四章 金星と闇の大祭 1—4

「ウソ?」

「御宿りがあったというのはウソだ。今になって白状した。殺されかけて、『巫子』になるのが怖くなったんだな。あんな痛い思いは二度とゴメンだって」


そうか。負けず嫌いの一男だから、ウソをついたのだ。一晩待って、御子が来なかったとき。魚波を『巫子』にさせたくない一心で。


「そげですか。そうにしても、一男は犯人の顔、見ただないですか?」


「うしろから頭をなぐられて、顔は見てないんだとさ。背の高い男だったーーとは言っている」


背の高い男……でも、もう吾郷は死んだ。


威の言うとおり、吾郷が犯人ではなかったのだ。


(それにしても、なんで一男は襲われたんだろう?)


どうにも、ふしぎだ。


一男は早乙女とも、おトラや寺内とも、なんの関係もない。首をかしげていると、龍臣が言った。


「魚波。今夜、おまえの番だ。夕方、迎えに行く」


とつぜん、目の前に光がさした。


そうだ。一男が御子を宿してなかったのなら、一男は『巫子』ではない。もう一度、巫子えらびが始まる。


そして、残された候補は、魚波しかいない。


自分の番でダメでも、雪絵は最後の一人だ。


そのときには、必ず……。


(わは『巫子』になって、一生、誰とも結婚さん)


一生、一人の人を想い続ける。


巫子に生まれても、そのくらいの自由は許されるべきではないだろうか?


高揚した気分で迎えを待った。


庭さきで母に散髪してもらった。


湯をわかして、入念に体をあらった。


ヒゲは、まだ生えない。巫子の男の特徴だ。


女のようだと言われるのも道理。体のあちこちが中途半端。まるで、体が大人になることを、こばんでるみたいな気がする。


いっちょうらの晴れ着をだして着こむと、父が言った。


「魚波。たぶん、御子さまは、おまえを選ぶ。おまえが子どものころ、御子さまは、おまえに宿りたがっちょらいた(宿りたがっておられた)けん」


それは、父が御子だったときの話か。


「わに(私に)? そぎゃんこと、わかあか?」


「わかあ(わかる)。抑えちょうのに難儀した」


父が、そんなこと言うから、いやがうえにも期待が高まる。


やがて迎えが来た。魚波が、つれられていったのは滝つぼだ。そのあたりに御宿り場があることは、村人なら誰でも知っている。


ただし、入口を知る者は少ない。


神主や長老が、必要に応じて今御子に伝えることになっている。


だからこそ、長老たちは今の今御子の正体も知ってるはずだ。


いや、それとも、今御子は、もうそこまで来ているのかもしれない。こうして、龍臣たちに、つれられていく魚波をそのへんから見ているのかも?


滝へおりる前の岩かべに、人工の洞くつが、ほられていた。


魚波は子どものころ、ひんぱんに、ここに遊びに来ていた。にもかかわらず、その入口に気づいてなかった。葉のとがったヒイラギの植え込みで、かくされていたからだ。


人工洞くつの入口は植え込みで、かくされたうえ、カギのかかった格子戸で、ふさがれている。カギがなければ、なかに入れない。


「じゃあな。魚波。御子が誰をえらぶかは、わからない。これは神聖なことだ。一男みたいなウソはつくなよ」


龍臣が念を押す。


茜は涙ぐんでいた。


「ほんのことは、ナミちゃんをここに入れたくなかった……いいかね? ここから動くだないよ」


二人に見守られ、魚波は洞くつに入った。


なかは、まっくらだ。明かり一つ持たされず、一晩をすごした。格子戸のところで、ヒイラギの葉のあいだから見える月をながめていた。


待ち続けていたが、今御子は来なかった。


それが御子自身の意思なのか。


それとも長老たちに命じられた宿主の意思なのか。


御子は今、いったい誰なのだろう。


二十年前の大祭のとき、父だったのかどうかも定かでない。


だが、あのときの大祭で、早乙女が宿している。


それは確実だろう。


候補が一人のときも、御宿りは、おこなわれる。早乙女は夜祭の晩に、御子を渡されているはずだ。


しかし、早乙女の死体から、御子は出てこなかった。ということは、この二十年のいつかの時点で、早乙女が誰かに渡している。


その間、村人のなかに、新たな巫子は生まれていない。早乙女の弟の太郎が最後に生まれた巫子だ。


つまり、現在の宿主は、独身者か子ども。


子どもを作る年齢でない高齢者の場合もある。が、それなら、御子の力で、いっきに若返る。ひとめで、今御子とわかる。そういう者はいないから、やはり、高齢者ではない。


それに、宿主には、ある傾向がある。


御子は子どもか、そうでなくても、うんと若い人間をえらびたがる。それも男だ。


たぶん、御子自身が男で、幼児化しているからではないだろうか。宿主を自分の分身として見ているのだ。


魚波が幼いころ、御子が魚波に宿りたがっていたというのは、そういうことなのだ。


しかし、子どもに宿れば、それもまた、ひとめで御子とわかる。なぜなら、宿主はその瞬間から、御子と同じ体質になるからだ。生まれつきの巫子のように、急成長する。


だから、子どもでもない。


今の村で、巫子と同じ成長速度の子どもは一人もいないから。


(子どもじゃない。年寄りじゃない。考えられるのは、未婚の若い男女……)


そうでなければ、老人ほどは目立たなくても、最近、急に老化が止まり、若返った人……。


そこまで考えて、魚波は妙に心がさわいだ。


不自然に若い人……年齢に比例しない……。


それは、寺内や、おトラのような人のことか?


彼らは巫子の死肉をむさぼるという禁を犯したせいだが、はためから見れば、どう見えたろう?


不自然な若さは、御子を宿したからだとも……とれた?


なんとなく、これ以上、考えるのが怖かった。


あとひといきで、この一連の殺人の真相に届きそうな気がするのだが……。

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