二章 墓荒らしと連続する殺人 2—1
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夜祭は、とどこおりなくすんだ。
夜祭は本来、新たな巫子を神社に迎えるための儀式だ。例年の祭では、儀礼的なものとなる。
今回は茜が代役をつとめ、一晩、社にこもった。
社の表とびらは、大きなかんぬきと錠前で、外からふさがれる。
だが、じつは、この神社の床下には仕掛けがある。そこから出入りできるようになっている。ある年齢以上の村人なら、親から教えられ、誰でも知ってることだ。
大祭の年、今御子は、そこから社に入っていく。
新しい巫子を迎え入れるかどうか、最後の意思表示をしなければならない。
もっとも、夜祭の数日前から、『巫子』候補は御宿り場にこもる。そこで用はすんでることが多い。
要するに、御子の引き継ぎの是非だ。
受け渡しは御宿り場でおこなわれる。
しかし、なんらかの理由で、御子が新たな『巫子』に宿らない場合がある。御子が移動を拒否したときだ。
そのときには、今御子は夜祭の夜、そのむねを候補者に知らせなければならない。
『御子は、あなたを巫子にしたくないそうです』と。
夜祭はそのための儀式だ。
今回は御子の移動じたいがないから、形ばかりである。
夕刻。茜を社の内へ見送ったあと、威は言った。
「やっぱり、気になる。あれは軽すぎた」
早乙女の柩のことを言ってるのだ。
おはやしの楽器をかたづけてから追いかけた魚波は、威のひとりごとを聞いた。
まわりには祭見物の村人が、たくさんいる。
となりの米田家の親子なども。
魚波は、その場で問いただすことができなかった。
そうこうするうちに、雪絵と菊乃が両側から、威の腕にとびついた。
「早く。早く。タケにいさん。ナミにいさん。早くさんと、置いて帰えぞね」
妹たちにせかされて、魚波も、あとを追った。
そのとなりに、ふっと、ならんできたのは一男だ。
魚波と同じ巫子の幼なじみ。
深刻な顔をして、魚波の耳元に、ささやく。
「大祭。始まあね」
「始まあな」
「前例では、未婚の若い巫子が、えらばれえことが多い。わか、おまえか、雪ちゃんか、一子か……」
「お園さんや、お良さんは未亡人だ。未亡人が、えらばい(えらばれる)ことも、ああが?」
一男は問題外というように、首をふった。
「うちの親父は、一子を結婚させるてて言いだした。わにも、誰ぞ、いっしょになりたい者は、おらんかだとや(いっしょになりたい人はいないのか、だって)。
いかにも『巫子』逃れだども。わが子に苦しい思いはさせたくないのが親心だわね。ナミさんとこは、どげだ?」
「うちは……何も」
ふうんと言ったあと、一男は一世一代の秘密を告白するような口調になった。
「でも、わは『巫子』逃れなんか、さんけんな(しないからな)。わが選ばいたら、潔くなる。そう(それ)が、こうまで(これまで)、わやつを育ててごした親父への恩返しだ」
「一男……」
正直言うと、魚波は内心、あまり一男が好きではなかった。
同じ年に生まれた巫子なのに、なぜか、一男は魚波を目のかたきにしてきたからだ。
いつも冷たい目で魚波を見るし、勉強でも運動でも、なんでも魚波に張りあってきた。
まるで、どちらが優れた巫子なのか、示そうとでもいうように。
魚波には、そんな敵愾心はなかったので、とまどうばかりだ。
自分には、おぼえがないが、一男に対して悪いことでもしただろうかと、何度も自問自答した。
もしや、一男は魚波に負けたくなくて、今も、そんなことを言いだしたのだろうか。
すると、一男は魚波の考えを見透かすように、こっちの目をのぞきこんでくる。
間近で見ると、一男の顔立ちは妙に魚波に似ている。兄弟でもないのに。
「親父には、ほんに感謝しちょう。自分の子でもないに、大事にしてごした。御子さまの授かりもんだけんて」
刃物のような目で魚波を見つめて、一男は走り去った。魚波は、すくんだまま、今の一男のことばの意味を考える。
(一男が熊谷さんの子だない?)
でも、それなら、なぜ熊谷は承知の上で一男を育てたのだろう。
一男は養子だったのか? いや、一男がそうなら、一子はどうなる?
二人は双子だ。ということは、二人とも熊谷の子ではないのか。
(巫子……同い年の巫子……わと同じ年に生まれた……)
ああ、そういうことか。
すっと、合点がいく。
これまで、なぜ、一男が魚波を目のかたきにしてきたのか。
他人のはずなのに、似ているのか。
兄弟だからだ。
魚波と一男は、まぎれもなく兄と弟なのだ。
あの年、御子を宿していたのは父、魚吉だ。
魚吉は熊谷の女房に手をだして、ひそかに一男と一子を生ませたのだ。
この事実に、魚波はとまどった。
説明のつかない感情が抑えようもなく、わきだしてくる。しかし、それが、どんな感情なのか、自分でも、わからない。
人知れず、家族を裏切っていた父への怒りだろうか?
それとも、母や熊谷に対する、れんびん?
あるいは信じていた世界の崩壊に、うろたえ、おびえていたのか?
なんで、こんなことになったのだろう。
つい先日まで、魚波の世界は、まずしいなりに幸福だった。
のがれられぬ因習の戒めのなかで、一生を飼い殺しにされるのだとしても。その世界には、生ぬるい羊水のような愛が満ちていた。
今、その世界は、とつぜん破裂した。
魚波を生かしていた羊水は流れ、失われてしまった。
この世は汚いのだと、魚波に真実をつきつける。
(同じだ。親父も、吾郷も……)
泣くまいとするのに、魚波は必死だった。
ここではダメだ。まわりの目がある。祭を家族で見物する人々の目が。
バカみたいに幸せそうな人々のなかで、魚波一人が泣きだせば、頭がどうかしたと思われてしまう。
魚波は人をつきとばして走りだした。
家には帰りたくない。
でも、こんなときに行く場所がない。
目的もなく、足の向くままに走った。
いつのまにか、人ごみをぬけていた。あたりに人影はない。気づくと村の南端に来ていた。山腹の斜面に茶畑が続いている。
日は急速に落ちていく。血のようにドロリと焼けた空に、茶畑のしげみが黒く浮きあがる。蛇行する大蛇のようだ。
魚波は、そこで、すわりこんだ。
声をはりあげて泣いていると、しばらくして、背後に足音が追ってきた。息をきらした威が、やってくる。
「どうしたんだ? 魚波。雪ちゃんたちが、ビックリしてたぞ」
魚波は、そっぽをむいた。でも、涙は止まらない。おえつを飲んでいると、威が、となりに腰かける。
「泣きたいなら泣けよ。気のすむまで」
大きな手で頭を抱きよせられると、ガマンできなかった。涙があふれる。魚波は威の胸をかりて泣きじゃくった。
「こんな村、出ていきたい。威さん。今すぐ、出ていきたい」
威は何も言わず、魚波の肩をたたく。
その手のぬくもりが、とても、ありがたかった。
その瞬間、魚波は本気で夢見ていた。
村をすて、家族もすて、威と二人で旅に出ることを。
威の言ったように、世界の果てまで渡っていけたら、どんなに楽しかろうと。
以前、威の話してくれたオーロラというものを見てみたい。
空に緑や赤の光のカーテンが舞うのだそうだ。
威も、それを見たことがないと言った。
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