七 思い出の断頭台

 日の出近くになって、リックは意識を取り戻した。霞んだ目を凝らしてあたりを見ると、そこは一軒家の居間らしかった。腐った床に子どもの玩具が散らかり、折れたテーブルにオリーブ柄のクロスが敷かれ、煉瓦が剥き出しの壁には、ずらりと本棚が並んでいる。おまけに、恐ろしく寒い。身震いするリックは、自分が上半身を裸にされ、椅子に縛り付けられていることに気がついた。

「……なんだこれ」

 腕を動かそうとしても、ロッソ邸での傷が響いてビクともしない。打開策を考えようにも、血が抜けすぎて頭が動かない。リックは荒い息を繰り返しながら、毒づいた。

「おい、縄を解けっ! 誰かいるんだろっ!」

 答える代わりに、部屋のどこかで赤ん坊が泣き出した。リックはガタガタと震え出した。出血のし過ぎで体温が維持できなくなっている。それに、こんな危機的状況は初めてだった。

 そのとき、赤ん坊に被せるように、穏やかな声が聞こえてきた。

「ああ、よしよし、マルゴはいい子だねえ」

 リックは、暗がりの中に目を凝らし、声の正体を見つけた。

「そんなもん見せるために、おれを縛ったわけじゃないだろう、変態野郎っ!」

 リックの怒声に、私服姿のドウェインが、おくるみで覆った赤ん坊を抱えて、月明かりの中に進み出てきた。

「リックさん、マルゴが怖がります、お静かに」

 その顔を見たリックは、怒りに目を剥いた。

「縄をほどけ、ドウェイン!」

「瀕死のあなたを家に招いただけですよ。なにか不都合でも?」

「お前の望み通りに、おれはマフィアを叩き潰したぞ。次はおれを殺人犯として吊るし上げるつもりか?」

 リックは目線を下に向け、ベルトに収められた短剣を見た。一瞬でも手が自由になれば、このふざけた野郎の命を奪うのは簡単だ。リックはもう一度、ドウェインに目を向けて隙を伺った。

「リックさんには感謝しています。おかげでこの子は、犯罪のない街でのびのびと生きることができるでしょう」

 ドウェインは、抱いた赤子に顔を寄せて微笑んだ。赤ん坊はお包みに覆われ顔が見えないが、ドウェインの娘らしい。リックは鼻で笑い飛ばした。

「共犯のくせに、一人だけ正義の味方面かよ」

「僕はただ、正義の代替者として仕事を全うし、家族と平和を守るだけです」

「なら、おれはもう用済みのはずだろ」

「いいえ、僕はまだリックさんに大事な用があります。教えて欲しいことが、色々とね」

 ドウェインが、リックの青い瞳を覗き込んできた。

「リックさんがロジャーの店で犯した殺人事件、あそこには、不死の人間がいましたよね?」

 リックは思わずドウェインの顔を振り返った。まだ何も喋っていないのに、その仕草だけでドウェインは黄色い声をあげた。

「やっぱり! いたんですね、不老不死が!」

「お前、どこでその秘密を嗅ぎつけたっ」

 リックは動きを封じられた全身を揺さぶって、ドウェインに飛びつこうとした。だが、堅い拘束は、リックが身をよじるほど肌に食い込んで血が滲む。ドウェインは血まみれのリックに、憐みを見せた。

「昔と違い、今は人の記録が詳細に残ります。手こずりましたが、探そうと思えばできるんですよ。名前は、エイダン・コールですよね?」

 ドウェインは娘を抱きながら飛び跳ね、家の奥に向かって声をかけた。

「ロレーナ、聞いたかいっ? 不死の人間がすぐそこに来ているよ! 君たちの体も、すぐに元に戻せるぞっ」

 リックは、ドウェインの視線の先に目を向けた。真っ暗な廊下の奥に“なにか”がいる。枯れ木のような体を震わせ、不自然な動きで近づいてきた。それが夜明けの中に現れた途端、リックは懐かしい香りに体を強張らせ悲鳴を上げた。朽ちかけた死体が二本の足で立ち、カクカクと歩いていたのだ。

