第8話 ツアー初日へ
夕暮れ差し迫る放課後の校舎。西側に設置された窓から思い切り夕日が差し込むこの時間帯。音楽室がオレンジ色に染まっていく様子を、星宮澪は窓の下の陰に座ってぼんやりと眺めていた。ぼろろん、と手に持った赤いベースギターを、何のフレーズというわけでもなく鳴らした。海外の名曲、日本の名曲、人気バンドの曲、巷で流行のアイドルソング、スターマインの曲。思いつくベースラインを澪は適当に弾いていた。
「ちゃんちゃん、ちゃちゃん、ちゃーん……」
しかし澪の脳内でその音がバンドサウンドに変換されることはなかった。ここ三日ほど、秀樹とジョージは練習に顔を出していない。澪は大きく一つ溜め息をついた。三年生になってクラスが変わってしまったお陰で、澪は普段二人に会う機会はほとんどなくなった。グループラインでも個別ラインでも二人からの返信はなかった。
二人の間でなにかがあった。それだけは澪もなんとなく分かっていた。それなら無理に介入しない方がいいと澪は判断したのだ。
「……それでもやっぱ、寂しいよね」
ぽつり、と澪は呟き顔を伏せた。その時、音楽室のドアを開ける音がした。澪は顔をあげた。そこにいたのは翔子だった。
「あら、いたの。……電気くらいつけなさいよ」
カカッ、カカッ、ジー、と音を立てて時間差で蛍光灯がついた。澪が気付かないうちに外は真っ暗になっていた。
「あのボンクラ二人は? 来てないの?」
翔子はそう言いながらキョロキョロと辺りを見回した。
「うん……先生こそ二人の担任でしょ? どこ行ったか知らないの?」
「それが分かんないのよね……一昨日、二人ともこの前のテストが赤点だったから居残りで補習させたんだけど、あれから二人供学校休んでんのよ。もしかしたら練習には顔出してんじゃないかと思ったけど、ハズレだったみた……」
言いかけて、翔子は唇に人差し指を立てた。澪は首をかしげた。
「静かに」
翔子の口が僅かに動いた。翔子は抜き足差し足音を立てないように教室後方のベランダの入り口の方へ歩いて行った。引き戸の取ってに手を掛け、澪の方を一瞬見てニヤリと笑うと、そのまま思い切りドアを開けた。
「うわああああああああ!?」
ドサッと音を立てて秀樹が倒れ込んできた。どうやらドアにもたれかかって盗み聞きしていたらしい。
「秀樹?」
澪は思わず声をあげた。秀樹は立ち直りながら、
「あははは……どーもどーも」
と頭を掻いた。
「どーもどーも、じゃないでしょ。ひ、で、き、君」
秀樹が横を見ると鬼の形相の翔子が仁王立ちしていた。「あなた昨日、今日と季節外れのインフルエンザにかかってお休みじゃなかったかしら? それと最後に出した補習のテキスト、あなた白紙で帰ったわよね? どういうことなのか説明してもらえるかしら?」
ゴゴゴゴゴ……という擬音が確かに秀樹の耳には聞こえた。秀樹は「ひっ」と小さく呻いた。
「ま、まーまー先生、それは一旦置いとこ」
と、澪が助け船を出した。
「何があったのか、まず訳を聞かないと」
「そ、そうそう。話せば分かる。話せば」
「……ま、話くらいは聞いてやるわ。座りなさい」
翔子は手近な椅子を引っ張ってきた。翔子はその一つに座ると、澪にもう一つの椅子を寄越した。音楽室にはそれ以外の椅子はなかった。
「座りなさい」
もう一度翔子が言うと秀樹はおずおずとその場に正座した。
「実は……」
秀樹は一昨日の放課後にあったことを話し始めた。
「……それでジョージと気まずくなって今までズル休みしてた、と……」
翔子が言った。
「まさかジョージもジョージで休んでるとは思わなかった」
「ちなみにジョージも季節外れのインフルで休んでるそうよ。仲良いわね、あんたら」
「え、マジで。ズル休みの理由まで被ってんのかよ」
「やっぱズル休みだったんだ」
「あ」
澪が指摘すると秀樹は素っ頓狂な声をあげた。
「ちなみにジョージの方は親から連絡来たから多分マジのインフルよ。……あ、テキストは後でちゃんと提出しなさい」
「……はい」
秀樹は蚊の泣くような声で言った。
「……で、結局」
