六 紫煙の行き先

 夜明け前の港は、不快な湿気と冷たい空気で覆われている。エイダンは、コートの襟を立てて、波止場に腰掛けていた。いつもなら、乗船時間ぴったりに港へ着くよう、リックが旅の計画を立ててくれるのだが、今や一人きりのエイダンにそれが出来るはずもない。仕方なく、真夜中から船着き場に居座って、船の出発を待っているのだ。

「ああ、暇だなあ」

 エイダンは背中を丸めて、黒手袋をはめた手に顎を乗せた。もしここにリックがいたら、計画性がないと叱られただろう。

「眠いなあ」

 エイダンは欠伸する気力もなく、ガックリとうなだれた。そこへ、堅い靴音が、波止場を軽快に近づいてきた。人の良さそうな警官が、エイダンを見つけて駆け寄ってきたのだ。

「あなたが噂の旦那さんですね。こんな朝早くから、どうされたんですか?」

 地味な制服に、バケツみたいな帽子。修道女よりもひどい格好である。

「おまわりさんこそ、わたしに何か用ですか?」

 エイダンが首をかしげると、警官は声を上げて笑った。

「変な男が船着き場にいるって詰所つめしょに相談があったんですよ。自殺か酔っ払いかの二択ですからね、心配になって伺いにきたんです」

「それはご迷惑をおかけしました。わたしは船を待ってるだけなのです」

 エイダンが事情を話すと、警官は目を丸くして言った。

「ここの船は欠航してるはずですよ。何かの手違いでは?」

「本当ですか? この船に乗る予定なのですが……」

 エイダンはポケットから乗船券を取り出して、警官に見せた。すると、警官は人の良い笑顔をくしゃっと丸めて答えた。

「あなたの船が来るのは、東の船着場ですね。よかったら警官隊わたしたちの馬車でお送りしましょうか?」

「それはありがたい。ぜひお願いします」

 エイダンは立ち上がると、警官について歩き出した。


 向かった先には、黒い革張りの立派な馬車が停まっている。エイダンがその珍しさに圧倒されていると、急に背中を押されて、馬車に押し込まれてしまった。

「いきなり何をするんですかっ?」

 硬い椅子に膝を打ち付け、エイダンは悲鳴をあげた。だが、狭い馬車に座っている先客たちに気づいて、口を噤んだ。

 向かい合わせに座っていたのは、黒いスーツに身を包んだ、マフィアだったのだ。

「……おまわりさん、これは一体?」

 エイダンは、隣に乗り込んできた警官に尋ねた。動き出してしまった馬車の中で、警官がおどけてみせた。

「すみませんね。うちの首領ドンがどうしても貴方に会いたいと言うもので」

「その首領ドンって、警官の偉い人ではないのでしょう? あなた、公僕じゃないのですか?」

 エイダンが詰め寄ると、向かい合って座っていたマフィアが口を開いた。

「おい、アルフレッド。こいつの口を塞げないのか、騒がれたらめんどくさい」

 アルフレッドと呼ばれた警官は、笑顔で肩をすくめた。

「おれは警官だぜ。誰かに止めら得ても、“薬物中毒者を護送中”って言えば簡単だろ?」

 アルフレッドは制服のポケットから煙草を取り出すと、親切なふりをしてエイダンに差し出してきた。

「一本吸います? 落ち着きますよ」

 エイダンは鼻をひくつかせ、アルフレッドの笑顔をジロリと睨みつけた。

「……おまわりさん、これ、煙草じゃないですよね?」

 すると、アルフレッドはイタズラがバレた子どものように吹き出した。

「旦那さんは鼻が効くんですね。おっしゃる通り、煙草よりもっといいものですよ」

 アルフレッドは煙草を自分の口にくわえ、火をつけた。窓を開けて煙を吐き出したが、馬車の中まで鼻の曲がるような臭いが立ち込めた。

「麻薬なんか吸っていいんですか?」

 エイダンが咎めても、アルフレッドは悪びれるそぶりも見せず、憂を帯びた眼差しを向けてきた。

「こんな時勢ですからね。吸っていないと、やってられないんですよ」

「公僕が聞いて呆れますな。正義の守護者も落ちぶれたものです」

「旦那さん、一つ忠告しておきましょうか。この街では、まともな奴こそ麻薬が手放せません。そうでなければ、正常な精神を保ていられないんですよ。まして、警官ともなれば、なおさらです」

