一章 因習と過去の惨劇 3—3
みんなは微妙な顔つきになった。
かわいそうに。こいつは知らないんだな、という顔だ。
いや、かわいそうではない。
威は、よそ者。
本来なら、あの『キジ肉』を与えられる権利はない。これは、よそ者の威にとって、このうえない恩恵なのだ。
言いかえれば、威の存在を、村人の多くが許してるということだ。
キジは、いったん祭壇にかざられた。が、すぐに、さげられる。血抜きして冷暗所で保存しておくという名目で。
男たちは帰りじたくを始めた。
神社のかざりつけも、おおむね終わっていた。
社のまわりや石段わきの桜並木に、ちょうちんをかけた。社の床下を紫と白の幕でおおった。
明日は夜祭。
そのときには、すべてのちょうちんに灯がともる。
「茜さん。わも、ぼちぼち(そろそろ)帰えわ」
魚波が言うと、茜は、さみしげになった。
「気をつけて帰えだよ。ナミちゃん」
ぐっと、こらえるような目で手をふる。
けいだいを出ると、夕暮れの空に、うるさいほど赤トンボが舞っている。
あぜ道の向こうから、雪絵が、おさげ髪をゆらして、かけてきた。
「男し(男の人)が帰ってきたって聞いたけん」
威を迎えにきたのだ。
「タケにいさん。タケにいさん。どげだった?——あ、ナミにいさん」
じつの兄さえ、ついでだ。
威は、どう思ってるのか知らない。でも、雪絵は威が大好きなのだと、見ているだけでわかる。
もし、威が雪絵と夫婦になって、村の人間になってくれれば……それもいい。
そうすれば、ずっと、いっしょにいられる。
「じゃ、ナミさん。わは、こっちだけん」
道夫と秀作が西の方角へ去っていく。
銀次は隣家なのに、いつのまにか、いなくなっていた。きっと、仲よく笑いあってる威と雪絵を見ていられなかったのだ。
(巫子は巫子と結婚すうのが一番、幸せだども……)
寿命の異なる常人と巫子の婚姻は、かならず行く末、不幸になる。
ほぼ確実に、巫子が、とりのこされる。
配偶者が百まで生きたとしてもだ。巫子は残りの二百年を孤独に生きることになる。
巫子のなかには、戸籍を登録しなおしたあと、再婚する者もある。
でも、それは男の場合だ。封建的な農村では、女の身持ちについては、うるさい。
それに、みんなが長命なので、あまり子どもの数が増えすぎても困る。
山間の盆地では、耕作地が絶対的に、かぎられている。
それやこれやで、女の再婚は、あまり喜ばれない。
配偶者を亡くした巫子は、村人の目をさけて、都会へ働きに出ることがある。だが、最後には、かならず村へ帰ってくる。
白変が始まれば、町では化け物として迫害される。
どうやっても、巫子は藤村から逃げだすことはできない。
だから、けっきょく、最初から同じ寿命の相手と結ばれることが幸せなのだ。それなら、死ぬまで二人で労苦をともにできる。
雪絵なら、さしずめ一男か。
魚波は、その妹の一子。
とはいえ、魚波は一子に対して、なんの恋愛感情もいだいてない。結婚しろと言われても、イヤだと答える。
三百年生きる化け物でも、人間なのだ。
感情を持ってる。
ぼんやりと考えながら、家路をたどる。
ニワトリを鳥小屋に入れる、トラさんに出会った。
もちろん、猛獣のトラではない。
おトラさん。人間だ。寅年生まれだから、トラ。名前は勇ましいが、気立てはウサギのようにおとなしい。
「ばんじまして(夕方のあいさつ)」と、笑って頭をさげてくる。こっちも頭をさげた。
そういえば、この人は同い年の巫子と結婚した常人なんだっけ。
みんなに、かっちゃんと呼ばれている亭主の車田勝は、今ではトラさんより、ひとまわり年下に見える。
でも、おトラさんも四十なかばのわりには、ずいぶん若く見える。村では「ああ(あれ)はトラなけん。亭主の腕、かじっただないか」などと、冗談口にされている。
「——なあ、魚波。明日は夜祭なんだろ? みんなで見物に行こう」
急に声をかけられて、魚波は我に返った。
威が心配げに、魚波の顔をのぞきこんでいる。
「やっぱり元気がないなあ。なんか変だぞ」
「……そぎゃん(そんな)ことないが。威さんは心配性だないか」
「そりゃ心配するよ。友達だからな」
ぐっとくる。
威は、ずるい。
なんで、こんなふうに自由にふるまえるのだろう。
(わも、よその村に生まれちょったら……)
でも、それは今さら言ってもしかたない。
もう一度、母の腹に帰って生まれなおすことはできない。
そのときだ。
急を告げるタイコの音がひびいた。たたきかたが激しい。村に異変が起きたのだ。
「わが行ってみいわ」
「雪ちゃん送ったら、おれも行く」
魚波は走った。
八頭家の前まで行くと、次々に青年たちが集まってくる。
龍臣が青い顔で言った。
「早乙女がいない。みんなで手分けして探してくれ」
早乙女が……いない。
あの手紙のせいだ。
魚波の足元に寒気が、はいあがってきた。
悪い予感がする。
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