第2話 星宮澪/雨上がりの夜空に

 

 突然でなんだが読者諸君の高校時代、時に昼休みの風景を思い出して欲しい。諸君らは教室で昼食を摂る際、隣、或いは正面に友人等の共に昼食を摂る者の姿があっただろうか。あったのならいい。ではここで諸君らの記憶を頼りに高校時代の教室をぐるりと見回して欲しい。

 いないだろうか。購買で買った焼きそばパンを左手に、スマホを右手に、そしてそこから延びるイヤホンを耳にはめ、話しかけんなオーラを全開にして昼食を摂るものが。

 呉羽秀樹という男は正にこれに属する者であった。どうでもいい話だが筆者もこのタイプであった。閑話休題。

 高校一年生。6月。入学式でいまいちクラスに馴染めなかった秀樹は、未だクラスでの居場所を見つけられずにいた。かといって、秀樹には友達を作ろうという気持ちはさらさら湧いてこなかった。

 秀樹には、自分には他人とは違うものすごい「何か」がある、と信じて疑っていなかった。故に、日々のうのうとスマホゲームの話題やらトレンディドラマの話題やら、惚れた腫れたの三文話ししかできないような「普通の人」たるクラスの連中を見下していたのである。

 しかしその秀樹の中にあるという他人とは違う「何か」とは何か?秀樹には分かっちゃいなかった。しかしその「何か」であの下らないクラスの人間達を、いつかあっと言わせてやるのだという根拠のない思いだけが秀樹の中でどんどん肥大していた。つまるところ呉羽秀樹は典型的なダメなやつだったのである。



 ちなみに今日この時秀樹が持っていたスマホで一体何をしているのかというと、youtubeを使って邦洋問わずジャンルも雑多に音楽を聞いたり、またある時は古今東西ありとあらゆる映画やアニメを見たりしていた。そしてそれら秀樹の見る動画には、ある一つのこだわりがあった。それは再生回数の低いものを重点的に見ることだった。要は他のクラスメートが見ない、聞かないようなものを、秀樹は好んで摂取しようとしていたのである。

 この日、というよりここしばらく、秀樹はロックに傾倒していた。挙げていったらキリがないが(ロックバンド名を書き連ねる予定でしたが長くなりすぎたので割愛)、アングラから有名どころまで、おおよそ秀樹のように若い世代では決して耳に触れることのないロックバンドの音楽を秀樹は好んで聞いた。それら他人が聞かないようなバンドの音楽を一曲一曲聴くごとに、秀樹はなんだか自分が少しずつ頭がよくなっていくような気がした。そしてそれは映画を見るよりも、本を読むよりも、よりインスタントに感じることができるのだった。

 この日も秀樹は古いバンドを重点的に探して聞いていた。

(デイドリームビリーバー、ってRCサクセションじゃなくてタイマーズってバンドの曲だったのか……ZERRY……ってこれ清志郎じゃん!!)

 秀樹の耳を塞ぐイヤホンからは、「タイマーズ」の「デイドリームビリーバー」が流れていた。映像は古い野外ロックフェスのものだった。ヘルメットにサングラスという奇妙な出で立ちの彼らはこの曲を歌い、何千、何万という人数の観客を熱狂させていた。

 秀樹はなんとなく、ヘルメットとサングラスを着け、ギターを片手に歌う忌野清志郎のその姿に自分を重ね合わせてみた。夏空のもと、ステージの前に集った観客の前で、秀樹はギターを片手にスタンドマイクに向かって叫ぶ。秀樹の声に合わせて人々はうねり、高まっていく。もっともっとと秀樹を求める。

 それはとてもとても気持ちのいい妄想だった。



(……でも、現実の俺はどうだろう?)



 それだけに、つい本当の自分のことをふと考えてしまった時の精神的苦痛は、とても耐え難いものだった。



(どれだけロックスターに憧れたって、どれだけ自分の知識や感性を磨いたって、俺に一体何ができるっていうんだ。俺は何もできないただの駄目人間じゃないか)



 そんなことを考えながら秀樹はスマホを持ったまま、机に突っ伏した。動画は拍手喝采でステージを降りるスターを映していた。



「あれ、清志郎じゃん。ねえ君、好きなの?」

「え?」



 すると急に秀樹の右斜め後方、ちょうど左手で持ったスマホの画面が見えるであろう位置から、一人のクラスメートの女子が秀樹に声をかけた。

「それ、タイマーズのライブ映像でしょ?もしかして忌野清志郎のファン?」

「……え、ええと……」

 秀樹はとっさのことに反応することができなかった。何を隠そう秀樹はこの時数ヶ月振りに家族以外の異性と会話を交わしたのである。

「ね、あたしにも聞かせてよ」

 彼女は秀樹の右耳に刺さったイヤホンを左手で抜き取った。スポッ、と言う音が秀樹の脳内にこだました。

「あっ……」

 彼女は髪をかきあげてイヤホンを自身の左耳に入れた。その長い黒髪が揺れるのと同時に、秀樹の鼻孔を甘い香りがくすぐった。彼女は腰を屈めてスマホをのぞき込んだ。その顔は秀樹の顔の僅か数センチ程の距離にあった。

「やっぱいいよね、清志郎。なんといってもこの声!」

 動画は自動再生の設定になっていた。関連動画として流れ始めたのは「RCサクセション」の「雨上がりの夜空に」のライブ映像だった。



雨上がりの夜空に

     作詞 忌野清志郎 作曲 仲井戸麗市

 この雨にやられて

 エンジンいかれちまった

 オイラのポンコツ

 とうとうとうつぶれちまった

 どうしたんだHeyHeyBaby

 バッテリーはビンビンだぜ

 いつものようにキメて

 ぶっ飛ばそうぜ

 そりゃあひどい乗り方

 したこともあった

 だけどそんな時にもおまえはシッカリ

 どうしたんだHeyHeyBaby

 機嫌直してくれよ

 いつものようにキメて

 ぶっ飛ばそうぜ

 


