第3話 ツアー開始/TRAIN-TRAIN
午前八時。三人の母校、中浦東高校体育館の舞台上に秀樹、みお、ジョージの姿はあった。
ステージの照明が灯り、三人の姿がステージ上に現れると、客席からの歓声によってそのSEは打ち消された。同時にジョージがバスドラムを踏みしめ、それは決定的なものになる。二人はその音に合わせてギターを思い切りかき鳴らした。ジョージは続けてシンバルを叩く。ギターの音が段々と小さくなっていく。しかしそれが曲の前のタメであることを知る観客は、ギターの音に反比例するように歓声を高める。そして歓声はピークに達する。つんざくようにジョージのかけ声。
「ワンツースリーフォー!」
二人がそれにタイミングを合わせて一曲目の前奏に入った。一曲目は疾走感のある、ライブでは何度もやっている曲だった。こういった定番曲は一曲目に持って行くと盛り上がる。何度も演奏している分、STARMAINEの三人にとってはやりやすい曲であるし、観客も聞き慣れていればその音に容易に身を預けられる。ロックの音に身を預けるとは即ち、腕を振り、拳を突き上げ飛び跳ねることである。そして大群衆が一度にやるそれは、ステージ上から見ればまるで客席が一つの海になったかのように波打って見えるのである。秀樹は歌い、煽る。もっともっとと叫ぶ。澪はロリータのヒラヒラしたドレスでくるくると舞いながら演奏する。そしてジョージは後ろから力強い、確かな音で支え、時に引っ張る。
盛り上がりはサビで爆発した。簡単なサビのフレーズを、観客に一緒になって歌うよう秀樹が煽ると、体育館に集まった全校生徒400人の歌声が秀樹の声と見事に重なり合う。その音はまだ少し涼しい夏の朝の陽気に溶けていくように混じり合った。
三人の演奏技術、ライブパフォーマンスは、この二年半のキャリアでプロ顔負けのレベルにまで達していた。それは三人の才能によるところも大きいと思われたが、何せ今までこなしたライブの数は大なり小なり合わせて50は超える。そのステージによって積み上げてきた経験が三人の確かなパフォーマンスを形作っていた。
曲が終わり、歓声が一段落したところで秀樹は、
「おはようございまあああああす!」
と叫んだ。それに呼応するように生徒達も歓声をあげた。歓声が一段落すると、トーンを落として
「なんかここに立っておはようございますって言うとさ、いつもの朝礼感出ちゃうよね」
といって自分でボケた。軽く笑いが起こる。
「ツアー一本目の第一声がおはようございますってのも珍しいよね。ていうかそもそもさ、こんな朝早くからライブやらなくてもいいんじゃないの?」
とみお。打合せ通りの内容だった。
「いや、みおさん、実はね、今日これから、僕ら色々”やらなきゃいけないこと”があるんですよ」
「やらなきゃいけないこと?」
「ほら、後ろ見て後ろ」
といってステージ後方、ジョージの後ろを指さす秀樹。そこには『スターマイン学園祭横断ツアー』と書かれた垂れ幕が掛かっていた。
「えぇー!?学園祭横断ツアー!?これは一体何するんですか秀樹さん!」
さも驚いたような棒読みの口調で澪が叫んだ。客席から笑いが漏れた。
「実は!今回の学園祭ライブなんですけどね、朝、我々の母校中浦東高校から始まって、そこから中浦南、西、北、と来てもう一回ここでライブをして……合計五回のライブをこの辺の学園祭が行われる一日でやってしまおうという、もうね、頭おかしい人が考えたとしか思えないライブツアーなんですよ」
「いや、言い出しっぺはお前じゃん」
後ろからジョージが突っ込んだ。
「あれ、オレだっけ?」
客席からどっと笑いが起こった。
「まあそんなわけでね、あんまり曲数はできないけどライブ楽しんでって下さい!僕らはこれからツアー回ってきますけど、皆さん学園祭楽しんで、後夜祭でまたお会いしましょう!それじゃ次の曲ジョージよろしく!」
ジョージのドラムカウントと共に二曲目に入る。曲の入りは完璧。観客の盛り上がりも上々。
今日はなんだかイケるぞ。秀樹は直感でそう感じていた。
「うひー、疲れたーー」
ライブを終えた三人は、翔子と共に機材の撤収を進めていた。体育館横の扉には翔子が用意したハイエースが乗り付けられていた。前方二列を残して座席を畳み、後方を広々としたトランクとして活用するという寸法である。秀樹はシールドが無造作に詰められた段ボールをハイエースのトランクにどっかと置いた。ふうと一息ついた秀樹は助手席に回り込んでドアを開けた。撤収作業も残りスピーカーを一つ二つ運ぶだけで終わるという頃。自分がいなくてももう片が付くと思った秀樹は、もうそろそろクーラーが効き始めた頃だろうと一足先に助手席に座ろうとしたのだ。
「あれ、暑っ……」
しかし、助手席のドアを開けても冷気は流れてこなかった。車内は蒸し風呂のように暑かった。運転席に座る翔子はガチャガチャとクーラーのボタンを操作していた。秀樹が助手席のドアを開けたのに気づくと申し訳なさそうな口調で、
