一章 因習と過去の惨劇 2—1
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「父さん。わが行ってみいわ」
魚波はかけだした。
「おれも行くよ。魚波」
あわててヤカンに口をつけ、番茶を飲み、威が追いかけてくる。
二人で走っていった。
タイコの音は、村の北側。八頭家の屋敷から聞こえてくる。八頭家のとなりが、不二神社だ。
かけつけると、屋敷の門前に、八頭龍臣(たつおみ)が立っていた。青年団の団長だ。
八頭家の現当主、龍昇の息子ということになっている。でも、じつは、龍臣のほうが龍昇の祖父だということは、村人のあいだでは、周知の事実だ。
龍臣は巫子で、たしか、百八十さいぐらい。
「たっつぁん。そろそろ、集まったみたいだが」
龍臣のとなりで、そう言ったのは、大西将一だ。
大西は、さらに年上。
享保生まれの二百二十さい。
外見上、青年団に属しているものの、本当は長老の一人だ。本名は大西将左衛門のはず。
巫子は長寿すぎる。
戸籍をそのまま残しておくと、外の人間に不審に思われる。
そこで数十年に一度、自分の息子や孫として、登録し直す。
明治までは、そこまでしなくても、ごまかせたらしい。現代では、何かと、めんどうだ。
大西も、こうして、昭和の名前を手に入れた。
「もう始めらや(始めよう)」
「そうですね」
龍臣は、うなずいた。
集まった村の青年たちに告げる。
知らせは、凶報ではなかった。
「秋祭の日取りが決まった。次の日曜だ」
青年たちは、ざわめいた。
今日は月曜だ。日曜なら、一週間後。ずいぶん、急な取り決めだ。
吾郷が近くまで来ていることが影響してるのかもしれない。早めに大切な祭をすませておこうということか。もしものことが、ある前に。
「土曜は夜祭。金曜には、キジ撃ちだ。キジ撃ちに参加しようという者は、手をあげてくれ」
キジは、藤村の祭では、とても重要な意味をもつ。
祭の主役と言っていい。
数人が手をあげた。
そのなかで、威が挙手した。
「おれも行っていいだろうか?」
魚波は、おどろいて、威を見あげた。
思ったとおり、村人は微妙な顔をしている。
威には、だまってあるが、秋祭で使うキジ肉は、ただの鳥肉ではない。村の秘密にかかわることだ。
おととしと去年、威は何も知らず、その肉を食べているのだが……。
こまったように、龍臣は頭をかいた。
「銃がないだろ?」
龍臣は戸籍ねつ造のさいに都会へ出ている。
そのため、ことばに訛りがない。
服装も、パリッとした洋装だ。村人は、ほとんど和服なので、龍臣の洋装に、あこがれてる者も多い。
威も村に来たときは洋装だった。
今では、父、魚吉のお古の、くたびれた着物だ。
威は、ひたいの秀でた西洋風の顔立ちなので、洋装のほうが似合う。
すっかり村男みたいな威が、あかぬけた服装の龍臣とならぶと、魚波は、わけもなく申しわけないような気持ちになった。
なんとなく、本来の世界から、威を引き離してるみたいで。
「銃は魚吉さんに借りればいい。なあ、魚波?」
よこがおを見つめていると、とつぜん、声をかけられた。魚波は、あわてた。
「う……うん」
藤村では、どの家庭も、農閑期に猟師や炭焼きを副業にしている。
あるいは害獣駆除のために、猟銃は、どの家庭にもある。なかには、日本刀を所持している家もあった。
水田家にも、害獣駆除用の猟銃が一挺ある。
昨年、威は、これでイノシシを射止めている。
たしかに、腕はいい。
でも、そういう問題ではないのだ。
あの肉は特別な肉だから。
村人以外に、その正体を知られるわけにはいかない。
「いいわね」と言ったのは、大西将一だ。
「祭の準備は神事だけん。村のし(村人)だない東堂さんに見せえわけにはいかんけど。キジ撃ちくらいなら、いいだないかね」
長老の大西が言うので、龍臣も、うなずいた。
