一章 因習と過去の惨劇 2—2
*
翌日から、村は大わらわだ。
祭の準備もしなければならない。祭までに刈り入れをすまそうと、仕事にいそしんだ。
村じゅうがバタバタしてるなかで、ひそかに事件は起こった。いや、それは、まださきに起こる大事件の予兆にすぎない。
気づいたのは、魚波一人だ。
キジ撃ちの前日。
木曜日のことだ。
その日、魚波は父に代わって、神社に奉納米をおさめに行った。
八頭家のとなりにある不二神社は、小高い山の上にあった。鳥居をぬけ、石段をのぼっていったさきに境内がある。
神社は、もう飾りつけを始めていた。
八頭家の下男や下女。手のあいた村人。交代で手伝っている。
指図してるのは、神社の『巫子』の茜だ。
ここで言う『巫子』は、言葉本来の意味の巫子だ。
神に仕えるシャーマンである。
藤村では、『巫子』は巫子のなかから選ばれる。八十年に一度の大祭で、新しい『巫子』を迎え、年とった『巫子』を
『巫子』は特別な役割をになう大切な役目だ。
どうしても生まれながらの巫子か、少なくとも元御子、今御子でなければならない。
巫子は『巫子』の候補者のこと。
それが村人のあいだで、長年のうちに『巫子』と同義で呼ばれるようになったのだ。
「茜さん。うちからの奉納米ですが」
魚波は小さな米俵を神社の入り口に置いた。
茜がふりかえる。
白無垢の着物に緋袴の茜。
魚波の父方の大伯母である。
そのせいか、容姿は魚波に似ている。
威に言わせれば、魚波は鈴木春信のえがく若衆のようだという。小柄で中性的で古風な顔立ち。
茜も浮世絵のような、切れ長で色白の美人だ。
巫子には美人が多い。
どういうわけか、御子はメンクイなので、容姿端麗な村人に宿りたがる。
容姿のととのった親から生まれる巫子は、たいてい美形だ。
その巫子が長く生きて、多くの子を生み、子どもたちが村人と結婚する。そのくりかえし。
したがって、藤村の人間は総じて美男美女となる。他村とくらべれば、その差は歴然だ。
そういえば、威が言っていた。
初めて村に来た日のこと。
そまつな着物を着た村人が、どの人も、どの人も、みな美人や美男なので、キツネの里に迷いこんでしまったと思ったと。
「魚波なんか、度肝ぬいたなあ。わッ、ものすごい美少年が、ものすごく、なまってる!——って思ってさ」
そう言って、威は笑っていた。
だが、じつのところ、藤村はキツネの里より、はるかにタチが悪い。
キツネは人をばかして、からかうだけだ。しかるに、この村では、秘密を守るためなら、なんだってする。
「ナミちゃん。来てごしたかね。ほんなら、ここに名前、書いてね」
茜が奉納帳をさしだす。
すでに帳面には、多くの村人の名が、つらなっている。
最後尾に父の名をしるす魚波を、茜は社の階段の上からながめていた。
魚波が書きおわると、まるで小さな子どものお使いみたいに、魚波の頭をなでる。
茜は未婚で神社の巫子になった。自分の子どもがいない。
なんでも聞いた話では、若いころ(見ためは今でも二十代)には大恋愛をしたことがあるらしい。が、けっきょく、その人とはいっしょになれなかった。
だから、弟の子である魚吉や、その子どもの魚波を、自分の子のように可愛がってくれる。雪絵や菊乃にも優しいが、とくに魚波には愛情をそそいでくれる。
残念ながら、神社の巫子になると、俗世間とのまじわりを絶たなければならない。
八頭家の屋敷に移り住み、ふだんは人前に出られない。俗名もすて、戸籍上は死亡あつかいだ。
神社の巫子が自由に外に出られるのは、この祭のあいだだけだ。
「ナミちゃんは、わの若いころに、よう似ちょうね。みんなにはナイショだぞね」
すばやく魚波のたもとに手をつっこんできた。たもとのなかをたしかめてみると、和紙にくるんだ包みがある。
たぶん、菓子だ。会うと、いつも村人には買えない高級な菓子をくれる。
神社の巫子の生活は八頭家が見てくれる。きれいな着物を着て、食べるものにも困らない。
しかし、そのゼイタクには犠牲が、ともなってる。凄惨な犠牲が。
魚波は子どものころから、人目を忍んで八頭家の敷地に入りこんでいた。
茜や、茜の前の巫子の
「茜さん。今年は誰が『キジ』の番だ?」
魚波が案ずると、茜は笑った。
「心配さんでも、今年は早乙女の番だが」
早乙女は川上サトの巫子名だ。
一家が惨殺された夜、一人だけ生き残ったサト。そのまま、神社の巫子になっている。
「そうならいいけど。ねえ、茜さん。こないだ、父さんやつが八頭さんとこに行ったが? 八頭のだんさん(だんなさん)から聞いたかいね?」
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