おやすみなさい ~吾輩は猫である・現代版~
賢者テラ
短編
我輩はネコである
名前はまだない
……と言いたいところだけど ある
正確には『あった』と言ったほうがいいのかなぁ
私は今、毛布の入った段ボールの中でミャーミャー泣いている
捨てられちゃったの
今まで前の主人が呼んでいた名前があるにはある
でもね もうその名前思い出したくないの
辛くなるから
今までの楽しかった思い出は全部——
こうして捨てられたことで灰色がかった色のない映像に押し込められた
人間たちのもので例えるとオセロゲーム
白優勢だったのにある一点が黒になっただけで
ほとんどが黒にひっくりかえされちゃうみたいな
皮肉な事に私は黒猫だ
雨がしみこんできて冷たい
せっかくの毛布もびしょびしょで役に立たない
私は寒さに震えた
箱を飛び出して野良猫として生きることはできない
私は家猫
外の世界を知らずに生きてきた
怖くて箱の外に出られない
保健所に送られたほうがよかったかもね
同じ死ぬなら寒さと飢えと乾きで死ぬより
注射でも打たれてフッと死ぬほうがよかった——
人間どもは私の入った箱には見向きもせず
足早に傘を手に道を通り過ぎていく
まぁ期待はしていないけど
どうせ近寄ってきても
保健所に電話するか連れて行くかするだけの目的でしょうね
きっと
私の前に人が立った
まだ若い女性だ
私を抱き上げるでもなく
何か喋るでもなく
傘をさしたまま箱の前でじっとしている
10分ほども眺めていただろうか
ヘンだな
傘をさしているから顔は濡れるはずないよね
あ そうか
もしかしたら泣いているのかな?
正直泣きたいのはこっちだったけど
人間は人間で猫が想像もできないような辛さがあるのかもって思った
私は箱ごと持ち上げられ
その女性の家らしき場所に連れて行かれた
2DKの小さなアパート
一人暮らしみたい
この展開には私も驚いた
神様ってやっぱりいるのかしらん と思った
子猫ならまだカワイイオーラと可哀相オーラが強いから
結構拾ってくれる人間は多いと思うんだけど
私みたいにある程度育ちきった猫を拾ってくれるとはね
人間の年齢で言えば私は30代半ばくらい
もう少しで若い女とは言っていられなくなるのよ
家に入ってから女性は私の体をタオルで拭いてくれた
そして初めて私に喋りかけた
「……お前も捨てられたんだね」
そ それじゃあんたも?
事情はよく分からないがこの人間の女も似たような目に遭ったらしい
「これからは一緒に暮らそ」
そう言って私のことをギュッと抱きしめてくれた
あったかい
とりあえず私はご主人様を得たようだ
捨てる神あれば拾う神ありかしらね
どう 私って博学でしょ?
「お前も女の子だね」
私のアソコをジロジロ見てご主人様は言う
……レディに向かって失礼な
そう思ったが拾っていただいただけでもありがたいので
ただニャアとだけ言って愛想をしておいた
「よし! クロネコのジジってのがアニメでいるから——」
嫌な予感がするんだけど?
「お前はクロネコのババにしよう!」
セ、センスないよ~!
ま あきらめるか
クロネコヤマトとかまっくろくろすけとか言われるよりマシだ
そういうわけでまだ中年になるかならないかの私の名は
こともあろうに ババになってしまった
ご主人様は楽しそうだ
ご主人様の休日は不規則で
土日はゼッタイに出かけていく
人が休みの時ほど忙しい仕事らしい
今日は火曜日
ご主人様は午前中ペットショップで沢山買い物をしてきた
「ホラ。すごいでしょ」
エヘンと咳払いをして私に買ってきたものを披露する
私はかしこまってその商品を眺めた
キャットフードに猫用のトイレ
首輪は早速私の首に装着された
どこにどう頼んでやったのか知らないけど
首輪にはきちんと「BABA」とネームが入っている
あ ありがたくねぇ~!
イヤイヤ
食わせてもらってそんな罰当たりなことは言っちゃいけない
猫だけど一部の人間ほど恩知らずではないという自負がある
感謝
休日ご主人様は一日私の相手をしてくれる
うれしいけどちょっと心配だ
人間のお友達はいないのかなぁ
私なんかと一日遊んで休みを終えちゃっていいのかなぁ
ご主人様が仕事に行っている間は当然私ひとり
でも犬ほどに寂しがりやじゃないからそれは苦ではない
最近やっとご主人様の仕事が何か分かった
風俗嬢というやつらしい
私には理解できない
猫は子を産む以外の目的でセックスなどしないから
人間ってヘンなの
年がら年中 春夏秋冬 朝から晩まで オールオッケイ発情中
そんなに子孫繁栄に関係のないセックス繰り返してどうするのって思う
そこに愛情があるならまだしもだけど
ただ欲望を満たすためだけにしていることも多いよね?
ある意味人間って
我々動物よりも動物的だって思うことがある
時々ご主人様は泣く
特に仕事から帰ってきた時が多い
私しか友達がいないっぽいご主人様は私に愚痴を言う
今日のお客は最低だ 人でなしだとか
私だって女なんだから
素人の女どもと同じようにココロがあるんだから
なるほど
仕事で色々あったんだろうね
猫だから理解してあげれない部分はある
でもご主人様のために私は一生懸命に耳を傾ける
あかんわ
さすがにご主人様命の私でも空腹には勝てへん
あら 急に私ったら大阪弁に!
それもご主人様が吉本新喜劇ばっかり見るから
つきおうてたら覚えてもーたやんか!
