毒を抜くには
皆さんは夜、ふと恥ずかしい思い出などを思い出して『あぁぁ!!』ってなることってないですか? 例えば高校の体育祭で転んだり、中学生の時に部活の大会で緊張しまくってミスをしたりとか。あっ、これらは私の話です。マジの話です。
これらは
では、そういったことがあったとき、嫌な思い出などが出来てしまったとき、どうすればよいのか。正解はそれをしまい込むのではなく外に毒抜きする方がいいと考えられています。毎日そのことについて考える、ノートに嫌なことを書く、などなど。時には人に聞いてもらうのもいいでしょう。この話は『ご挨拶』のところでもさせていただいてますよね。
さて、そこでここからは私自身の持論も含めてお話をさせていただきます。やはり人格の形成などに大きくかかわるのは幼少期の教育だと考えています。そこでこれから日本で推進してもらいたいのは各学校に常設の、少なくとも数日に一回はいる心理カウンセラーを置くこと。また、いくつからの心療内科などとも提携を行うことです。
特に人生経験の少ない子どもはわずかなことで大変なことをしてしまったと思い込んでしまうことがあります。実は私は大学時代長らく子どもと関わっていたのですが、大人からすればたいしたことないことを必死に隠したり、悪いことをした! と思い込んでしまう子がいました。そういった経験則もあります。そこで、カウンセラーと話すことで自分の中にため込む罪業を毒抜きできるんではないのかな、と思うんです。そしてそういったカウンセラーに通うことが当たり前だ、なにも不思議なことじゃないと覚えることで、大人になっても、困ったときにカウンセリングを受けようと思いやすくなるのでないのかと思うんです。
現在も『いじめ』問題などが多く存在しますよね。私はこのいじめという言葉が嫌いなのですが……、それはともかく、いじめられたこが幼少期から当たり前にあるカウンセラーのもとに行くことで救われるのではないか、そもそも『いじめ』を行う子が、あれ、これっておかしいのかな、と気が付きやすくなるのではないのか、など思うんです。
子どもは良くも悪くも純粋です。善悪の判断が曖昧ですし、流されやすい子もいます。そこで積極的にかかわれる心のプロが存在することが善悪についても知れていける環境が出来る気がするんです。
そして最後に。私は大学時代、小学生と接する仕事をしていました。そこで子供たちがよく言う言葉に『誤ったのに許してくれない』というものがありました。私は『しかたないんじゃないかな』と返しました。それぐらい許せないと子どもは思っているわけです。だからそう訴えかけてきた子には『何が悪かったのかもう一度考えてみて、心の底から誤ってみようよ。それでも許してくれなかったら少しだけ時間をおいてみよう。先生もお話聞いてくるから』と励ましつつ叱りつけました。そして許せない子供にはなんで許せないのかを問い、加害者側の子がこう思っていたよ、などと諭してその子にとっての嫌な思いを毒抜きさせつつ、自分から許してあげようと思えるまで積極的に二人の間を取り持ちました。もちろんこの方法は時間がかかります。ですが、教員が『ほら、誤っているんだから許してあげなさい』を言うのは間違っていると思うんです。だって、加害者側は言葉さえ言えばいいと学んでしまいますし、被害者側の毒が抜けないんですから。それに加害者側もなぜそれを行ってしまったのかをきちんと話さないことで加害者の毒も残ってしまうと思うんですよね。こうした小さな積み重ねが大人になったときに大きくかかわってくるのではないのかなと思います。
この話は私の主観も多くありますが、そこまで的外れではないと思ってます。シビアな問題としてお金がないや、急にそこまで改革できないというものがあるでしょう。しかし、少子高齢化社会、より安定した社会を作るにはこうした先行投資が必要なのではないのかなとおもいつつ、今回はここでしめさせていただきたいなと思います。
次回は途中であったような『いじめという言葉が嫌い』といった意味のお話などをしたいなと思います。もし変更になったらすみません。それでは!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます