまま、とびつかれ、草むらに倒れこむ。


抵抗しようとすると、銃口をつきつけられた。


月の明かりも雲間にかくれ、暗闇のなかに、双眸(そうぼう)だけが、ギラギラ、かがやいている。


その姿は完全に悪魔だ。


魚波は恐怖に、すくんで動けなかった。


「じいさん! もうやめえだが!」


銀次が叫び、引き止めようとする。


八十助は孫の銀次にまで、銃口を向けた。


「来うな。御子は、わが、もらう」


「なんで、そぎゃんことすうかね。御子さまが、ゆるしてごさいはずないが」


「銀次。おまえになら、わかあはずだ。おまえだてて、巫子に生まれちょったら、雪ちゃんと——そげだないか?」


「そうは……わも巫子に生まれちょったらとは思う。だけど、しゃんこと(そんなこと)今さら言ったてて、どげしようもないがね」


「いいけん。おまあは、あっち行っちょうだ。ジャマすうなら、おまあでも撃つけんな」


銀次は、だまりこむ。八十助が本気だと、さとったのだ。


周囲で、威と吾郷が、じりじりしながらスキをうかがっている。


しかし、八十助は油断がない。誰かが一歩でも近づこうとすると、すかさず、そっちに狙いをつける。


そのまま、魚波の頭に銃口をつきつけた。


(このまま、殺さいか。さっきは御子さまの力で生き返った。でも、御子さまを腹から出さいたら、もう……)


かんねんして、魚波は目をとじた。


そのとき、にわかに月が明るくなった。雲間から、こうこうと顔をだす。


月光がふりそそぐ。


威の上にも。吾郷の上にも。銀次や八十助の上にも。そして、魚波の上にも。


光を感じて、魚波は目をあけた。

正面から、八十助と目があう。


すると、なぜだろう。

八十助の手がふるえだす。

八十助は引金をひくことができない。


次の瞬間——銃声が一発、とどろいた。


魚波は自分が撃たれたのだと思った。

でも、どこも痛くない。


八十助が、ぐらりと倒れていく。

魚波のほうへ、わずかに手を伸ばしながら。

その口が動いた。


「——魚波! 無事かッ?」


すぐに威がかけよってくる。

泣きだす魚波を見て、威はかんちがいした。


「怖かったんだな。それとも、どっかケガしたのか?」


魚波は首をふる。


「おかねちゃん——て言った」

「何?」


魚波は威の手をかりて、起きあがる。

たおれた八十助を見る。もう息はない。


少しは救いになったのだろうか。

最期にこの人の見たものが、魚波だったこと。

少女の姿をした、魚波だったことが。

かつての恋人の姿を、そこにかさねて……。


「おかねちゃんと、言った。お鐘は……茜の俗名だ」


茜が神社の巫子になる前、引き離された恋人——


それは、八十助だったのだ。


茜や八十助が若かったころ。

そのころは今より、もっと村の空気は厳粛だったという。


巫子は神社の巫子になるか、村医者の助手になると決まっていた。病人やケガ人のために、血や肉を提供するものとして。


だから、巫子の結婚相手は、かならず巫子か元御子。血を薄めてはならないという風習が、暗黙のうちにあった。常人との結婚なんて問題外だ。


今でこそ、その風習は遠くなった。巫子と常人の結婚も、ゆるされるようになった。


そういう村人の意識をそっせんして変えていったのは、八十助だったと聞く。


最初は勝とトラの結婚も反対されていた。その結婚に賛成し、応じない人々を説得してまわったと。


それは、きっと、結婚をゆるされなかった自分と茜を思いだしたからだ。


魚波は茜の少女時代に、そっくりだという。


あの雲が切れた瞬間、八十助は、魚波の上に茜を見た。だから、ためらいが生まれた。


八十助の茜への想いは、数十年たった今でも変わっていなかったのだ。

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