もちろん土日は忙しいご主人様やから録画やけどな
ご主人様帰ってくるなり愚痴に酔うてもうて
ウチのごはんのこと忘れてはる
私は手を挙げて訴える
ハイッハイッご主人さま
何ぼでも聞いたるさかいに
まずウチの晩御飯よろしゅうたのんますわ!
……あかん
こら終わるまで待たんとしゃーない
ご主人とおったらウチほんま忍耐力つくわ
「そうそう! ごめんね、ババもおなか空いたよねぇ」
ようやくお分かりいただけたみたいだ
最近のお気に入りはフリスキーモンプチっていうやつだ
カルカンよりも私的にはこっちのほうが好きだ
白子が入っていればなおよい
お腹がいっぱいになるとご主人は私に運動させる
ススキの穂みたいな猫じゃらしを振って私の気を引く
飛びかかろうとするとご主人はハッとよける
ハッ ホッ ハッ ハイッ ハイッ ハイーッ!
こないだご主人様と見た……えっと誰だっけ
そうそう、ジャッキー・チェンのカンフー映画みたいだ
師匠と弟子でちょうどこんな感じやったで?
私は幸せ
ご主人様は忘れっぽいしよく泣くけど
人間の社会では決して幸せな人生を生きてるほうではなさそうだけど
でも私には最高のご主人様
何でご主人様のような人が幸せになれないのかな
一体何が悪いのかなぁ
世界ってほんと分からない
捨てられたところを拾われた私は
ああ神様っているななんてあの時は思った
でもこの前ご主人様とテレビ見てたら
大地震が起きてすごい数の人が死んだり
快楽殺人でまったく罪のない人が巻き込まれたりして
「この世には神も仏もないのかしら」
ご主人様は私を撫でながらそうつぶやいていた
私にも何が何だかよく分からなくなってきた
神も仏も「ない」のか「ある」のか
私が拾われてから初めて
ご主人様のアパートに客人が来た
男だった
「何しにきたの」
ご主人様はあまり歓迎してないみたい
シャイで人見知りな私は押入れに逃げた
膝をつき合わせて何やら真剣に話し合っている
大きな音がした
ご主人様が殴られた
私は頭に血が上った
ご主人様をいじめるヤツはどんな理由だろうがゆるせない
押入れから飛び出て噛んでやった
「痛てええ」
その後も全身総毛立てて威嚇してやった
「覚えてろ——」
男はそう言い捨てて去っていった
「……お前は優しいね」
ご主人は私を抱いて声をあげて泣き続けた
私も一緒に泣いたよ
詳しい事情は分からなかったけどそんなことはいいの
ご主人様が泣き止んだらそれで
「オイコラ。メールが打てないぞおお」
ご主人様は怒るでもなくそう言って笑う
あああ ごめんあそばせ
なんだか居心地がよくってつい
私はご主人様のやわらかい膝に抱きかかえられる
幸せ
あなたに拾われてよかった
イケメンの雄猫をモノにはできなかったけど
子猫ちゃんたちも生んで抱けなかったけど
それでも私は幸せですよ
これでご主人様が幸せになってくれれば一番いいんだけどね
でも楽しい日々はあっという間に過ぎ去ってしまう
……疲れた
最近体がだるい
食欲がない
トイレも出にくい
私には分かっていた
もう寿命だ
ご主人様は最近よく泣きそうな顔をする
お前がいなくなったら私どうすればいいの
お願いだから私一人置いていかないで
オイオイ
猫はそんなに長生きできないってば
拾われた時私が子猫ならまだ良かったね
そしたらもっと長く一緒にいられたのに
毎朝仕事に出かける前にご主人様は私に言う
お願いだから私のいない間に死なないで
私がゼッタイお前のこと看取るんだからね
最後にアリガトウを言うんだからね
生活のために仕事を休めないご主人様は
後ろ髪を引かれるような様子でいつも出かけていく
悪い ご主人様
今日言いつけ破っちゃいそう
もう私ダメっぽい
私は床でピクピク震えた
息ができない
死を見られたくないからどこかへ行ってしまいたいところなんだけど
この家からは出られないからそれもできない
帰ってきたらご主人様泣くかなぁ
ショックで仕事休んじゃわないかなぁ
早く幸せになって欲しかった
ご主人様美人なんだよ
でもいつまでも風俗で働けるわけじゃない
ご主人様だっていつまでも若くない
神様
いたら私の最後の願いをお聞きください
ご主人様にいい男が見つかるようにしたってくださいな
ご主人様のこと優しく愛して守ったげれるようないい旦那さんを
でないと私死にきれません
実際に見ることはないけど
死んだ私を見つけたご主人様を想像するだけで辛い
来たか
私は死がすぐそばまで来たのを悟った
もう覚悟決めるしかないみたい
黒猫ババの一生はこれにて閉幕
ご主人様
ありがとね
お互い独身のままお別れやな
いつかご主人様と会った時
横に旦那さん連れてるとうれしいわぁ
……久しぶり
ああ、ババには会わせてあげられなかったけど
これ私のダーリン
あのあと出会ってね 結婚したんよ
……うわ もうアツアツやん
見てるこっちが恥ずかしなるわ——
声が聞こえた
お疲れさま
後のことは心配しなくていいからね
今はただ ゆっくりおやすみ
懐かしいような 聞いたことがあるようなその声
私は何だか幸せだった
ご主人のことはこの声に任せとけば安心
根拠はないけどそう思った
オヤスミナサイ
私は ゆっくりと 目を閉じた。
おやすみなさい ~吾輩は猫である・現代版~ 賢者テラ @eyeofgod
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