夏ってやつは。

奏橋やあど

夏ってやつは。

 夏は苦手だ。

 冬は着込めば暖かいが、夏はいくら薄着でも暑い、というのは兄の持論である。どうも反論の余地がない(ただの事実ゆえに、持論といえるのかどうかの問題にはあえて触れないでおく)。その上、私の部屋にはエアコンがなかった。冬は布団が暖かいぶんまだいい。夏ともなれば、一日が暑さに始まり暑さに終わる。腹を冷やさないためのブランケットすらうっとうしい。

 ゆえに、夏は苦手である。そんな物思いにふけりながら、私は体を起こした。むろん、「ああ、暑い」との一言も忘れずに。


 居間に出ると、大方エアコンがついている。こんなに暑くさえなければ、この人工的な涼しさに頼ることもないのかとも思うのだが、あいにくのふざけた暑さゆえに頼らざるを得ない。どうもしゃくだ。

 こう暑いと、麦茶がとても美味く感じる。コップに注いだそれを一口に飲み干した私は、寝室が狭いゆえに居間の片隅に置かれた自らの机に向かい、読みかけの本を手に取った。「夏の強敵」読書感想文は、まだ書いていない。


「…ああ、こんな時間か」

 物語も終盤に入った本から顔を上げ、デジタル・クロックに視線を落とした私は誰に聞かせるでもなくそう呟いた。暑さゆえの気怠さで朝食すら忘れていた。今日は他の誰も留守だから昼食は適当にと、そう言いつけられた昨晩の記憶をやっとたぐり寄せ、冷蔵庫に貼り付けられた野口英世をひったくる。クローゼットを適当に漁り、センスのないTシャツとデニムのパンツに着替えた。ホットパンツは嫌いなのでロングだが、この季節にはやや暑苦しい。


 野口英世を押し込んだがま口を片手に家を出た。向かうのは近くのコンビニエンスストアだ。こうも暑いと、坂の多い街というのも考えもののような気がしてならない。コンビニエンスストアまでは坂を上って10分。外気温が30度を上回るようなこの暑さではそれですら拷問だ。

「あっ…づい」

 昼食と一緒にアイスも買おう。種類は…そうだな、カリカリくんがいい。そんな他愛もないことを考えながら坂を上る。路線バスが私の隣を追い越していく。兄がいつも通学に使う路線だ。あの車内はきっと快適なのだろう。見えてきたバス停はちょうどコンビニの真ん前だ。


「ありがとうございましたー」

 店員の営業スマイルで見送られ、私は再びサウナのような外気とデートする羽目になった。猛暑が問題視されるなら、そろそろ地球用のクーラーが開発されてもいいと思うのは私だけだろうか。バブル経済の頃には東京をドームで覆う計画もあったというが、それすら正気の沙汰に思えてくる。私はたまらなくなって昼食の冷やし中華と一緒に買ったアイスを取り出した。ソーダ味のそれはパッケージがすっかり結露し、少し持つだけで手がしっかりと濡れる。パッケージを破くのももどかしく、少し破いただけで木の棒を引っ張り出した。

「んーー」

 ソーダアイスのような氷菓において頭痛は悩みの種だが、風物詩のようなものでもある。私はこの頭痛が案外に嫌いではなかった。ソーダ味の涼しさに呼び寄せられたように、心地よい温度の風も吹いてくる。私はふと横を向き、足を止めた。

 空が、綺麗だ。絵に描いたような真っ白な入道雲と、そう、ちょうど手に持ったソーダアイスのような空のコントラストが美しい。

「…悪くないな」

 この街がこんなに爽やかに見えたのはいつぶりだろうか。すっかり見慣れた、親と同じくらいの歳の、野暮ったい「ニュータウン」だと思っていたというのに。

「綺麗だ」

 私はそう言って腕をいっぱいに広げた。ジリジリとした日差しと蒸し暑い熱気の中を、涼しい風がひとひら吹き抜けた。

 まったく、夏は苦手だ。だが、悪くない。

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夏ってやつは。 奏橋やあど @kanahashi_yard

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