「では、あなたはまともだと?」

 アルフレッドの言い草に、エイダンが問いかけた。

「ええ、わたしの吸わない同僚の方が、よっぽど“まともじゃない”ですから」

 アルフレッドは毒の煙を肺に流し込むように、深く息をした。


 それから馬車は橋を二つ渡り、角を曲がって、表通りにある荘厳なビルの前に停まった。『ホテル・コンシェルジュリー』と看板を下げた高級店だ。エイダンはエレベーターというものでビルの天辺まで運ばれてしまい、脳みそがふらついたまま応接室に通された。

 そこには、一人の女がゆったりとソファに腰掛けていた。

「お待ちしていましたよ、エイダン・コールさん。手荒な真似はされなかったでしょうね?」

 女はエイダンに握手を求めてきた。エイダンは、黒手袋をはめたまま握手に応え、女の顔を見た。化粧が濃くて年がわからないが、なかなか美人だ。

「わたしの思い違いでなければ、あなたとは初対面だと思うのですが」

「挨拶が遅れました。わたくしはこのホテルを経営しているカーリィ・ロッソと申します」

 エイダンは目を丸くして手を振り払った。すると、カーリィは少年のように笑い出した。

「ロッソといっても、あなたを付け狙うマフィアじゃないですよ。ワルター・ロッソはわたくしの遠縁です……ま、あれを血縁とは思いたくないのですがね。ですから、安心してお寛ぎください」

 カーリィの口調には油断がまるでなく、一国の将校と顔を合わせているようだ。エイダンは椅子に腰掛け、メイドが運んできた紅茶に口をつけた。

「それでは、カーリィさんがわたしを呼んだ理由はなんですか?」

 エイダンがすぐに本題を切り出すと、カーリィは前のめりになって、声をひそめた。

「あなたの秘密を、知ってしまいました」

 カーリィがにっこり笑うのと対照的に、エイダンは険しい顔をした。

「ほう……それで?」

「そんな顔しないでください。別にどうもしません。叔父があなたを狙っていると風の噂に聞こえてきたものですから、あなたについて少々探らせてもらったんですの」

 カーリィはテーブルの上に、古びた新聞や書物のページ、絵画などが描かれた紙を並べた。

「多くの文献を調べた結果、エイダン・コールという人物は、何百年にも渡って、さまざまな場所に現れています。時の権力者の側や、歴史の転換期となった場所。それらの人物は、みんな赤い瞳に銀髪をした壮年の男性であり、何十年も容姿が変わらない体質をしていたとか」

 カーリィは面白そうに話しながら、エイダンを見つめた。

「つまり、エイダン・コールという男は、不老長寿の人間である……違いますか?」

「それが、わたしだと?」

 エイダンは笑いそうになってしまった。だが、カーリィは真面目な顔をして頷いた。

「わたくしは、あなたを前にして確信しました。エイダン・コールは不老長寿の何世紀も生き続けている人物だと」

 エイダンは答える代わりに、カーリィの顔に目を向けた。カーリィは整った唇をキュッと結び、縋るような眼差しを向けている。エイダンが今まで出くわしてきた”不老不死の力を奪いたい”という人物たちとは、何かが違っていた。エイダンは沈黙に根負けし、深々とため息をついた。

「ここまで調べるのは、簡単なことではなかったでしょう」

「では、やはりあなたは不老長寿のエイダン・コールなのですね!」

 カーリィが顔を輝かせた。しかし、エイダンは険しい顔を向けた。

「なぜ、あなたが喜ぶのです?」

「わ、わたくしはただ……」

 カーリィが狼狽えて言葉を濁したとき、部屋の扉が音を立てて開かれた。エイダンは身の危険を感じ身構えたが、すぐに拍子抜けてしまった。扉から現れたのは、小さな男の子だったのだ。

