第7話 それぞれの道/エンジェルベイビー



「秀樹さ、お前、将来のこととか、考えてる?」


「え、なに急に。どしたん」


 怒濤の一、二年生を終え、三年生になった三人のクラス分けは、秀樹とジョージが同じC組で、みおだけがA組だった。その日、秀樹とジョージの二人は一学期中間試験で赤点を取ってしまった為に居残りでテキストをやらされていた。

 二人は勿論逃げようとしたが、教室を出ようとした途端に仮面のような笑顔が張り付いた翔子に見つかってしまった。翔子はC組の担任だった。


「いや、これから俺たちさ……どうなっていくんだろうな、って、ちょっと、思っちゃってさ」

 翔子は少し用事があるといって職員室に戻っていた。教室に二人きりになると、ジョージは一つ一つ選ぶようにゆっくりと言葉を紡いだ。しかし秀樹にはいまいちピンときていなかった。

「うーん、まずは一週間後のライブだろ。それに合わせて新曲の歌詞もとっとと仕上げなくちゃなんないし、それが終わったら……学園祭ライブだな。そうそう、それまでにさ、バンドのロゴ入ったタオルとかTシャツとか作りたいよな。それをさ、模擬店で売んの」

 心から楽しそうに秀樹は言った。その言葉を聞いてジョージは「そうか」と苦笑混じりに呟いたが、少し考えたあと、意を決したように「いや、じゃなくてさ」と少し強めに言った。

「なんだよ。ペンライトでも作りたいのか? オレ、あれはロックには邪道だと思……」

「そうでもなくて! もっと先の話だよ!」

「先?」

「新曲作って、一週間後のライブが終わって、Tシャツとタオルとペンライト作って、学園祭ライブが終わって、二学期が終わって三学期が終わって、

 卒業して、お前はどうするんだ、って聞いてんだよ」

 ジョージは一気にまくしたてた。「やっぱペンライト作りたいんじゃん」と秀樹は言った。「うるせえ」とジョージは一蹴した。

 一瞬の沈黙。

 秀樹は「将来、ねぇ……」と呟きながら椅子の背もたれに仰け反った。


「……んなこと、考えたこともない。バンドすることしか、考えられない」

 秀樹は思ったままを口にした。

 確かに秀樹はそのことについて深く考えたことはなかった。しかし、教師の話や周りの生徒の会話、その中で「将来」「進路」といったワードが卒業が近づくにつれ徐々に増えていることには気付いていた。しかし気付かないフリをしていた。秀樹はバンド活動を免罪符にして、それについて意識的に考えないようにしていたのである。

 しかし、その実秀樹の頭の片隅には「もしかしたら自分達はこのままバンドで喰っていくことができるのではないか?」という思いが少しずつではあるが芽生え始めていた。確かに自分達が学生のお遊びバンドでしかないことを秀樹は重々承知していた。バンドでプロとしてデビューして喰っていくのがどれほど難しいのかということも。

 だけど、それでも。自分がステージに立って歌うあの瞬間。秀樹はこれまで人生で経験してきたどんな瞬間よりも自分の命が光輝いていたことを自覚していた。もし、なにか一つのことに人生を捧げるのだとしたら、それはスターマインなのではないだろうか。たとえバンドで喰っていくことができなくても、バンドをしながら生きていくことはできるのではないだろうか、と秀樹は思っていた。


「ジョージは、どうなんだよ」


 そんな期待を込めて、秀樹は仰け反ったまま、ジョージの顔を見ずに言った。

 ジョージは椅子を仰け反らせてゆらゆら揺れる秀樹をじっと見てから、窓に映る夕陽を見ながら重々しく口にした。


「……知ってると思うけど、俺さ、うちが電気屋なんだ。……親父は店のことなんか気にすんなって、どっかの大学でもいって好きなことやれ、って言うんだけど……少し前に足、悪くしちゃってさ、今、店、大変なんだ」

 ジョージはそこまで言うと、大きく溜息をついた。

「俺、卒業したら、親父の店、継ぐよ。……もし、秀樹がバンド続けようって考えてたんなら、すまん。俺、バンドは続けられない」

 秀樹はそこまで聞いて尚椅子でゆらゆら揺れていた。ジョージは一瞬だけその様子を確認すると更に続けた。

「秀樹も、さ。なにも一生バンド続けるってわけでもないだろ? いつかはバンドも解散しなくちゃいけないし、就職もしなくちゃいけない。……今度の学祭ライブを解散ライブってことにしてさ、そろそろ秀樹も受験勉強しなきゃいけないだろ」

