第2話 チャーチル

1932年の秋、オックスフォード大学を卒業して外務省に入った私は、

ロンドンの南東、ほど近いところにあるケント州に向かっていた。

行先はチャートウェルというカントリーハウスである。

そのカントリーハウスの主人がこの度、私を招待してくれたのだ。


車を運転しながら辺りを見渡すと、そこにはイングランドの誇る

美しい田園地帯が広がっている。

私の祖父であるマイクロフトがこの地方に屋敷を構えていて、

チャートウェルとの間にも頻繁に行き来があるそうだ。

私がチャートウェルの主人と知り合ったのもそのためである。


私の祖父は、もう引退してしまったとはいえ、もともとは

「英国政府の陰の実力者」と言われたほどの人物である。

チャートウェルの主人も、今でこそ不遇をかこっているが、

もともとは政界の実力者として海軍大臣や軍需大臣、更には

大蔵大臣なども歴任した人物である。

私とチャートウェルの主人が現在にいたるまで親交を保っているのには、

そういった理由もあるのだろう。


もともとロンドンからチャートウェルまではそれほど遠くない。

今私がいるところから目的地までの距離は、わずか1マイルほどとなっていた。



車回しの一角に自分の車を停めると、エンジンの音を聞きつけたのか、玄関から

使用人が現れ、私を出迎えてくれた。

二言三言言葉を交わしたのち、客間に通され、そこで主人が出てくるのを待つように

言われる。

私は窓の外に広がる景色を眺めながら、主人がやってくるのを待った。


ほどなく主人がやってくる。

そのまま客間で話をするのかと思いきや、主人は私は庭の散歩に誘った。

ここチャートウェルには、見事なバラ園がある。時期外れなので、

バラが咲いているのを見ることはできなかったが、美しく整えられた庭は、

この庭にバラが咲くころの様子を想像させるに十分だった。


ふとそんな美しい庭の一角に不釣り合いなほどに荒れた空間を見つけ、私は疑問を

覚える。周りがきちんと手入れされている中で、その一角だけが全く手入れされて

いないように見えた。

しばし考えると、ふと思い当たることがある。

「もしかして旅行にでも行っておられましたか?

 この庭の中で、あなたが大事にして使用人にすら触らせようとしない部分

 だけが、異様なほど荒れてしまっている。

 これはあなたが長い間この屋敷を離れていて、庭いじりをすることが

 できなかった証拠だ。」

自分の考えが正しいかどうかを確かめるため、私は主人にこう問うた。

「当たりだ。いかにも、私はこの夏大陸を旅行してきたのだよ。」

主人の答えは私の考えを裏付けるものだった。

「しかし、さすがだな。庭の一角が荒れていることだけをたよりに真実を

 言い当ててしまうとは。

 君のその洞察力はおじいさん譲りだろう。」

そう言って主人は笑った。

「確かに私の祖父は洞察力に優れた人ではありますが…

 私はそれほどではありません。」

そう言って私は謙遜する。

その言葉を主人は聞いていなかったのか、少し間が空いた。


「ドイツだ。」

彼が、ふと口を開いた。

「私はドイツに行っていたのだ。」

その顔からすでに笑みは消え、貫徹した瞳と真剣さだけが

彼の顔に残っていた。


不遇をかこちながらも国の行く末を案じ、正しい方角へと導くために

わが身を捧げ、全力を尽くす。


「チャートウェルの主人」というプライヴェートな立場ではなく、

世の人の知る「ウィンストン・チャーチル」という政治家としての彼の姿が、

そこにはあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鷲とライオン Randolph Holmes @Randolph_Holmes

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