澪が切り替えるように口調を強めた。
「秀樹はこのバンドをどうしたいのか、ちゃんと結論は出たの?」
秀樹はすぼめていた肩をより一層すぼめながら
「……いいや。……澪はどうなのかな、って思って」
「え、あたし?」
「うん。……澪は将来の自分のこと、バンドのこと、どう考えてる?」
澪は腕を組んでうーんと唸った。
「澪は進学組だったっけ。確か私立の文系だったかしら」
澪が椅子を仰け反らせていると翔子が言った。
「大学通いながらバンドやるのもいいと思うけど」
「バンドは解散すべきだと思うな」
翔子が言い終わるのと同時に澪は真反対のことを言った。秀樹と翔子は驚いた声をあげた。
「いや、あたしの個人的な意見だけどね。……このバンドって、あの三人で活動してたってとこに意味があったのかな、なんて思ってたからさ。もし二人ともまだバンド続けたいって言ったら、なんならメジャー目指して本格的にやってってもいいって思うけど、でも、一人でも違う方向向いちゃったら、多分、もう、無理、じゃないかな」
秀樹はその瞬間に自分の中のなにか大切なものがガラガラと崩れる音が聞こえた気がした。
「そっ、か……」
秀樹は言いながらうなだれるように俯いた。
「軽音部顧問として少し寂しくはあるけど……。ま、仕方ないわね。アドバイスはできても無理強いはできないのが教師ってもんよ。で、どうするの、秀樹。あなた一応バンドのリーダーみたいなもんでしょ。澪の話聞いて何か決められた?」
何も決められなかった。正直秀樹はこの時澪からこのバンドの今後についてなにかプラスなことを言ってほしいだけだったのだ。
「……なんで」
「ん?」
「……なんで、澪もジョージもさ、そんなホイホイ決められるんだろ、大人になれるんだろ。……だって、あんなに楽しかったじゃん。クソみたいな日常がパッと明るくなって、生きてる、って感じがして、言いたい詩があって、出したい音があって、他になんもいらない、って感じがして。……そう思ってたのは俺だけで」
秀樹はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。言葉尻は少しずつ重くなっていき、最後には聞き取れないほどになっていた。
「……私だって、思ってたよ。……でもさ、私達もう、高三だし、卒業した後のこと、考えなくちゃだし……」
澪もまた少しずつ言葉を紡いだ。翔子はそんな二人の様子を見て深い溜め息をついた。
「なーんでこう、こういう年頃の子って面倒くさいのかしらね。将来とか人生とか。もっとシンプルにとらえればいいってだけの話なのにね」
そう言うと翔子は立ち上がって、二人を見下ろす体制になって言った。
「いい、秀樹。澪も。大人になる、ってことはね、逃げられないなにかと真正面から向き合うことよ。
あんた達には時間がある。未来がある。正面から向き合って、ぶつかって、考えて、考えて考えて考えて、自分が納得できる選択をしなさい。そいつが人生ってもんよ」
秀樹と澪は久しぶりに聞く翔子の教師らしい言葉に嘆息した。
「……おお。なんか、大人だ……さすが俺達の倍くらい生きてるだけのことはあ……」
翔子の手刀が秀樹の脳天に直撃した。秀樹はそこを抑えながら悶絶した。
「そこまで年くってないっつーの……」
澪はその二人の様子を見てくすくすと笑った。秀樹は頭をさすりながらなんとか立ち上がった。
「てててて…………あ!!」
と突然秀樹は声をあげた。「どうしたの」と翔子は尋ねた。
「ひらめいた、かも、しれない」
「何が?」
笑いのひいた澪が聞いた。
「ライブだよ、ライブ。俺たちのラストライブ! それやったら、多分、絶対、何か分かる気がするんだ。
……あ、でもなあ。ジョージは渋るかもしれない。ああいう大掛かりなことやりたがらないからなぁ……そうだ。澪、先生、ちょっと協力してよ。多分二人が納得してくれたらジョージも納得するはずだから……」
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