第4話 庄司則夫(ジョージ)/THE STARMAINE
体育館の壁に染み入るように鳴り響く、うだるような蝉の音をバスドラムの重低音が体育館の壁をぶち破らんばかりの勢いで遮った。刹那、その音を引き裂くようにギターの高温が鳴り響く。生徒達の歓声。
それに呼応するかのようにシンバルが鳴り始めると、バランスを取るかのようにベースがまたもや重低音を響かせる。今まで体育館を包んでいた気怠い夏の空気がその一瞬で嘘のように吹き飛んだ。生徒達の歓声がピークに達する一歩手前だと見たジョージはその手を若干緩める。それに合わせて澪と秀樹は音を伸ばしてタメを作る。
ここで生徒達の歓声がピークに達すると、秀樹はマイクに向かって叫び、生徒達を更に煽った。ジョージはドラムを今までよりも強く三回ほど叩いた。その音を合図に秀樹は流れるように一曲目の前奏を弾き始めた。ジョージと澪もそれに続く。
ツアー二カ所目、中浦北高校での入りはほぼ完璧に近いものだった。前奏からの勢いそのままに秀樹が歌い始める。一曲目は澪と秀樹のツインボーカルでの曲だった。サビに入って秀樹に変わり澪が歌い始めると、そこでまたもや、主に男性から野太い歓声が上がった。その声に負けじと歌う秀樹に、今度は女性から黄色い歓声が上がった。
南校の盛り上がりは上々と見えた。秀樹はその歓声の大きさから確かな手応えを感じた。そしてその感覚は、一曲目を終え、二曲目が終わって尚途切れることはなかった。
演奏が終わって鳴り響く歓声と手拍子の中、秀樹は叫んだ。
「東校を飛び出して!!」
ジャカジャン。ギターを短く鳴らした。
「ハイエース転がし三十分!!」
ジャジャン。
「北校に!!」
ジャン↓
「スターマインが!!」
ジャン↑
「ついにやってきましたああ!!!!」
鳴り響くギターに合わせて轟く歓声。
「皆さん、盛り上がってますか!?」
またもや歓声が轟く。それが冷めやらぬ内に秀樹は続けた。
「オーケーオーケー、僕達も今!!」
秀樹は一度言葉を区切った。そして声のトーンを落として言った。
「・・・・・・テンションだだ下がってる」
えーー、という声が客席とみおの口から聞こえた。
「なんでよ?」
とみおが聞いた。
「暑い。あっついんだもん。車のエアコンも壊れて使えないしさぁ……。え、逆にみおは暑くないの、そんなカッコして」
みおはこの暑さでもロリータファッションを欠かしていなかった。
「いや、あたしはこれがデフォルトだから。もうこのドレスは言ったらあたしの体の一部だから」
「あ、それそういう設定だったの!?」
秀樹は驚いて言った。
「二年やってきて今更設定入れんなよ」
ジョージが後ろから苦笑いしてツッコんだ。
「今更そりゃないよなぁ。……しかも体の一部のくせに保冷剤見えてるし」
「え、マジ?」
「うん。シャトレーゼのロゴがね。透けて見えてんだもん」
客席から笑いが起こった。
「よーし、じゃあ。暑いけど、皆さん!もっと盛り上がれますか!?」
客席の拳が突き上がった。歓声。
「もっともっともっと、盛り上がれますか!?」
更に歓声。みおはどこ? どこ?と透けた保冷剤を探している。
「暑過ぎてやばかったらシャトレーゼの保冷剤で冷やして下さい!!次の曲は、『THE STAR MINE』!!!」
マイクに叫びながら秀樹は既にギターを掻き鳴らしていた。バンドで一番始めに作ったこの曲は、ジョージが作曲したものだった。歌いながら秀樹は、この曲を作ったのが二年前のちょうど今くらいの時期で、その日も暑かったことを思い出していた。
星宮澪と呉羽秀樹によって結成されたバンドに庄司則夫が加入したのは全くの奇跡といっても過言ではなかった。何せ庄司はその当時、その体格を生かし、一年生にしてバスケ部のレギュラーの座を勝ち取っていたのだ。しかし秀樹は彼がドラムを叩けることを知っていた。秀樹は以前、音楽室で彼がドラムを叩いているところを偶然目撃したことがあったのだ。
