十 紅蓮の翼

 教会の炎が膨れ上がり、周囲は阿鼻叫喚で溢れかえった。人々は家財道具を背負って逃げ出し、ロバに車を引かせた商人たちは右往左往した。車が人を轢き、転んだ人は踏みつけられた。

 この大混乱に、警官たちも避難誘導どころではなくなっていた。

「教会が、燃えてる」

 アルフレッドは自分の仕事も忘れて、がっくりと膝をついた。

「これじゃっ、もう煙草が買えないじゃないか!」

 嘆き悲しむ人々は、神への祈りなど捧げていなかった。皆が救いを求めて手を伸ばすのは、あの毒の煙で肺を満たしてくれる、奇跡の葉っぱだけだ。

 炎が鉄骨を捻じ曲げた、天井のガラスを突き破った。空を割るような破裂音と一緒に、割れたガラスがキラキラと降り注いだ。宝石の断片のような粒は、目を見張るほど美しいが、その全てが断頭台ギロチンの刃のように人を突き刺していく。人々は血を流して叫び、何かに救いを求めて泣き叫んだ。

「助けてっ、神さま!」

 アルフレッドが空を見上げると、教会の斜塔が砂のように崩れだし、アーケードの鉄骨に寄りかかった。だが、鉄骨が石造の教会を支えられるわけもなく、巨大な建造物は、人々の悲鳴ごと上に覆いかぶさった。


 一瞬、炎が山のように大きくなった。その惨劇は、遠く離れたドウェインの家からもよく見えた。ドウェインはマルゴを抱いて、テラスのブランコに腰掛けていた。激しい雨はいつの間にかやんで、今は雷が空を照らしている。

「マルゴ。お空が綺麗だねえ」

 ドウェインはブランコを小さく漕ぎながら、干からびた娘の頬を愛おしそうに撫でた。すると、マルゴは身じろぎし、ドウェインの指をそっと握り返した。


 そのとき、近くに雷が落ちた。ドウェインが飛び上がって周りを見渡し、庭先に見知らぬ男が立っているのに気がついた。

「こんばんは。こちら、黒魔術師さんのお宅ですか?」

 男は、庭の柵を乗り越えてきた。服の左袖が破けているが、剥き出しの左腕に黒手袋をはめている。怪しい男の出現に、ドウェインはマルゴを庇うように立ち上がった。

 すると、男はにこりと微笑んだ。

「あんな惨劇を、娘の死体を抱えてニコニコ見物する男なんて他にいない。アルフレッドさんが言ってた通りだ、あなたは狂気に生きている」

 その言葉を聞いた途端、ドウェインはニヤリと微笑んだ。

「ああ、わかりました。あなたが、不老不死のエイダンですね?」

「うちのリックに何をした?」


 エイダンは答える代わりに、ドウェインに訊ね返した。ドウェインは、マルゴを庇いながら後ずさった。

「リックさんはお一人で死んだんですよ。生前は腕の立つ殺し屋だったみたいですが、一人でマフィアを壊滅させるなんて、自殺行為に等しい。わたしと関わらなくても、勝手に死んだでしょう」

 ドウェインが喋り続ける間に、エイダンの顔はどんどん険しくなっていった。ドウェインは青ざめながらの笑顔を見せて、愉快そうに付け加えた。

「ああ、でも……断頭台で首を跳ねる瞬間にね、泣きながらあなたに命乞いしたんですよ。あの強い殺し屋のリックさんが。とっても惨めで、可愛かったですよ」

 その途端、エイダンの近く木がボンッと燃え上がった。真っ赤な熱と明かりに驚いて、ドウェインはマルゴをきつく抱きしめた。だが、エイダンは涼しい顔をしてドウェインに告げた。

「もう、喋らなくてよろしい。あなたが何をしたのかは十分わかりました」

「あなたは魔法が使えるんですね。不老不死と関係あるんですか?」

 ドウェインはマルゴを抱きしめながら、庭に続く小さな階段を降りてきた。てっきり逃げ出すものと思っていたエイダンは、少しだけ意表を突かれて立ち止まった。すると、ドウェインはますます余裕を見せて、笑顔まで浮かべた。

「神よ、僕に、不老不死の秘密を教えて下さい」

 ドウェインのすがるような眼差しを、エイダンは鼻で笑い返した。

「わたしを神と呼びますか? なんと、哀れな男だ」

 エイダンは口を閉じると、両手のひらを上へ向けた。すると、その中に拳ほどの大きさの炎が浮かび上がり、それが一気に庭の敷地に飛散した。庭の植木や垣根が一瞬で火だるまになり、ドウェインの家は昼間のような明るさに包まれた。

 だが、ドウェインは悲鳴をあげるどころか笑みを浮かべ、家の扉を開けて声を張り上げた。

「奴隷たち、不老不死の男を生け捕りにしろ!」

 ドウェインの発破を合図に、家の中から不自然に歪んだ人間たちが飛び出してきた。全員が、首に縫い痕のある死体だった。腐敗具合もまちまちで、教会で襲ってきたマフィアたちよりも動きが悪い。

 だが、エイダンはその一人の顔を見て目を剥いた。見覚えのあるその死体は、リックに殺されたはずの質屋のロジャーだったのだ。

 ドウェインは、エイダンの顔を見て笑いだした。

「気づきましたか? あなたも知っている質屋の主人ですよ。彼は遺体の受取人がいなかったのでね、僕が引き取ったんです。あのあと、新しい死体もたくさん手に入りました。みんな、リックさんとマフィアのおかげです」

