一章 因習と過去の惨劇 1—3
「
父と隣人は、村の神主の屋敷へ向かっていった。
一人残された魚波は、ぞっと肩をふるわせた。殺人犯が、ふもとの町まで戻ってきた。それだけでも恐ろしい。でも、魚波には、それ以上に恐れる理由がある。
(あのこと……誰にも、知られたくない)
ぼんやりしていると、背後から声がした。
「おーい、魚波。早く来いよ。おまえの好きな羊羹、買ってきたぞ」
戸口から顔をだして、威が笑ってる。日に焼けた顔に、白い歯がのぞく。
ほんとに、ふしぎな人だ。
彼の笑顔を見ると、なんとなく安心できる。
「羊羹? 食べる。食べる。待って。いま行くけん」
「早くしないと、雪ちゃんと菊ちゃんが、ハイエナみたいに狙ってるぞ。ハイエナなだけに、『はい、ええな』なんてな」
「………」
威は、なんでもできる。六尺ゆたかな男前だし。だが、しょうもないダジャレを言うのだけが、玉にきずだーーと、魚波は思う。
「ハイエナって、なんだかいね?」
「アフリカに生息する肉食獣だよ。犬の仲間らしい」
「狼みたいなもんだあか」
「あれ? アフリカはどこ、とは聞かないんだ」
「たけるさん。わあてて(私だって)尋常小学校は出ちょうよ。世界地図くらい、習ったけんね」
「ごめん。ごめん。にらむなよ。魚波は女の子みたいな顔して、気が強いなあ」
「たけるさんが、わ(私)のこと、バカにすうけんだ」
にぎりこぶしで、背中をぽかりとやる。
威は笑いながら顔をしかめる。
しまった。巫子は常人より筋力が強い。小柄な魚波でも、大男の威と同じくらいの力がある。ちょっと、きつすぎたか。
「イテテ……おまえと雪ちゃんは、怒ると、すごいバカ力だすからなあーーさ、早く、なかへ入ろう」
威が魚波の肩を抱く。
ああ、そうかと気づいた。
バカにしたのではない。魚波の元気がなかったから、わざと、からかって、はげましてくれたのだ。
だから、この人といると安心する。
最初は赤の他人だったが、今では本当の兄のように思う。
ずっと、うちにいてくれたらいいのにーー
でも、それはムリな話だ。
今は、まだいい。三年たっても、子どもっぽいまま成長しない魚波や雪絵を見ても、威は怪しんでない。
でも、十年、二十年たてば、さすがに、おかしく思うだろう。
いつまでも、今のままではいらない。
それでなくても、うちには菊乃がいる。
菊乃は魚波の十一さい下の末妹だ。
ただし、巫子ではない。父が御子を誰かに渡してしまったあとにできた子だから。
ふつうの家庭なら、ただの年の離れた兄妹ですむ。でも、水田家においては、大問題だ。
上の二人は巫子で、菊乃は、そうじゃない。
おかげで、最初は小さかった菊乃が、またたくまに魚波と雪絵に追いついてきた。
今では三人、年子みたいになってる。
この三年間で、菊乃だけが、ぐんぐん背が伸びても、威は成長期だからとしか思ってないようだ。
でも、このあと、菊乃は、あっというまに魚波と雪絵を追いこしていく。一人だけ急速に大人になる。菊乃のほうが年上の姉に見えるだろう。
いくらなんでも、威も怪しむ。
父母も、そろそろ本気で、今後の威との関係を思案してるようだ。よそ者を家に置くのは限界だと。
あと五年? 少なくとも三年はともにいられるだろうか?
なんとなく、暗雲が目の前にせまってくるような気がした。
それが、二週間前。
あれから魚波は落ちつかない。刈り入れ作業のあいまにも、つい、キョロキョロ、まわりをうかがってしまう。
今にも、あぜ道を歩く吾郷の姿が見えるのではないかと。
しかし、目に入るのは、秋晴れの空と、あぜ道のわきを赤く染める彼岸花だけだ。
「ナミさん。なに、よそ見しちょうで?」
声をかけられ、魚波はふりかえった。
手ぬぐいを姉さんかぶりした竹子が、刈り入れの手をとめて、こっちを見ている。
今日は竹子の実家、穂積家の収穫を手伝っているのだ。
竹子は穂積家の長女。魚波と同い年の幼なじみだ。しかし、今では、竹子はすっかり大人の女だ。見ためは近所のお姉さんという感じ。
竹子は、まだ独り身だ。農村では、とっくに結婚してる年である。
竹子は美人なので、それなりに求婚はあったはず。
なぜ竹子が結婚をしぶってるのか、わからない。
「べつに。なんでもないが」
「そげかね(そうなの)? 誰ぞ、さがしちょうかと思った」
ギクリとする。
吾郷の影におびえてることに気づかれたかと、かんぐった。が、
「このごろ、ナミさんは威さんのあとばっか追いかけまわして。あの人の子分みたいだずね(子分みたいだよ)」
威は今、魚波たちとは離れていた。雪絵と菊乃に、はさまれて笑ってる。この距離なら、魚波たちの話し声は聞こえない。
「人聞きの悪いこと言わんでごせや(人聞きの悪いこと言うなよ)。威さんが、わをイジメちょうみたいだがね」
「そげだないけど……吾郷のことも、ああけん(あるから)」
急に吾郷のことを言われて、おどろく。
吾郷のことは、まだ村人には知らせてない。みんなを不安にさせるからと、村の顔役、八頭家の当主が父たちに口止めした。
「吾郷が……どげした?」
「吾郷も、威さんも、よそ者だけん。わは子どもだったけど、人から聞いたけんね。サトさんとの仲を許してもらえんで、あぎゃん(あんな)ことになったって話だが?」
サトは巫子だ。
他村の男との結婚など、ゆるされるわけがない。
五十年たっても、嫁いだときのまま年をとらない嫁なんて、化け物以外のなにものでもない。
とうぜん、サトの両親や長老が猛反対した。
おまけに、サトは不二神社の『巫子』になることが決まっていた。
皮肉にも、吾郷が凶行におよんだ、あの日。
サトは『巫子』を迎える夜祭の儀式の最中だった。家をあけていたため、サトだけが命びろいしている。
吾郷が本当に戻ってきたのだとしたら、きっと、仕損じたサトを狙っているのだ。
あの事件当時、竹子は、まだ子どもだった。当時の記憶はないだろう。が、有名な話だから、人づてに聞いたに違いない。
「変なこと言うなや。なんぼ(いくら)よそ者でも、威さんは、あぎゃんこと、すう人だない」
強い口調で言うと、竹子は、だまった。
竹子のせいで、ますます魚波はイライラした。
こんな生活が、いつまでも続かないことは、魚波だって、わかってる。
(威さんが、ほんに、わの兄貴なら、よかったに……)
暗い気持ちで午前中の仕事を終えた。
あぜ道に、みんなが集まって、にぎりめしをほおばった。
そのときだ。
ドンドンと、タイコの音が村に、ひびいた。
あれは急用を知らせる青年団のタイコの音だ。火事や水害などの非常時のほか、大切な伝令のときにも使われる。
なにしろ、この村で電話のついてるのは、八頭家と駐在所だけだ。
タイコの音を聞いて、魚波は、とびあがった。
やっぱり、吾郷か?
吾郷が帰ってきたのだろうか?
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