恋愛心理学~好きという気持ち~

 恋は盲目と言いますが、私はまさにその通りだと思っております。

 そもそも好きというのは不思議なものだと思います。いつの間にか誰かを好きになっていきます……。

 これは坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということわざと似ていいるところがあるのではないでしょうか? 意味としては坊主が憎いと坊主が来ている袈裟まで憎いという意味ですが、逆に考えると、誰かを好きになる一つの要因があったとすると、まとめてその人全体のことも好きになっていくのではないでしょうか。つまり、その人の悪いところすらも好きになり、見えにくくさせてしまいます。もちろんそれがダメとは言いませんが、それが冷静さを失わせる原因となることも確かです。

 ですが、それは逆にも言えるのではないでしょうか。もし、その好きなところに違和感を抱くようになっていったら、相手の嫌な所も冷静になって見えてくるのではないでしょうか。それが恋は盲目という言葉の真意ではないのかと思います。

 実際、誰かを愛したり愛されたりするのはその人の言い分を見てなっていき、時がたつにつれて人の嫌な部分が見え始めるというのが破局や離婚の原因の一つになるのではないでしょうか。

 ちなみにですが、親が子供に対する接するやり方はその子供が大人になったとき恋愛相手にしてしまう可能性が高いです。それは愛し方がそういう愛し方だと理解してしまっているからです。もちろん、すべからくそうだというわけではないですが、それが一つの要因になりますから自分が親になったとき子どもに対してどのように愛していくかは考えたほうがいいかもしれませんね。恋愛にかかわらずですが。

 なお、これは虐待児童が大人になった際また虐待をしてしまうという負のサイクルにも関わってくるところです。恋愛と子育てって少し似ている部分があるのかもしれませんね。

 余談はこのあたりとして、ではどのように人を好きになっていけばいいのかですが、好きになる要素として顔とか性格とかそういうのでもいいと思います。ですが、そこだけに囚われるのではなく、好きな気持ちを少し抑えて、もしも自分の大切な親友がその人を好きになったとき応援できるかどうかで考えてみればいいのではないでしょうか。もし、応援できないというのであればそれは嫌な部分が見えてきて長く続かない可能性も高いです。そしてもう一点、夫婦の幸福感山の句度を示す計算方式として『性行為の回数-口論の回数』というのが存在します。性行為というのはプラスに感じることを意味しているのでデートやキスなどと言い換えてもいいかもしれません。口論は逆にマイナスに感じる部分と言い換えてみてこれがどれだけ高いかで自分のその相手に対する幸福度を考えてみればよいのではないでしょうか。

 ということで今回はそこまで。ありがとうございました。

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