 ドウェインは、エイダンに襲いかかる死体たちを満足げに眺めながら、抱えたマルゴをあやし始めた。エイダンは毒づいて、襲いかかる死体たちをなぎ払った。

「人間の分際で、死を侮辱しおって!」

 エイダンがロジャーの頭を押さえつけると、たちまち炎が膨れ上がり、ロジャーの体を焼き尽くした。

 エイダンは塵になった死体を踏みつけた。すると、ドウェインの顔に焦りの色が浮かんだ。

「ちくしょうっ、まだ終わらないぞっ、あなたの不老不死の謎を暴くまで諦めないっ!」

「無駄なことを」

 エイダンは死体たちを次々に焼き払った。だが、火だるまになった一体が、燃え尽きながらもエイダンの背中に飛びかかってきた。エイダンの服にも火が周り、炎で一瞬視界が遮られた。

 そのとき、凄まじい音が敷地内に轟いた。エイダンの体から血しぶきがいくつも吹き出し、血液がエイダンの喉をせり上がって溢れ出した。

 ドウェインの家の中から、機関銃の銃身が覗いていた。引き金を握るのは、朽ちかけの女の死体だった。

「やったぞロレーナ、命中したぞ!」

 ドウェインの歓声に、女の死体はカタカタ震えて答えているように見えるが、今にも崩れ落ちそうなほど腐りきっているではないか。

 エイダンは口の中の血を吐き出すと、残りの死体たちも一気に燃やし尽くして、庭の全てを炎に包み込んだ。

「わたしは、この程度では死なないぞ」

「もちろん存じています。なのでチェックメイトは別の手で」

 ドウェインは不敵に微笑んで、手のひらを銃の形にして撃つまねをした。そのとき、エイダンは目の前の違和感にようやく気がついた。ドウェインの両手が自由になっている。

 エイダンが気づいたときには、すでに目の前に赤子の死体が迫っていた。干からびた赤子の死体は、小さなライオンのように飛び上がって、エイダンの血まみれになった腹に頭突きを食らわした。

 銃弾が貫通した穴に激痛が走り、エイダンは悲鳴をあげた。

「さすがうちの娘だっ!」

 ドウェインは、ガッツポーズではしゃいでいる。エイダンはよろけて後ろに倒れこんだ。地面の底がすっぽり抜けたように感じた。手を支える感触がなくなり、腰が不自然に丸まった。地面に開いた穴に、エイダンの体がゴロンと転がり落ちてしまったのだ。


 ゾッとするほど冷たくて、カエルの腹みたいに湿っている。その一番最後に、硬い衝撃がエイダンの頭に走った。落ちた衝撃で、頭蓋骨が割れたのかもしれない。

「あはははっ! こんな古い手に引っかかるなんて!」

 すると、穴の上からドウェインの声が落ちてきた。ドウェインはショットガンを構えて、満面の笑みを浮かべていた。

「その穴からじゃ、もう何もできないでしょう? この辺の家は、中世のものが古びたまま放置されてるんです。これは大昔の井戸でして、あなたのために今日は落とし穴に変えてみました」

 ドウェインは言い終わると、ショットガンの引き金を引いた。凄まじい破裂音とともに、エイダンの肋骨と肺が粉々に吹き飛んだ。エイダンの悲鳴が古井戸の中で共鳴して、ドウェインの鼓膜を震わせた。

「不老不死でも痛いんですね……。本で読んだ通りです、死なない体でも痛覚は常人と一緒だって。だから、ほら。こんな穴の中に押し込められて、ショットガンで狙い撃ちにされたら、たまったもんじゃないですよね」

 ドウェインはさらにショットガンを打ち続け、エイダンの上半身が原型をなくすほどに球を撃ち込んだ。

「エイダンさん、やめて欲しかったら、あなたの不老不死の力を僕の家族にください。子どものいないようなあなたより、僕ら家族の方が、その力をうまく使ってあげられます」

 ドウェインはとどめの一発と言わんばかりに、エイダンの頭を撃ち抜いた。鉛玉がエイダンの頭蓋骨と脳みそを貫通した瞬間、エイダンの悲鳴が途切れた。

 ドウェインは、急に静まり返った井戸の底を覗き込み、眉を寄せた。

「ちょっと、なんで急に静かになるんですか。まさか、不老不死なのに死んでないですよね?」

 ドウェインは確かめるように、一発、二発と弾を撃ち込んだ。だが、井戸の底からは何も聞こえない。ドウェインは弾を装填しながら、焦りをにじませた。

「だんまりを決めたってわけですか。いいですよ、あなたが不老不死の秘密を吐くまで、永遠に弾を打ち続けます。あなたが死んでたって構いません、僕の家族が蘇るまで、ずっと続けます!」

 ドウェインは再び、穴の底にショットガンの銃身を向けた。ところがそのとき、感じるはずのない風を顔に受けた。風は、井戸の中から吹いていた。

 ドウェインは思わずショットガンを下ろした。丸眼鏡のレンズに、あるはずのないものが映り込む。

「ああ、本当に愚かな人間だ。 いい加減、わたしも頭にきましたよ!」

 井戸の底から声が昇ってきた。次の瞬間、空気がバリバリ音を立てて振動し、凄まじい衝撃が辺り一面に走った。ドウェインは風を全身に浴びて、その場から吹き飛んだ。雷が鳴り響き、真っ暗な暗雲が白く光る。その真ん中に、ゾッとするほど美しい、羽を生やした怪物が浮かんでいた。


 怪物の体は血まみれで、額に生えた角の一本が欠けていた。鷲の脚のような左手には、黒手袋の残骸が引っかかっている。ドウェインは空に羽ばたく怪物を見て、顔を引きつらせた。

「エ、エイダン……さん? あなたは一体、何者なんですか」

 エイダンは、牙の生えた口で悪魔のように微笑み、真っ白な羽を羽ばたかせた。

「わたしは、あなたたちが“天使”と呼ぶ生き物だ」




 



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