「ママおはよう。ママおはよう。お仕事は終わった? お仕事は終わった?」

「トニー、勝手に入ってきちゃダメって言ったでしょう!」

 カーリィが口調が一転させて立ち上がった。それまでは将校のような風格だったのに、幼い子どもが現れた途端、慈愛に満ちた柔和な女になったのだ。

「ママ、お客さん? ママ、お客さん?」

 子どもの様子に、エイダンは眉をひそめた。現れた子どもはグルグルと部屋を走り回り、同じ言葉を繰り返してしゃべっているのだ。

「トニー、いい子で待っていてね。ママのお仕事が終わったら、一緒に朝ごはんを食べましょうね」

「わかった。わかった」

 子どもはメイドに手を引かれて、バタバタと部屋を出て言った。静寂さが戻った途端、カーリィは深いため息をつきながら、エイダンに頭を下げた。

「元気そうなお子さんですね」

 エイダンが笑顔を見せると、カーリィも遠慮がちに微笑んだ。

「わたくしの息子のトニーです。息子は、ちょっと個性的なんです。同じ年頃の子どもができることを、トニーだけが出来なかったり、発語に少々くせがあったり……著名な医者や聖職者に相談しましたが、みなトニーを恐れてしまい、なにも教えてくださらないんです。悪魔に取り付かれていると、言われるんです」

「それは、お辛かったでしょう」

 エイダンがカーリィに同情を寄せると、カーリィは目に涙を称えて微笑んだ。

「だから、不老長寿のエイダン・コールさんの知恵をお借りしたかったのです。うちの子は、悪魔になんか取りつかれていないって、証明するために」

「そんなこと一目瞭然です。あなたのトニー君は天使のような男の子です。今までよく立派に育てられましたね、カーリィ・ロッソさん」

 エイダンが言った途端、カーリィはわあっと泣き出してしまった。

 彼女が、必死になってエイダンの正体を調べた理由がわかった。彼女は不老不死の力そのものではなく、息子への愛情のために、エイダンを探し当てたのだ。だが、エイダンに言えることは、トニーが母親に愛されている幸せな子どもだ、と言うことだけだ。


 エイダンは自分のために用意されたクッキーを、小さなトニーにも勧めた。すると、トニーがエイダンの前におもちゃを差し出してきた。それは、ミニチュアの断頭台ギロチンだった。

「最近の子どもって、荒っぽいおもちゃが好きみたいで」

 カーリィもソファに座りなおし、息子を膝の上に乗せた。だが、トニーは母親の腕から抜け出し、断頭台のスイッチを入れた。すると、小さな刃がカシャンと落ちた。

「首、ぽろん。首、ぽろん」

「もうっ、トニーったら!」

 微笑ましい母子の会話を聞きながら、エイダンは背中が冷たくなっていた。ロッソファミリーとは決別しているとはいえ、子どもの玩具に断頭台のミニチュアを差し出すなんて、やはりロッソの家系には血の匂いがこびりついている。


 エイダンが愛想笑いに疲れてきたとき、部屋の扉が乱暴に開かれた。カーリィは眉を吊り上げて立ち上がったが、息を切らしたアルフレッドを見て、言葉を選びなおした。

「……どうしたの?」

首領ドン、たった今通報がありました。ワルターの屋敷が闇討ちにあって、全滅したそうです」

 アルフレッドは、布で包まれた血濡れの短剣を差し出した。それを見た途端、エイダンが声を上げた。

「それをどこで?」

「ワルターの屋敷に残されていました」

 アルフレッドは言葉を途切らせ、膝をついた。麻薬で汚れた肺に、階段を駆け上る動きは苦しいのだろう。カーリィはエイダンに目を向けた。

「この短剣の持ち主に心当たりが?」

「……わたしの手下の物です」

 エイダンが答えると、カーリィは控えのメイドに命令を飛ばした。

「コールさんに金塊を用意しなさい。この方のおかげで、あのクソジジイが死んだわ!」

 カーリィはトニーを抱き上げると、腹の底から笑い出した。真っ赤な唇が薔薇のように美しく広がり、トニーも微笑んだ。しかし、エイダンは血濡れの短剣を受け取って、かつての用心棒が、何をしたのかを静かに悟っていた。

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