月の小舟

海星たちが磨いた星を乗せる月光のリフトとは別にある月の小舟。


これには漕ぎ手はいなくて、満月の夜に静かに夜の深淵へと降りてくる。


夜の深淵に墜ちた者の中でも、いつかの幼い子のように、まだ瞳が完全に闇色に染まっていなければ、この月の小舟に乗ることが出来る。


ただし、この舟はその資格のあるものしか乗せない。


いつだったか、何とかこの舟に乗ろうとした者がいた。

彼の目は闇色に染まりきっていて、既に闇の住人と変わりなくなっていたのだけれど、心の底に残されていた、ひと欠片の光の痕跡が月を求めさせた。


月の舟が昇っていこうとした瞬間、物陰に潜んでいた彼は走りでて、月の舟にしがみつこうとした。

でもダメだった。彼の身体は月の舟に乗るにはその溜まった澱で重くなりすぎていた。


月の舟は彼を残して昇っていく。

「待って、待ってくれ!どうか俺を月に、あの女性ひとのいる月に連れて行ってくれ!」

彼の言葉は夜のしじまに消えていくばかり。


「哀れな……」

黒猫がポツリと呟いた。


「元々、彼女を手酷く裏切ったのは、お前だったというのに」


次の満月まで月の舟は来ない。


彼はその時、また此処に来るのだろうか。



黒猫はゆっくりと尻尾を揺らしながら、今夜も夜の深淵を散歩する。


闇色に染まり切るまでに月の舟に乗せることができるものがいないかを探す為に……。

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