 ドウェインは、歩くミイラを抱き寄せて、リックを振り返った。

「改めて紹介しますね、僕の妻のロレーナと、娘のマルゴです」

 微笑んだドウェインの腕の中から、赤ん坊が顔をのぞかせた。その小さな頭は、母親と同じく朽ちた死体の顔だった。


 その頃、エイダンは警邏隊の馬車に乗っていた。エイダンの懐は金によって膨らんでいる。なのに、その顔は浮かばない。アルフレッドは眉を寄せた。

「難しい顔してますね、何か考え事でも?」

「ええ、ちょっと」

 エイダンが素っ気無く会話を終わらせると、アルフレッドは肩をすくめて煙草を吸おうとした。だが、体のどこを弄っても煙草が出てこない。見兼ねたエイダンが、ヒョイっと煙草を差し出した。

「探しているのはこれですか?」

「えっ、いつの間に!」

 アルフレッドは目を丸くして、エイダンから煙草を奪おうとした。しかし、エイダンは目の前で煙草を握りつぶした。

「なぜこんなものを吸うのですか。あなたの肺はすでに毒で侵されている」

麻薬これに頼らないと、辛くてたまらないんですよ。この世はどこへ行っても地獄です。これを吸わない人間は、もはや人間ではない。わたしの同僚のようにね」

「……同僚とは、どんな人なのですか?」

 エイダンが尋ね返すと、アルフレッドはイライラした様子で答えた。

「わたしの同僚は正義感の強い真面目な男でして、ロッソ・ファミリー捕縛派の急先鋒でした。最初はそんな同僚をわたしたちも応援していました。でも、同僚を邪魔に思ったロッソ・ファミリーは、彼に制裁を与えたんです」

 アルフレッドはさらに苛立たちを際立たせ、首を掻きむしりながら言った。

「マフィアたちは同僚が留守の間に家に押し入り、彼の妻と娘を手にかけた。ご丁寧に、断頭台で首を切断してね」

「なんて酷い話だ」

 エイダンは社交辞令で頷いた。

「その後の同僚は悲惨なものです。家族が生きている妄想の中でしか生きられなくなりました。もう2年も経つのに、娘が生まれたばかりだとか、家に帰ると妻に叱られるとか、妄言を繰り返しています」

「彼は今はなにを?」

「もちろん警官をやってますよ。でも、今の彼は半分魔術師ですね。信じられないくらい分厚い本を読み漁って、いろいろな呪文を調べていました。行き着いた先が、死霊術ネクロマンシーという噂です」

「ほう、上手くいったんでしょうかね」

「さあ、けど上手くいったところで、同僚は救われませんよ。旦那さん、死体と一緒に暮らしたいですか? わたしはごめんですよ!」

 アルフレッドは笑いながら咳き込んだ。どうやら肺が随分と脆くなっているらしい。エイダンは微笑を浮かべて囁いた。

「そうおっしゃるあなただって、救われていない」

 エイダンはそう告げると、煙草の箱を握っていた手を開いた。その途端、炎がぼわっと立ち上り、アルフレッドの目の前で、煙草の箱があっという間に消し炭になってしまった。

 アルフレッドの悲鳴を聞きながら、エイダンは窓の外の朝焼けを見た。エイダンが思い浮かべるのは、あの子のことだ。あの子だけは、こんな地獄のような世界から救われてほしい。エイダンは、美しい陽の光にそっと願った。


 だが、リックは真っ青な顔をして呻いていた。椅子に縛り付けられた膝の上に、ドウェインが馬乗りになってリックの首を締めている。足元にはロレーナの死体が這い蹲り、マルゴの死体が泣き喚いていた。

「言えっ! 不老不死の人間はどこだっ!」

「言う……わけねえだろ」

 ドウェインは、抵抗を続けるリックから手を離した。

「ぼくは不老不死の人間を、ずっと探してきたんだ! ここで諦めるわけにはいかないんですよ!」

 ドウェインは咳き込むリックを殴り、リックの頭を掴んだ。

「いいことを教えてあげましょう。ロッソの息子を殺したのは、僕ですよ」

「なんだと……」

 リックは目線を上げて、ドウェインを睨んだ。するとドウェインは、調子の外れた声で笑い出した。

「事件の捜査をしたのも、僕。犯人は、エイダン・コールの用心棒をしている、金髪に青い瞳の男だと、嘘の調書をでっちあげたのも、僕。そうしたら、ロッソ・ファミリーはまんまと罠にかかった。嘘の調書とも知らずに、必死になってエイダン・コールを探しだした! おまけに、不老不死の飼い犬に返り討ちにあい、一家全滅。本当におかしくて、笑いが止まりません」

