四章 金星と闇の大祭 1—3
大祭だ、大祭だと、さわぐ人々の声は、魚波の耳には届かなかった。どうやって家まで帰ったのかも、わからない。
(イヤだ。『巫子』は一男がなって。わは一生、ただの村男で……村で暮らすためには、いずれ結婚さんならん。そぎゃんこと、いやだ)
そんなことのために、意を決して、威たちを送りだしたわけじゃない。ほんとは、そばにいたかったのに。
とぼとぼ歩いてると、うしろから、ぽんと背中をたたかれた。ふりかえると、竹子が立っていた。
魚波は竹子の輝いた顔を見て、逃げだしたくなった。今、一番、会いたくない相手だ。竹子の言いそうなことは予想がつく。
「ナミさん。よかったね。カズさんが『巫子』に決まったがね」
やはりか。もう泣きそうだ。
どうやって、竹子の気持ちをかわせばいいのか。
自分が『巫子』になるからという理由は、これでなくなった。
よい言いわけが見つからず、あせっていると、竹子は嬉しげに魚波の手をにぎってくる。
「ナミさん。こないだ(この前)は巫子逃れに乗じて言ったども。わの気持ちは知っちょうが? わも本気で結婚のこと考えないけん(考えないと)。もし、ナミさんさえ、よければ……」
熱心な口調で、ガンガン押してくる。
魚波は、いたたまれなくなった。
猛獣を前にした気分だ。威が話してくれたハイエナというのは、こういうものだろうか。
「竹ちゃん。わは、まだ誰とも結婚すう気はないけん……」
「ナミさんは巫子なもんね。ナミさんは、そうでいいかもしれん。けど、わは婚期が限られちょう。あんま待っちょう時間はないわ。わは、ナミさんといっしょになりたい。ほかの人では、やだけん」
竹子の目は真剣だ。いいかげんな言い逃れは許すまいという空気を、めいっぱいに放出している。
こまったことに、先夜の一件で、竹子は魚波も自分に気があると思っている。断られるとは、よもや思っていない。
魚波は考えあぐねた。
あぶらをしぼりとられるガマの気分だ。にっちもさっちも行かない感じ。
こまりはてていると、竹子の顔が、くもった。
「ナミさん。困うようなことでも、ああかいね?」
「いんや。そげだない(そうじゃない)。そげだないだども……」
竹子の顔が、ますます、くもる。
すると、竹子は、とつぜん、妙なことを言いだした。
「……ナミさん。あのことなら、わは気にさんよ」
あのこと?
竹子は何を言っているのだろう。
「わは、あのとき、まだ子どもだったけん。意味が、わからんだった。大人になってから、ああ、そぎゃんことだったかと……でも、誰にも言っちょらんけん」
いよいよ、意味不明。
竹子が日本語を話してないような気さえする。
「竹ちゃん。なに言っちょうで? あのことって?」
「ナミさんが、誰にも知られたくないのは、わかあよ(わかるよ)。わも、こぎゃんこと、言いたくなかったに。二十年前の……あのことだわね」
二十年前——
もしや、竹子は、あのことを言ってるのか?
あれは、川上一家が惨殺される、数日前のことだった。いつものように、魚波は滝つぼへ向かっていた。茜や砂雁の姿をさがして。
そのとちゅう、吾郷に出会った……。
たぶん、魚波の顔色は青くなっていたと思う。
「竹ちゃん……あのとき、見ちょったかね?」
「ナミさんは気づいちょらんだったども。遊んでもらわや(遊んでもらおう)と思って、ナミさんのあとに、ついちょった。ナミさんは吾郷と話して、草むらに……」
見られていた!
あのことを見られていた——
しかも、竹子はその意味を理解している。
足がふるえてくる。
ろくな弁明もできず、魚波は無言で、つっ立っていた。
「ナミさん。わは、誰にも言わんけん。だけん……」
だから、竹子といっしょになれと?
それでは、おどしだ。
魚波は竹子の手をふりほどいた。
走りだそうとした、そのときだ。
うしろから人が通りかかった。魚波たちの異様な空気に気づかないらしい。ごく普通に話しかけてくる。となりの八十助だ。
「ナミさん。タケちゃん。二人とも仲がいいねえ」
魚波と竹子は、バツの悪い思いで、だまっていた。
自分の存在が浮いてると、ようやく、八十助も感じたようだ。
「ああ。すまんだったねえ。若いし(人)のジャマしたか。年寄りは、もう帰えけん。ゆっくりしていくだわ」
魚波は、このチャンスをのがさなかった。
「こっちの話は、もういいですけん。そうより、こないだは銀次と雪絵のこと、悪いことでした。こっちの都合で迷惑かけて」
不義理をわびるていで、八十助について歩く。
竹子はついてこない。
自分が魚波を傷つけたと思ったのかもしれない。
なんとか、竹子から逃げだせた。
「結納そろえちょっただないですか?」
「いんや。まだ手配しちょらんだったけん。まあ、わは銀次と雪ちゃんが、いっしょになってごしたら、うれしかったども。こればっかりは、しかたないわね。雪ちゃんは他のしのこと、好いちょったみたいだけん」
「ほんに、すんません」
「そうより、あんたも雪ちゃんも、『巫子』にならんですんで、よかったがね。あんたんとこは、茜さんも『巫子』になっちょうけん」
「そげか。八十助さんは茜さんの幼なじみですかいね」
「子どものころは、よう遊んだが。今では昔話だどもねえ。茜さんも、あんたやつ兄妹が選ばれんで、ほっとしちょらいわ」
どうして、みんな、『巫子』に選ばれなくて、よかったと思うのだろう。
それは、魚波だって、数日前には夢にも思わなかったが。自分がこんな心境になるとは。
八十助と別れ、家に帰った。
一男が『巫子』になったことを報告する。
家族は、バンザイ三唱した。
「よかった。よかった。ナミが『巫子』にならんですむが」
「雪ねえちゃんも、すぐに呼びもどせえよ」
泣いて喜ぶ母や妹を、ふしぎなものを見る気分でながめた。
村では、大祭を何日にするかで盛りあがっていた。
夕方には、道夫と秀作がやってきた。
「あさってだと! 大祭。明日から支度すうとね。ナミさんも来てよ」
また夜が来る。
今夜は、魚波が御宿り場に入る日だった。
くやしさに涙をのんで眠りについた。
ところがだ。
翌朝。事態は一変した。
急を知らせるタイコの音。
行ってみれば、今日は熊谷の家だ。
青い顔の龍臣が告げる。
「一男が殺された」
いつもと同じだ。
致命傷をおわされたうえ、腹が切り裂かれている——と、聞かされる。
「ただな。今回は首を切断されてないんだよ。それで、一男は一命をとりとめた」
「えっ? とりとめ……殺されただないですか?」
「いや、だから、一回、死んでるんだよ。でも巫子だから、苦しんだあげく、復活した」
つかのま、ショックで口がきけない。
一度、死んでも、よみがえるのが巫子なのか。
要するに死にきれてなかったということだろうが。どこまで化け物なのか。この体は。
「さっき発見されて、竹小路先生のとこにつれてった。もう命に別状はないだろう。だが、あいつ、とんでもないことしてくれたぞ」
そう言って、龍臣は魚波の目をのぞきこんでくる。
「あいつ、ウソをついた」
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