休み時間、秀樹とみおは隣のクラスにいる庄司にそのことを訪ねると、庄司は観念したように、
「見られてたのか」
と窓の外を見ながら呟いた。
「うん。だからさ、俺達のバンドにドラムとして入ってくれないかな。まだ結成したばっかりでバンド名もどんな曲やるかも全然決まってないんだけどさ」
と秀樹が言った。庄司は窓の外をみたままだった。その様子を見た澪が、
「もしかしてジャズ畑の人だった?」
と言った。庄司は窓の外を見たまま、
「いや、別にそういう訳じゃないけどよ。……俺さ、知ってるかわかんないけどバスケ部に入っててレギュラーなんだよ。バンドなんて正直やってる暇ないんだ。悪いけど他あたってくんないか」
「そこをなんとか! 掛け持ちでもいいからさ」
「そんなのますますやだね。バスケにせよバンドにせよ中途半端にしたくないんだ。俺はこの三年間をバスケに捧げるって決めたんだ。放っといてくれ」
「じゃあなんでドラム叩いてたの?」
「あれは……なんていうか……気の迷い、みたいなもんだ」
庄司はここで初めてうろたえた様子を見せた。秀樹は攻めるならここしかない、と思った。
秀樹もさすがに庄司が将来有望なバスケ部員であることくらい知っていた。それを知って無策で飛び込むほど秀樹は愚かではない。秀樹とみおはここ数日、庄司の周辺を嗅ぎ周り、交渉の材料を探していたのだ。
秀樹は少し圧をかけるようにして言った。
「この学校のバスケ部、部員が多くてレギュラー争いが熾烈らしいな。そんな中でポッと出の一年生がレギュラーになったりしたら、嫉妬の眼差しも向くんじゃないか?」
庄司の顔が初めてこちらを向いた。
「どういう意味だ?」
「今日、上履き忘れたのか?」
秀樹が庄司の足下を見てそう言うと、庄司の肩がピクンと跳ねた。庄司は学校指定の上履きではなくスリッパを履いていた。
「ま、忘れてるわけないんだけどね。昨日先輩に捨てられてるの見たし」
庄司の肩がわなわなと震えだした。表情に怒りの色が灯るのが見えた。
「庄司君、君、バスケ部でイジメられてるんだろ? でも中途半端にするのが嫌な性格の君は、一度入ったバスケ部を意地でも辞めないつもりでいる。・・・・・・俺はそんなの間違ってると思うけどね」
「お前等には、関係ないだろ・・・・・・」
「確かにそうだ。……でも、君はそれでいいのか? 君にはドラムの才能がある。俺達のバンドに来れば、きっとバスケ部より充実した三年間を過ごせるぞ」
「そんな保証……ないだろうが」
庄司はそう言って深いため息をつくと、また窓の方を向き直ってしまった。まだ押しが足りなかったか。秀樹はそう思った。もしこれで駄目だったら他にメンバーの当てなどない。それは即ちバンドを組む計画の破綻を意味していた。
(ど、どうする・・・・・・? 他に交渉の材料なんて用意してないし・・・・・・)
秀樹に焦りが生まれたその時だった。庄司は目を背けたまま口を開いた。
「……もし……もし、俺がバンドに入ったらさ、俺はなんて呼ばれるんだ?」
「え?」
予想外の返しに秀樹はたじろいだ。
「……確かにお前の言うとおり、オレはいじめられてる。まあ、新人いびりって奴だな。上履きは捨てられるわユニフォームは破かれるわ水はかけられるわ散々なもんだ。特にイヤなのがみんなオレのことゴリって呼ぶことなんだよ。このゴツい見た目と体格だからな」
そこまで言って庄司は秀樹と澪に向き直ると、
「お前等はオレのこと、なんて呼んでくれる?」
と言った。確かに庄司のその見た目は漫画「スラムダンク」に出てくるゴリに見えないこともなかった。秀樹は焦った。一度意識してしまうと余計にゴリ以外のネーミングが浮かんでこなかった。
「え、えぇっと……それはその……」
「……ジョージ」
するとふいに、秀樹の後方から声が聞こえた。澪だった
「庄司君だから、ジョージ……って、どう?」
秀樹はぽかんと開いてしまった口をなんとか閉めて澪に小声で突っ込んだ。
(バカお前、ダサ過ぎるだろ!!)
