それは花火のように
田中ハナウタ
第1話 学園祭横断ツアー/透明少女
夕暮れ差し迫る放課後の校舎。西側に設置された窓から思い切り夕日が差し込むこの時間帯。音楽室がオレンジ色に染まっていく様子を、星宮澪は窓の下の陰に座ってぼんやりと眺めていた。ぼろろん、と手に持った赤いベースギターを、何のフレーズというわけでもなく鳴らした。暫くそんなことを繰り返していると、やはり癖なのか、右手でフレットを押さえて練習中の曲を弾き始めた。アンプに繋がっていないそのベースギターの音はとても弱いものだったが、澪の頭の中でそれは完璧なバンドサウンドとして再生されていた。
「ちゃんちゃんちゃ、ちゃ、ちゃ……」
知らず、彼女の口から声が漏れる。リズムに合わせて一緒に上半身が動き、やがてその動きは首にまで及んだ。彼女のその長い黒髪が、首に合わせて動く。夕日に照らされたそれは、まるで海面を震わす波のようにさざめいた。
「ちゃちゃん……じゃーーーん……」
最後の一フレーズを弾き終えたのと同時に、澪は目の前に人がいることに気付いた。
「ありゃ、いたの?秀樹」
澪はボサボサになった髪の合間から、目線を上げて覗き見た。
「ああ、今来たとこ。……電気くらい付けろよ」
と言い、呉羽秀樹は蛍光灯のスイッチを入れた。秀樹は澪と同じくボサボサの頭を掻き毟った。
カカッ、カカッ、ジーー、と音を立て、古ぼけた蛍光灯が時間差で無機質な光を灯した。
「あー……。もうこんな真っ暗だったんだ。気付かなかったよ」
澪は目を瞬かせ、辺りをきょろきょろしながら言った。夕日はいましがた沈み終わった時分らしく、窓の外には既に夜の帳が下りようとしていた。
「電気も付けずに練習なんて、相変わらずだな、みおも」
秀樹の後ろから野太い声があがった。
「そういうジョージはもちょっと練習すべきじゃないんですかー? 久しぶりじゃん、練習来んの」
「そう言わないでくれよ。季節外れのインフルにかかっちまったんだからよ」
ジョージはそのでかい図体を縮こまらせながら言った。
「まあまあ、今日来てくれたんだからいいじゃんか」
秀樹は背負っていたギターケースを置いて言った。
「仕方ないのは分かるけどさ……。ないがしろにされちゃ困るからね。……私達の最後の文化祭なんだからさ」
みおはそう言ってジョージを睨み付けた。
「分かってるって。だから今日こうして来たんじゃないか。……ほら、練習始めようぜ」
ジョージはそう言って抱えていたケースからドラムスティックを取りだそうとした。
しかしそれを秀樹が遮った。
「あ、ちょ、ちょっと待って。その前に話したいことがあるんだけど」
「話したいこと?」
みおが立ち上がってスカートの埃を払いながら言った。
「うん。その学園祭のことなんだけどさ、ちょっと、計画、っていうか……考えたことがあるんだ」
「計画も何も、いつも通り体育館でライブだろ?」
「もちろん、それはやる。ただ、今年はさ、最後の学祭ライブになる訳じゃんか。だからなんつーかこう……特別なことやりたいんだよ」
「特別なこと?」
みおが首を傾げると、秀樹はギターケースのサイドポケットから大学ノートを取り出した。秀樹は教壇にそれを広げると、二人を手招きした。
「いつも通りライブはやる。ただ違うのは、場所と、回数」
みおとジョージはノートに書かれた文字を同時に読み上げた。
「「学園祭、横断、ツアー……?」」
「この辺の学校ってさ、毎年同んなじ日に学園祭やるだろ? それを一日でライブして回るんだよ。朝ここでライブやって中浦南、西、北、と回ってもう一回ここに戻ってツアーファイナル。……どう?」
秀樹は興奮した調子で一気にまくし立てた。考えるような二人の沈黙の産んだ一瞬間。二人の反応はきれいに分かれた。
「いいね!!」
「無理だ」
前者がみお、後者がジョージの反応である。
「「どうして!?」」
これは秀樹とみお。
「どうして、って二人共なぁ……。もうちょっと現実的に考えろよな。まずライブをするんなら機材の運搬をしなきゃならんだろ。学校間を移動するんならトラックか何かがいるし、それを運転する人がいる。……それに他校でやるってなったらその学校ごとにステージの調整をしなきゃなんないだろ。……そして何より」
ジョージは秀樹を指さした。
「そんだけステージやってボーカルの喉はもつのか?」
三人を沈黙が包んだ。微かに聞こえていた蛍光灯のジーー、という音と、時計の秒針が進むカッチカッチという音。校庭から聞こえる野球部のサーシマッテコーというかけ声が音楽室にこだました。
秀樹は何も言い返せなかった。全く持ってジョージの言う通りだったからである。三人の中で免許を持っている者はいなかったし、他校へ打診できるツテもコネもない。それに秀樹の体力のなさが学園祭までの一ヶ月で解決できそうもなかった。
ジョージは秀樹を指さしていた腕を降ろした。
「確かに何かやりたいってのは分かるよ」
そして自ら作ってしまった気まずい空気を取り繕おうと何とか言葉を紡ぎ始めた。
「確かに、これで最後の学園祭だし、このバンドも……」
「ちょっと待ったああああ!!」