「……なんで」

「ん?」

 ジョージが秀樹の方を振り返ると、悲しみでも怒りでもない、複雑な表情の秀樹の顔が真正面にあった。

「なんで、そういう、……運命、みたいなやつをさ、ジョージはそう、すんなり受け入れられたの?」

 秀樹の声は少し震えていた。

「確かに、確かに音楽で食っていくなんて夢物語かもしいれない。バンド続けてメジャーデビューしてオリコンランクイン、みたいなさ。多分あれ宝くじ当たるより難しいよな。

 でもさ、俺たちまだ挑戦すらしてないじゃん。

 それなのになんでこうさ、すんなりそれを諦めて、受け入れられたわけ?」

 秀樹に怒りの感情はなかった。あったのは悲しみだった。その悲しみを少しでもうめる為、秀樹はジョージに疑問をぶつけた。

「……秀樹、確かにお前のいうことは正しい。正しすぎるんだよ。そしてその正しさが普遍的なもんだと思ってるんだ」

「どういうこと? よく分からない」

「俺には俺の正しさがあるし、お前にはお前の正しさがあるってこと」

 そう言ってジョージは一つ溜め息をついた。

「確かにさ、バンドは楽しいよ。ドラム叩いているとイヤなことなんて忘れられる。生きてるって感じがする。だが親父のことをふいにしてまでも続けることはできない。それが俺の判断だ。その選択が間違ってないと俺は確信できるし、それを誰かに指図される筋合いはない」

「そんなの……でも、でも」

 秀樹は反論を試みようとしたがうまくまとまらず声にならない声をあげた。

 夕暮れは今まさにピークを向かえ、オレンジの光が教室を照らしている。ジョージはその夕焼けに目を瞬かせながらぽつりと言った。

「大丈夫、俺は違ったけど、きっと秀樹は……」

 言いながらジョージは背後に違和感を感じ、秀樹を振り返った。

「秀樹?」

 教室に秀樹の姿はなかった。


 


 秀樹は無意識のうちに教室を抜け出していた。廊下を抜け、生徒昇降口を抜け、通学路を一人とぼとぼ歩いていた。

 秀樹はその時何も考えていなかった。カバンも、課題のテキストも、なにもかも教室に置いてきてしまった。それなのに何故か、愛用のipodだけはポケットに入れたままだった。秀樹はそれを取り出した。昨日買ったばかりの銀杏BOYZのシングル曲が入っていた。秀樹はそれを再生した。



エンジェルベイビー

             作詞・作曲 峯田和伸


 どうして僕いつも一人なんだろ

 ここじゃないどこかへ行きたかった

 自意識と自慰で息が詰まる頃

 ラジオからロックが流れた


 まるで時間が止まったみたいだよ

 気付いたらあの子を思ってた

 夜の静けさ切り裂くように

 スピーカーからロックは僕に叫んだ


 hello my friend

 君と僕は一生の友達さ

 さようなら 美しき傷だらけの青春に




 夕暮れは今まさに沈もうとしていた。

 秀樹はなぜだか無性に走り出したくなった。

 あの夕焼けが沈んでしまう前にどこかへ辿り着かなければいけない気がした。




 ロックンロールは世界を変えて

 涙を抱きしめて

 ロックンロールは世界を変えて

 エンジェルベイビー

 ここにしかないどこかへ


 


 秀樹は夕暮れに光るコンクリートの道を駆け抜けた。

 田んぼの脇を通り過ぎ住宅街へ。いつものコンビニ、公園、陸橋の下、線路の脇。

 もっともっと遠くへ。どこか知らない、見たこともない場所を求めて、秀樹はがむしゃら走った。




 hello my friend

 君と僕なら永遠に無敵さ

 さようなら 美しき傷だらけの青春に


 ロックンロールは世界を変えて

 涙を抱きしめて

 あの子のちっちゃな手繋がせて

 ねえ エンジェルベイビー

 ここにしかないどこかへ


 ロックンロールは世界を変えて

 ロックンロールは世界を変えて

 エンジェルベイビー

 ここにしかないどこかへ

 

  hello my friend

 そこにいるんだろ



 気がつくと太陽は沈んでいた。秀樹は膝に手をついて荒くなった息を整えた。学区内にあるどこか見たことのある住宅街だった。

「……やっぱり、どこにも行けやしねえ」

 秀樹は呟いて、道路に仰向けになって寝転んだ。


 月と星が、綺麗だった。

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