傘の中

賢者テラ

短編


 雨が降る


 降るのは世界への愛のため?


 それとも天の涙?


 私はどっちともだと思う



 


 急に降りだした雨


 傘など用意してきていない


 図書室で調べものをしていて遅くなった私


 この時間もう生徒はほとんどいない





 濡れるけどまぁいいや


 制服なんてすぐに乾くでしょ


 雨よ


 あなたは悪くない


 濡れて困るのは人間の都合


 もしかしたらあなたをこの身にかぶることで


 あなたは何かを教えてくれるかもしれないね——


 

 


 雨の弾幕の中に飛び出そうとしたその時 


 私は背後から声をかけられた


 よ、よお


 あら山野くん まだいたんだ


 藤見さんさぁ もしかして傘ない?


 ないわよ 天気予報でも雨なんて言ってなかったし


 へぇ あんた傘持ってんだ 用意いいわねぇ


 よかったらさ 帰る方向一緒だし……


 ここで彼は言葉を濁した


 一緒だし 何?


 ……傘 入りなよ





 山野君を見ていると面白い


 何だか焦っている 急に多弁になる


 こんなきつい雨だから外へ出るやつほとんどいないって


 見られて後で冷やかされることはないと思うぞ?


 それよかさ 濡れるとやっぱり体によくないって


 風邪ひいちゃうとまずいだろ


 誤解するなよ


 ……悪いけど 誤解させていただきます





 言葉数は多いけど


 私は彼の言いたいたったひとつのことを心で悟った


 だからね 大して突っ込まずにいてあげたよ


 フフ 私って優しい?


 じゃあ一緒に帰ろ


 ひとつの傘の下


 私たちは雨に向かって歩き始めた





 雨はさらにきつくなるばかりだ


 しかも斜めに 横殴りに降りつけてくる


 制服のスカートが膝に張り付く


 もはや傘はほとんど役に立っていない


 でも私は傘に頼った


 山野君に頼った


 雨から守ってくれるからじゃない


 もっと別の何かから





 風まできつくなってきた


 山野君は必死で傘を支えている


 手の甲に筋と血管が浮き出るほどに力を込めて


 私は黙って手を添えた


 彼の握りこぶしの上に手のひらをかぶせて包む


 そして冷えた体を彼にぴったりくっつけて寄り添う


 互いの手は冷たいし体も濡れそぼっている


 でも温かい


 おなかの底辺りからね


 とっても熱い血がドクドクとめぐってくるの





 気まぐれな天気だ


 急に雨がやんだ


 叩きつけるような雨が嘘のように止まった


 雨、止んじゃったね


 あっ? ああ


 山野君は今気付いたかのようにあわてて傘をたたむ


 何だかちょっぴり残念そう


 それはなぜ?


 私は何だか胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた


 もう傘をさしていないので 互いが至近距離にいる理由も本来はない


 でも 私は彼の真横で黙って彼の手を握る


 指がからんだ時電流でも走ったみたいに山野君の体は跳ねた


 二人はしっかりつながって歩いた



 


 あのさ ひとつ言っていい?


 何だよ


 あんたの家 過ぎたよ


 アッ そうだっけ


 そうだっけって…… 普通自分の家忘れる?


 マジ忘れてた オレ普通じゃないのかな アハハ



 


 雨はやんだ


 山野君の家は通り過ぎてしまった


 二人が一緒に歩く理由はもうどこにもないのに


 ましてや手をつなぐ理由なんてどう探しても見つからないのに


 どちらからもやめようとはしなかった



 


 送るよ 藤見さんちまで


 何それ


 私はクスッと笑った


 もうこうなったら理由なんて何でもいい


 うれしいな


 ズブ濡れの彼は早く家で着替えたいだろうに


 それよりも私と歩くことのほうを選んだ


 私 あなたに大事な何かを与えられていますか?


 私はあなたにとっての大事な何かでいられるでしょうか?


 そうだといいな





 世界が変わった


 今まで私が見ていた目の世界が破壊された


 すべてが新しくなった


 命の息吹


 光と影 静と動 穏と烈 慈愛と峻厳


 私は泣いた


 そして彼の腕にギュッと力を込めてすがった


 泣かれることは彼のシナリオにはなかったのだろう


 かなりドギマギしていたけれど


 私の震える小さな肩をそっと抱いてくれた





 家に着いた


 二人で歩きたいがゆえに散々理由をこじつけてきた旅も終わり


 私はからかった


 何なら家に入る?


 そ それはさすがに……


 私はニッコリ笑って言った


 また明日ね


 ああ また明日な


 彼の姿が遠くの曲がり角に消えてしまうまで


 私はずっと手を振り続けた




 


 お母タン 行ってきましゅ


 5歳になる私の息子は傘をさして


 隣りの真奈ちゃんと相合傘で出かける


 真奈ちゃんをしっかり守るのよ


 あいあい


 小さな騎士(ナイト)は、姫を連れて


 小ぶりの雨の中 近所のお友達の家に出かけていった


 私が手を振って子どもを見送っていると 


 懐かしい想い出が胸によみがえった


 



 ウチのダンナは面白い


 初めて気持ちが通い合った高校1年のあの雨の日


 実はあの時 ダンナは私の下駄箱にラブレターを入れようとしていた


 でも計算外のことがふたつ起った


 ひとつは急に降りだした雨 


 もうひとつは私自身がたまたま帰りが遅くなって下駄箱に現れたこと


 ダンナは泡をくって隠れた


 どうする どうする?


 ダンナは自分のでもないのに手近にあった誰かの傘をつかんで——


 堂々と私の前に現れたわけだ


 律儀なダンナは 私と別れたその足で学校に傘を返しに行ったらしい


 バカだよね 先に着替えりゃいいのに


 案の定 次の日ダンナは風邪で学校を休んだ





 私はお見舞いに行った


 ダンナの部屋でファーストキスを経験したよ


 そこまでならいい話なのに これにはオチがある


 キスのせいかは知らないが 私も風邪をもらい——


 次は私が休むハメになった


 今じゃ笑い話だけどね


 雨の一件でイイカンジになっちゃってもう必要なくなった旦那のラブレター


 雨がしみたせいでインクがにじんで字がほとんど判別できないけど


 今でも大事にとってある





 雨かぁ


 この雨の中


 また新しい出会いが生まれるといいなぁ


 二人寄り添う傘の中


 新しい愛が生まれますように





 恵みの雨が


 多くの愛されるべき命を生み出しますように——


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傘の中 賢者テラ @eyeofgod

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