「”雨上がりの夜空に”!今更古典って感じだけどやっぱ名曲は名曲よねぇ」

 とその女子は言った。

 言わずと知れた邦ロックの名曲たるこの曲も、今をときめく十代からすれば古典楽曲である。事実、ここ数週間程度しかロックの知識を詰め込んでいなかった秀樹にとって、それは初めて聞く曲だった。

 しかし、秀樹は今それどころではなかった。スマホを持つ左手と机に置いた右手、変な角度のままの首、若干捻った体勢の腰、椅子の下で絡まった両足。その全身がまるで石にでもなったかのように固まってしまい、隣にいる女子の顔をよく見ることさえままならなかった。

「ねえ、知ってる?」

 隣の女子が耳元で囁くように言った。偶然にもその女子の唇は秀樹の耳のすぐ近くにあったのだ。

「え、な、ななななに?」

 秀樹は耳に感じるこそばゆい感触を我慢しながら言った。

「この雨上がりの夜空にって曲、実は歌詞違いのバージョンがあるんだ」

「へえ、そ、そうなんだ……」

 秀樹は辛うじて落ち着きを取り戻してきた。

「一番のサビ前のところ、正式だと

『どうぞ勝手に降ってくれポシャるまで、いつまで続くのか見せてもらうさ♪』

 って歌ってるんだけど、ライブでは

『雨上がりの夜空に吹く風が早く来いよと俺達を読んでいる♪』

 って歌ってるの」

 秀樹は彼女がすらすらと歌詞を諳んじたことに驚いた。

「すごいね。……歌詞、全部覚えてるんだ」

 と秀樹が言うと彼女は軽く胸を張って、

「うん。なんなら楽譜見ずに弾けるまである」

 と言った。

「弾ける?」

「うん。あたし、ベース弾いてんだ。ほら、『けいおん!』ってアニメあったでしょ。で、私の名前は星宮澪。んで、左利き。これで弾かないわけにいかないじゃない」

 別にそんなことはないだろう、と秀樹は思った。

「バンド……やってるの?」

「ううん。高校入ったら組もうって思ってたんだけど……。ここの人たち、全然ロックとか聞かないような人達ばっかなんだもん」

 と言って少女は教室を軽く見渡した。教室の隅に位置する秀樹の席からは、教室全体の様子がよく見えた。

 夏を間近に控えた昼休みの教室はいつもより少しだけざわめきたち、秀樹たちのことなど露知らずに喧騒に満ち満ちていた。その喧騒を右耳に、ロックンロールを左耳に聞きながら、秀樹は吸い寄せられるように黒髪の少女、澪を見ていた。見惚れていた、という方が正しいのかもしれない。

「ねえ」

 澪はふいにそう言うと、秀樹の方に視線を動かした。慌てて秀樹は視線をスマホに戻した。

「ロック、ってさ、すごい発明だと思わない?自分の思ったことや感じたことを何倍にもして誰かに届けることができるなんてさ」

 スマホの画面では、忌野清志郎が高らかにロックを叫んでいる。みおは続けた。

「でもロックの一番すごいとこはさ、それが誰にでもできるってことだと思うんだ」

「……誰にでも?」

「うん。ギター一本、マイク一本あれば、ロックなんて誰にでもできるんだよ。教室の隅でも、体育館でも、ライブハウスでも、苗場スキー場でも、どこでも」

 それを聞いて秀樹は何も言えなかった。画面に映る忌野清志郎のその姿に、今一度自分の姿を照らし合わせてみた。

(誰でもっていうのは、俺みたいなのでも、ってことなんだろうか……)

 秀樹はスマホへと反らしていた自身の視線を持ち上げた。

(今まで探していた「何か」っていうのはもしかしたら……)

 秀樹はみおを見据えた。そして決心した。

「あ、あの!!」

 秀樹は急に大声をあげた。みおは少し驚いた表情をした。しかしそれは秀樹が長いこと会話を交わすことがなかっただけに、自身の音量調節を誤ってしまった結果だった。秀樹もまたそのことに驚いてしまった。

「あ!あーーと、え、そ、その……」

 自然と尻すぼみになっていく秀樹。その後もあのあのあのえーと、と口元をボソボソさせ、終いには蚊の鳴くような声で「なん、でも、ない……」と言ってしまった。みおは怪訝な表情をした。

(ああやっぱり。これだからいつまで経っても俺はダメなんだ。たった一言。思ったことを言うことさえできない。俺は、俺は……)

 その時、秀樹は左耳からまだ音が流れているのに気付いた。下に落とした視線はスマホの画面を捉えた。

 動画はみおが先程言った歌詞違いの所に差し掛かっていた。ライブの様子を切り取ったこの動画では、正式バージョンでない方の歌詞が歌われていた。



 雨上がりの夜空に吹く風が



 早く来いよと俺達を呼んでいる



 今は亡きスターが画面の中で叫んでいる。秀樹には何故だかその言葉が、画面の中から自分を呼ぶ声のように聞こえた。

(違う、そうじゃない……そうだ、俺は、俺は……!!)

 秀樹は急に立ち上がった。体を捻った状態から急に立ち上がった為、立ち上がった拍子に椅子が音を立てて倒れ、極限まで引っ張られたイヤホンは秀樹の耳から零れ落ちた。澪は音に驚き秀樹を見上げた。秀樹は今一度澪を見た。


「俺と! バ、バンドを! ……組んで、くれませんか……?」


 気怠い初夏の午後。その日から彼らのロックンロールは転がり始めた。

 

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