「……ロッソ・ファミリーがエイダンを狙ったのは、お前の仕組んだことだったんだな」

「くそ野郎同士、殺し合ってくれて助かりました。けど、僕が本当に必要なのは、不老不死の人間なんです。不老不死の人間の居場所を吐かないなら、何度だって苦しめますよ」

 ドウェインはリックの首にロープを巻きつけ、ギュッと締めた。たちまち、リックは再び泡を吹いた。赤ん坊の泣き声に、女の死体がカクカク鳴る騒音は、耳を塞ぎたく鳴るような恐怖だ。しばらくして、再び解放されたリックは、吐きながら呟いた

「お前、頭おかしいぜ。いかれてる」

 すると、ドウェインはロープを持った両手をだらんと下げて、薄ら笑いを浮かべた。

「リックさん、あなた“世界のルールに逆らわないと生きられない”と言っていましたね? 逆に、僕はルールや秩序といったものに、従順なほど尽くしてきました。なのに結果が、これですよ!」

 ドウェインは、荒れ果てて朽ちた家を包むように両手を広げた。

「なぜ、僕と僕の家族が、こんな目に合わなければならないのですかっ?  理不尽じゃないですか、おかしいのは、世界の方なんですよっ!」

 リックは、足元でカクカク音を鳴らす女の死体に目をやった。

「それで、黒魔術に手を出したのか? 呪文で死体に霊魂を入れたんだろう?」

「ええ、世界のルールに縛られない方法です。二人はすぐに戻ってきてくれました」

 ドウェインはにこやかに答え、リックに見せつけるようにロレーナにキスをした。だが、リックは鼻にしわを寄せ嗚咽した。

「言っておくが、死霊術は死者を復活させる術じゃない。あんたがその死体に入れた霊魂は、たぶんその辺を漂ってる浮遊霊の霊魂だ。入れられた霊魂も、腐った死体を充てがわれてさぞ迷惑だろうよ」

 リックがせせ笑った瞬間、ドウェインが再びロープを締めた。リックの若い肌がキュッと絞られ、赤黒い傷跡をつけていく。

「黙れ お前のような殺人鬼がのさばっているから、世界はおかしくなるんだ」

 だけど、とドウェインは口ごもって、ロレーナとマルゴを見下ろした。

「二人の体が痛んでいるのは事実です。だから、僕らには不老不死の術が必要なんですよ」

 今度は、なかなかリックを解放しない。リックの青い顔が徐々に黒くなっていく。

「……そうだ、いいことを思いついた!」

 ドウェインはリックの腰ベルトから短剣を抜き取って、リックを縛り付ける縄をプツンと斬り裂いた。リックは突然の解放に驚きつつ、瞬時に身を翻してドウェインに飛びかかろうとした。

 だが、リックは真後ろから冷たい肉塊に抱きしめられた。氷を押し当てられたような感触に、たまらず悲鳴が飛び出る。振り返ると、ロッソ邸で仕留めたはずの、大柄なマフィアの男が立っていた。

 リックは息を飲み込んだ。マフィアの首の付け根に、見慣れた縫い跡があったのだ。すると、ドウェインが説明した。

「あなたが殺した男ですよ。あのあと、僕が家に連れ帰り、首を切り落として霊魂を中に入れました。その方がスルっと入るのでね」

 ドウェインはマフィアだった死体に命令して、リックを担ぎ上げさせた。ドウェインが部屋の隅の本棚を、引き戸のように動かすと、下に伸びる隠し階段が現れた。

 それを目にした途端、リックの心臓が大きく跳ねた。

「この辺の古い家は、中世の隠し部屋がまだ残っているんですよ」

 ドウェインは、リックの反応を驚きだと捉えて説明したが、リックがガタガタと震え出したのを見て、ニヤリと微笑んだ。

「もしかして、こういうの初めてじゃないんですね?」


 階段を下には、小さな燭台に照らされた、粗末な断頭台がポツンと置かれていた。

 マフィアの死体は、リックを下におろした。だが、リックは一人で立てないほどに震えて、逃げ出す余裕もない。

「この台は、ロレーナとマルゴにも使われたんです。今は僕の魔術用にとってあります」

 ドウェインは淡々と喋りながら、断頭台にリックの首を押し込んだ。

 リックは荒い息を繰り返し、瞬きすら忘れていた。ロッソ邸で負った傷からは流血し続け、何度も窒息させられ、脳みそが働く酸素も尽きている。朦朧としたリックの視界には、あの小さな礼拝堂が映っていた。

「ああ、お願い、殺さないで、お父さん」

「殺しはしません。これからは、僕のために働いてもらうんです」

 ドウェインが斧を掴んだ瞬間、リックの青い瞳から涙が溢れ出した。

「助けて、エイダン」

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