「あ、呉羽君。……なんかクーラーの調子が悪いみたいなのよね……。どうしちゃったんだろ」
と言った。
「ま、マジっすか……」
と秀樹はガックシ膝を折った。この日はこの夏一番の暑さだった。秀樹は撤収作業の疲労感が更に増したような気になった。
翔子はまたガチャガチャを再開し始めたが、汗の浮き出るその表情からは、復活の望みが薄いことが容易に推測できた。翔子は一つ溜息をつくと、
「……やっぱ実家に置きっぱの盗難車なんてくすねてくるもんじゃないわね……」
と呟くと、またガチャガチャとクーラーをいじり始めた。途端、蝉の声に混じって流れる沈黙の一瞬間。秀樹は暑さのせいで軽く思考がフリーズしていた。
「………………え、ショーコせんせー今何て?」
頭の再起動がかかった秀樹は絞り出すように言った。どうやら何かの聞き違いをしてしまったらしい、と秀樹は思った。
「ん?…………あ!いやいや、何でもない何でもない。これはほら、家のお父さんが使ってるのを借りてきただけだから!!」
翔子は身振り手振り弁明した。
「あ、ああ。なるほど。……そうっすよね」
「なに堂々とサボってんだよ」
と、秀樹が一人うなずいていると、不意に後ろから野太い声がかかった。見るとジョージがその両腕にそれぞれスピーカーを一つずつ担ぎ上げ、秀樹を見下ろしていた。その後ろにはTシャツに着替え終えたみおもいる。
「あ、ああ……。悪い悪い。もう終わる頃だろうと思ってさ。……それで最後?」
「ああ。これ積んでとっとと行こうぜ。時間はいくらあっても足りないからな」
ジョージはそう言うと、スピーカーを乗せるため後ろのトランクにつかつか歩いて行った。みおは後部座席のドアを開けて車に乗り込もうとした。
「どうしたの、秀樹。乗らないの?」
「ん、うん……」
秀樹は助手席のドアの前に突っ立ったままだった。
「……なんか、さ。いよいよ始まっちゃったな、って思って」
「何よ今更。……もしかして不安なの?」
みおはからかうような声音で言った。
「いや、ツアー自体に不安なんかないよ。むしろこれからどうなんのか、すっげー楽しみ」
確かに秀樹の言葉に嘘はなかった。秀樹にはこのツアーを無事に成功させる自信があった。
「けど、」秀樹は少しだけ俯いて続けた。
「なんていうか、俺が不安に思ってるのは」
秀樹の胸の中にあったのは不安の二文字だけではどうにも表しきれない、もっと大きくて漠然としたわだかまりだった。この数ヶ月、秀樹はそのわだかまりを言葉にしてしまうことをずっと躊躇っていたのだ。
「俺達ってさ、これが、終わっ……」
言いかけて、秀樹はどこからか音楽が鳴っていることに気づいた。それは運転席からだった。
「あれ? エアコンいじってたのになんか急に音が……!?」
「ショーコ先生、そこ、カーステレオ」
どうやら翔子がエアコンをいじっている内にいつの間にか備え付けのCDプレーヤーをいじっていたらしかった。それをみおは冷静に突っ込んで少し笑った。
しかし秀樹は一人小さく流れるその音を耳をすまして聞いていた。聞き馴染みのある音だった。
「あ、ブルハだ……」
秀樹は気づいて呟いた。
TRAIN-TRAIN
作詞・作曲 真島昌利
栄光に向かって走る
あの列車に乗っていこう
裸足のままで飛び出して
あの列車にのっていこう
弱いものたちが夕暮れ
更に弱いものをたたく
その音が響き渡れば
ブルースは加速していく
見えない自由が欲しくて
見えない銃を撃ちまくる
本当の声を聞かせておくれよ
TRAIN-TRAIN走っていけ
TRAIN-TRAINどこまでも
TRAIN-TRAIN走っていけ
TRAIN-TRAINどこまでも
「なにボサッとしてるんだよ。早く乗ろうぜ」
スピーカーをトランクに詰め終えたジョージは車の外に立つ二人に呼びかけた。
「あ、うん。そだね」
とみおはジョージに応えると、一度秀樹に向き直った。
「……あ、で、結局なんだったの?」
秀樹は一瞬、先程言いかけた言葉を言い直そうとした。しかし、考え直してそれをやめた。
「忘れちった。それよか早く乗った乗った」
「えー、何よもー」
秀樹に促されみおは車に乗り込んだ。乗った瞬間、車の中から「暑っ。なにこれ」という声が聞こえた。ジョージはみおに続いて車に乗り込み、同じように「暑っ。なんだこれ」と言った。秀樹はその二人の同じリアクションがおかしくてケラケラと笑った。
「おい、笑ってないで秀樹も早く乗れよ。走り出さなきゃ、風が回らない」
窓から手を出して車体をバンバン叩きながらジョージが言った。
「ああ。今乗る」
笑いを抑えながら秀樹は助手席のドアを開けて乗り込んだ。
今日はこの夏一番の暑さだった。
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