その時ふいに音楽室に鳴り響いた女性の叫び声は、澪の声でも、もちろん秀樹とジョージのものでもなかった。 秀樹は声のした方を振り返った。そこには音楽室の敷居を仁王立ちで踏むタイトスカートの女性がいた。
「ショーコ先生」
秀樹は呟いた。
ショーコ先生、と秀樹が呼んだその女性は、軽音部顧問の佐藤翔子だった。翔子はそのセミロングの茶髪を揺らしながら三人の元に歩み寄った。先程の話を聞いていたのか、翔子の顔は三人が今まで見てきたどの表情よりも険しいものだった。翔子が三人の真ん前までくると、三人にいよいよ緊張が走った。
翔子は教壇に大きく音を立てて両手を置いた。三人の肩がビクッと震えた。
「で、」
翔子は俯いていた顔を上げると、
「なんの話をしてたの?」
満面の笑みで三人を見た。
秀樹はずっこけた。澪はたはは、と力無く笑った。ジョージは溜息をついた。
「いや、なんかみんなが深刻そうだったから場を和ませようと……で、本当にどうかしたの? 」
三人は顔を見合わせた。
「実は……」
秀樹は先程までのことを話し始めた。
「なるほどね。……それって要は機材運搬のトラックかなんかと、それから他校のステージの調整をすればいいってことなんでしょ?」
四人は一つの机を囲んで椅子に座った。タイムスケジュールが書かれたノートを翔子が一通り読み終わり、その問題点をジョージが説明すると、翔子はそれを簡潔にまとめた。
「まあ、そういうことですけど……実際、無理じゃないすか?」
ジョージがそう言うと、翔子は右手でセミロングの茶髪をくるくるといじり、左手で自分の顎の辺りを抑えた。翔子が何か考える時の癖だった。
「正直、機材の運搬は何とかなるわ。家の車を出してあげられるし、四人で機材の片づけすれば一日五カ所くらいいけるんじゃないかしら。あとは他校への打診だけど……。そうねぇ。……実家の権力を使えばいけないことはないかも……」
翔子は最後の方をごにょごにょと小声で言った。
「実家? 権力?」
みおはその聞きづらかった部分を聞き返した。
「……あ! 違う違う。先生の力を持ってすれば!造作もないってことよ!」
と翔子は取り繕うように言った。
「えーと、つまり……このツアーは、実現できるってこと……?」
秀樹は翔子に聞いた。
「ええ。これからちょっと、忙しくなるけどね」
翔子は三人に微笑んだ。
秀樹とみおは顔を見合わせた。秀樹は澪と目が合って一瞬間、互いの口角が同じタイミングでニッとあがったのが分かった。
ジョージは少し不満げにため息を吐きながら立ち上がって、二人に向かって手を叩いた。
「しゃーない、そうと決まったら練習練習!……久しぶりだし音合わせようぜ」
こうなりゃヤケ、とでも言わんばかりである。
「そうだな。……あ、ショーコせんせ、せっかくだし聞いてってよ」
と秀樹は翔子に言った。
「さささ、こちらにどーぞー」
澪はバンドセットの真ん前に椅子を置き、翔子に勧めた。翔子はそれに座りながら言った。
「ありがと。……久しぶりね、三人の演奏聴くの。何やるの?」
秀樹はギターストラップを肩に掛けた。
「どうする?」
秀樹がジョージに向かって言うと、ジョージは既にドラムセットに腰掛けていた。スティックを指で器用にくるくる回している。
「そうだな」
と言って、ジョージは考える素振りをして窓の外を見た。数秒の沈黙の後、ひらめいたように秀樹とみおの方を見ると、
「『透明少女』やろうぜ。復活したし」
と言った。
「久しぶりなのにコピーかよ」
とツッコミながら秀樹はドラムセットの前に歩いていった。そこには既にみおがいた。
「いいじゃん。あたしこの曲好きよ」
と言ってアンプにシールドを挿した。
「誰も悪いとは言っていない。……俺も好きだし」
と、同じく秀樹もアンプにシールドを挿した。
「『透明少女』って確か『ナンバーガール』ってバンドの曲よね。向井秀徳の」
翔子は思い出すように三人に訪ねた。
「そうそう。本家は四人編成なんで勝手に三人編成にアレンジしたバージョンになっちゃうんですけどね」
ギターのチューニングをしながら秀樹は言った。
「久しぶりだし声出るかな」
それからん、ん、と喉のチューニングをするかのように軽く咳払いすると、
「うん、大丈夫そうだ」
と言って二人を見やった。三人の視線が混じり合うと、三人は同時のタイミングで楽器を構えた。
秀樹の前奏のギター。ジョージのドラムコール。それに合わせて澪。三人の音が合わさった瞬間秀樹は全身に鳥肌が立つのを感じた。久しぶりに奏でる三人の音。それに身を任せるようにして歌い始めた。
透明少女
作詞・作曲 向井秀徳
赤い季節到来告げて
今・俺の前にある
軋轢は加速して風景
記憶妄想に変わる
演奏しながら秀樹の視線はなぜだか無意識に澪を向いていた。
そしてロックンロールに頭をぶん殴られたあの日のことを、秀樹はふいに思い出した。
とにかくオレは気付いたら夏だった!
東の空に浮かんだ月は三人と一人の観客を照らし、夕闇の校舎にはロックンロールの音色がこだました。
夏が、始まろうとしていた。
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