完全なる自殺スイッチ④



 男のアパートの玄関が、ガチャリと音を立て開けられる。そして部屋の中に、スーツを着た紳士が入ってきた。

 紳士は部屋の中を見渡し、何かを探しているようであった。

 そして、見つけた。

 紳士は部屋の隅にしゃがみ込み、何かを手に取る。

 埃を被っていたが、それこそ男が押したスイッチだった。

 紳士は胸ポケットからハンカチを取り出し、表面を軽く拭く。そして大事そうに脇に抱えると、部屋の玄関へ体を向けた。

 その時、紳士の目がとらえたのは、机の上にある手紙であった。

 そこには、書きなぐられた彼の名前の数々が。そして最後に、この一言が書かれていた。

 

 ――俺は、誰だ――。


 紳士はクスリと笑みを溢す。


「……実験にご協力していただき、ありがとうございました」


 その声は、いつか男の携帯に響いた声によく似ていた。

 紳士は部屋を出ていく。

 誰もいなくなった部屋には夕日の光が降り注ぐ。

 テレビ、机、冷蔵庫。あらゆるものが茜色に染まっていた。

 そして部屋の中心には、何かがぶら下がる。

 足は床から離れ、首にはロープ。

 かつて男だったそれは、誰もいない部屋で、ひっそりと朽ちていた。





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完全なる自殺スイッチ(続編) ぬゑ @inohirakai

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