(え、いいじゃん。いかにもロッカーっぽいし、カッコいいじゃん)
(いかにもおあそびのロッカーっぽいよ!!)
(なによ!じゃあアンタが他にいい名前考えればいいじゃん!)
(ああいいよ!考えてやるよ、考えてやるさ、考えてやるとも、考えて・・・・・・ええと・・・・・・)
(ほーら、なんもでてこないじゃん!!)
「はは……」
秀樹が澪と小声でやりとりしていると、庄司の口から音が漏れているのに気付いた。庄司は笑っていた。初めは小さく、ただ口から息が漏れるように、だが、その声は徐々に大きくなっていった。その様子を秀樹はまたもやポカンと見ていた。庄司はひとしきり笑い終わると秀樹と澪に向き直り、
「お、お前達・・・・・・ただのアホじゃねえか。ジョージってお前・・・・・・。そんなあだ名つけた奴初めてだっつーの・・・・・・はぁ・・・・・・」
庄司はひとしきり笑ったあと、深呼吸して息を整えた。そして二人を見て言った。
「曲は?」
「・・・・・・へ?」
「曲は、何やるか決まっているのか?」
「あの・・・・・・それってどういう・・・・・・」
「だから!・・・・・・俺がバスケ部抜けてそのよくわかんねー変なバンド入ってやるから、何の曲叩けばいいのかって聞いてんだよ!」
「・・・・・・曲は・・・・・・いや、なんも決まっ、てない、けど」
秀樹がたじろぎながら言うと、庄司は自分の机をガサゴソ引っかき回し、一冊の大学ノートを取り出した。これ、と言って秀樹にそのノートを渡した。
「これ・・・・・・楽譜? もしかして、オリジナル曲? 『THE STARMAINE』って書いてある」
「すごっ。ちゃんとしたスコアになってる」
秀樹の後ろから覗いた澪が言った。
「そうだ。タイトルだけ考えて詞はまだついてないけどな。それと、これ四人編成で考えたやつだから三人編成に直して・・・・・・」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
一人思慮を巡らし始めた庄司を秀樹が止めた。
「あの・・・・・・これは一体どういった風の吹き回しで?」
秀樹がそう聞くと、庄司は一つ溜め息をついて後頭部をポリポリ掻いた。
「なんか・・・・・・いいな、って思ったんだよ」
「え、『ジョージ』が? マジで?」
「そうじゃなくて!・・・・・・いやまあ、それも格好いいけど」
いや格好いいんかい、と秀樹は心の中でツッコんだ。
「・・・・・・確かに俺はドラムも、音楽も好きだ。でもそれってあくまで好きなことで、やれることとはまた別、って思ってたんだ。・・・・・・でも、そうだよな。高校生の間くらい、パーッと好きなことやっていいよな、うん」
秀樹はその言い方に少しひっかかりを覚えたが、バンドを組める嬉しさにその不信感はすぐ掻き消された。
「・・・・・・うん。よく分かんないけどあんた、格好いいと思うよ。ジョージ」
澪はそう言うとジョージに向かってグッと親指を
立てた。
「だろ?」
と言ってジョージは澪と同じ仕草をして返した。それを見て秀樹は、
「よっしゃ、そうと決まれば・・・・・・ジョージ、澪。早速今日の放課後から練習始めよう。場所は音楽室!!時間厳守がバンドの掟だ!!」
と早口でまくし立てると右腕を肩の高さまで持ち上げた
「せーの、えい、えい・・・・・・」
「そういえば秀樹って、ギター、持ってるの?」
「お、おぉ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・忘れてた」
秀樹のこぶしは力なく床についた。ジョージはずっこけた。澪は呆れた溜め息をついた。
三人のロックンロールは、この日ようやく転がり始めた。
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