「じゃあ、東堂さん。金曜の朝六時に、うちの前まで来てくれ。ほかの参加者もだぞ」
というわけで、威は晴れてキジ撃ちに行くことになった。
たしかに、キジをさばくところさえ見せなければいいのだ。
それで解散となった。
魚波は威とならんで帰っていく。
「威さん。なんで、キジ撃ちなんか行くかね?」
「恩返しだよ。いつも、村の人のお世話になってるから」
そう言われれば、返す言葉もない。
この刈り入れどきの農繁期に、男手をとられるのは、どの家も苦しい。
「そげか(そうか)。でも、気をつけてごしなはいよ(気つけてくださいよ)」
「心配ないよ」
くしゃくしゃっと、威の大きな手が、魚波の髪をかきまわす。
そのとき、背後から声がした。
「おーい。ナミさん。威さん」
幼なじみの池野秀作、安藤道夫、米田銀次だ。
銀次は、となりの米田家の次男坊。 喜蔵の息子だ。雪絵と同い年の二十四さい。
三人とも魚波と同年代だが、例のごとく年上に見える。
「銀ちゃん。今日は穂積の手伝いに来とらんだったね」
「うん。ナミさん。わは道夫んとこの手伝いに行っちょう」
銀次と道夫は、いとこだ。
ちなみに、道夫は魚波の、ふたいとこ。秀作は母方のいとこである。銀次とは、父どうしが、いとこ。
せまい村のなかで何代も婚姻をくりかえしてるので、たいていの家は親類縁者だ。
「まあ、そうなら、しかたないわね」
「道夫んとこが終わったら、あとで行くわ」
「うん」
そこで銀次は、くるりと、威に向きなおる。
「威さん。キジ撃ちには、わも行くけんな。どっちが、よけ(多く)撃つか、競争だぞね」
銀次は闘争心むきだしだ。
どうも、銀次は、威のことが気にくわないらしい。それは威が、よそ者だからというより、銀次が雪絵のことを好きだからではないかと思う。
雪絵が「タケにいさん。タケにいさん」と、威についてまわってるのが、しゃくでならないのだ。
「ああ。いいよ。でも、おれは猟は初めてだから、分が悪いな。まあ、お手やわらかに」
威は微笑で、かるく受け流している。
なんでもできる威だが、そういえば、ムキになってるとこを見たことがない。
人当たりもいい。誰にでも公正で、やさしい。
けれど、どことなく、心の内には誰も入れないような、そんなふんいきがある。
「初めてじゃないがね。ボタンなべ。うまかったわ。畑にイケズすう(イタズラする)イノシシ、わも狙っちょったに。今度は負けんけんね」
銀次は言うだけ言って、足早に去っていった。
道夫や秀作も銀次を追っていく。
「威さん。競争なんかさんでも、いいけんね。銀次が勝手に言っちょうだけだけん」
威は妙な顔で笑っている。
「この村の人は変わってるなあ。なんで、銀次や竹子さんは、うんと年下の魚波を『さん』付けで呼ぶんだろう。そのくせ、魚波は二人に対して、いばってる。
八頭さんなんか、団長で村の権力者だ。なのに、なんでか、将一に気をつかうし」
威はカンがいいので困る。
こんな田舎では、昔ながらの年功序列と男尊女卑が、色濃く残ってる。ただ、外から来た威には、そう見えていないというだけ。
十七、八の少年の魚波が、七つも八つも年上の相手に、ごうがんに、ふるまってるように見えるのだろう。
(今度からは、もっと気をつけらんと……)
ほんとは、明かせるものなら明かしたい。
いつまで、こんなこと続けていればいいのだろうか。
「威さん……」
「長寿の村だと聞いたから来てみたんだが。ふつうだしなあ。むしろ、まわりの村より年寄りが少ない気がするよ」
それは老いない者が多いからだ。外見で長寿らしい年寄りは少ない。
「……長寿の村なら、なんだった?」
「長寿の秘訣を教えてもらおうと思って」
威は白い歯を見せて笑った。
本気で言っているのかどうか、くみとれない。
でも、なぜだろう。
笑顔が、さみしげに見える。
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