一章 因習と過去の惨劇 1—2
*
世の中には説明のつかないことがある。
鬼火や神隠し。キツネに化かされた話は、昭和に入った今でも、ときどき耳にする。
とくに、こんな山奥の秘境の村では。
キツネもタヌキもカッパも、親しい隣人だ。
都会では、はでに鳴りさわいだという大正デモクラシーも、この藤村までは届かなかった。
村では洋装の男子は数えるほどだし、女にいたっては、日本髪も多い。
昭和恐慌のせいで、世間は、みぞうの大不況だそうだ。が、それも、この出雲の奥地、藤村には影響しない。
ここは陸の孤島だ。
村民はほぼ自給自足。他村との交流を嫌い、よそ者を徹底的に排斥する。
わずか二百名ばかりの閉ざされた世界を、はるか昔から守り続けている。
なぜなら、この村には大きな秘密があるから。
そもそもの始まりは、千年か、二千年前。あまりにも昔のことで、はっきりとは、わからない。伝承では弥生時代かそこら。
古代出雲王国の栄えてた時代だ。
山中で村人が神秘的な男を見つけた。
それが、不老不死の御子だ。
それからというもの、村ではふしぎなことが起こる。
たとえば、
父の魚吉は、以前、御子を宿していた元御子なのだ。寿命は二百さいくらい。
魚波と妹の雪絵は、もっと寿命が長い。三百さい。父が御子だったときに誕生した、生まれつきの巫子だから。
そう。世の中には説明のつかないことがある。
きっと藤村以外では、魚波は妖怪変化のたぐいだろう。
生まれて四、五年で、十五さいの体に成長した。そののち、二十年かけて、ようやく二十歳の肉体になった。
そこで成長は完全に止まり、死ぬまで老いることはない。
それどころか、手足がちぎれても生えてくる。歯がぬけても生える。
手のひらまで貫通するほどのケガでも、ものの数分で治る。
もちろん、魚波は、まだ、それほどの大ケガをしたことはない。でも、自分が、そういう体質だということは、父から聞いていた。
藤村は、不二の村。
不死の御子をあがめる村。
この村にいるかぎり、魚波は化け物と、ののしられることはない。安全に、そして幸福に暮らしていける。
魚波は、そう信じていた。
あの事件が起こるまでは。
事件の始まりは、今になって思えば、あのときだろうか。
二週間前だ。
ふもとの町まで、父が塩を買いに行った。塩だけは、さすがに村では手に入らない。
となりの米田喜蔵に、ついてきてくれと、父は頼まれたのだ。というより、助手の
威はふしぎな男だ。
三年前、ふらりと村にやってきた。
年は魚波の一つ上。民俗学に興味があるんだ、なんて言ってるが、どうも、そんなふうじゃない。
よそ者を嫌う藤村において、当然、最初は、つまはじきにされていた。村には旅館もないし、村人は外からの侵入者には口もきかない。
どうやら、初めのうちは、神社の床下で野宿してたようだ。魚をつかまえたり、山菜を食料にして。
それで、村をうろつくうちに、いつのまにか、村に、とけこんでいた。
もっと言えば、魚波が釣られたんだと思う。
魚波の実家の水田家は、副業が茶屋だ。本業は農業。出すのは、しぶい番茶や野菜の煮物。
威は、それを目当てに、毎日、やってきた。そして、彼が旅した、よその土地のことを、おもしろおかしく話した。
鳴門の渦潮とか。天橋立。北海道の地平線。近くて遠い松江城。出雲大社……。
もっと、もっと。もっと話して——と、せがむうち、威は水田家に入りこんできた。農作業を手伝ってくれた。お礼に晩ご飯をごちそうした。
すると、すっかり、水田家で寝泊まりするようになっていた。水田家を足がかりに、じわじわ、村人をとりこんでいった。
ほんとに、たくましい。
威と暮らして、すでに三年。
もちろん、御子や村の秘密は明かしてない。でも、今では家族の一員だ。
なんといっても、威は頼りがいがある。
体格がいいから、力仕事は楽勝。頭もいい。
放浪中に、たいがいの仕事は経験したという。水道管の修理だの、電気の配線だの、器用にこなしてくれる。
それに、なんといっても買い出しだ。
威が交渉すると、どんな店でも半値で買える。逆に米を売りさばくときは、三倍の値になる。今では買い出しの助手を、威に頼む村人も多い。
あの日も、そうだった。
二週間前。
米田にたのまれ、父は威と、ふもとの町まで買い出しに行った。威、父、
八十助は百さいをすぎてるはずだが、背筋もまっすぐで、元気そのもの。
藤村では巫子や元御子以外の常人も長生きだ。そこには、ある理由がある。
とにかく、四人は早朝、出かけていった。
藤村の周囲は、すべて山に、かこまれている。ふもとまでは峠をいくつも越えていかなければならない。
朝早く出ていっても、帰りは夜だ。
帰ってきたとき、父たちの顔つきが妙だなとは思った。
「どげした(どうした)かね? 父さん。なんか、あったかね?」
魚波がたずねても、父は、あいまいに首をふる。威がいるせいだと、目の動きでわかった。
つまり、威の前ではできない話だ。
威は察したのか、屋内へ入っていった。
それを見送って、父は小声で打ちあける。
「二十年前のこと、おぼえちょう(おぼえてる)か?」
二十年前に起きた、よそ者には語れない事件。そんな事件は、ひとつしかない。
「川上さんちのことかね?」
父は、うなずいた。
そのころ、魚波は五さいだったが、体は十五だ。事件のことも、おぼえてる。忘れられるわけがない。凄惨な事件だった。
この平和な村で、殺人事件が起きたのだ。しかも、一家惨殺だ。それは当時、新聞記事にもなった大事件だ。
川上家の長女サトが交際していた男に、一家が皆殺しにされた。祖父母、両親、サトの妹キヌ、弟の太郎だ。
犯人は吾郷靖彦。となり村の男だ。
吾郷は町に逃亡し、今も、つかまってない。
村では、あの事件は今も語り草だ。なにしろ、猟奇的な事件だった。
川上一家は殺されたあと、首をはねられていた。家のなかは血の海で、タタミが真っ赤に染まっていたという。
なぜ、この事件をよそ者に語れないかというと、わけがある。この村特有のわけが。
殺された川上一家は、全員、巫子と元御子だった。死体の状態が、ふつうじゃなかった。
そのため、警察が来る前に、村の長老たちが死体をうずめた。そのことで県警には、だいぶ、しぼられたのだそうだ。
それやこれやで、この事件をよそ者に語ることを、村人は好まない。
「あのことが、どげか(どうか)したかね?」
父は険しい顔になった。
「町で、吾郷を見たが」
魚波の全身から、すっと血の気がひく。
「見間違いだないか?」
「いんや(いいや)。ああは(あれは)吾郷だった。なあ、よっちゃん。八十助さん」
喜蔵も八十助も断言した。
「まちがいねが。ここにホクロがあったけん」
喜蔵は自分の左目の下を指さす。
魚波もおぼえてる。
吾郷の泣きぼくろのある、優しげな顔。役者のような甘ったるい顔で、あんな残忍な犯行におよぶようには見えなかった。
「あのし(あの人)は大阪に逃げこんだてて、警察の話だなかったか?」
「そぎゃん話だったども(そんな話だったけど)」
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