五 首斬りの悪魔

 街の高台に、バロック様式の邸宅が建っている。高い外壁の中には、南国の植物が青々と茂り、黄金色の瓦屋根が輝く。富と権力のシンボルが詰められた屋敷は、莫大な資金を持つマフィアが住む家なのだ。

「あれが、ロッソの隠れ家です。王政が廃止されて以来、新たな王は自分だと言わんばかりの権勢です。中にいるマフィアも、兵士のようにロッソを守っています」

「ふうん」

 ドウェインの言葉に、リックはそっけなく答えた。隠れ家らしからぬ豪華な佇まいは、ロッソにとって警戒すべき敵が存在しない証だ。

「場所はわかるのに、警官が家宅捜査に入ることもできません。あっという間に戦争になってしまいます」

 ドウェインがリックに耳打ちしていると、話しの最中だと言うのに、リックは歩き出してしまった。ギョッとするドウェインを置いて、リックはロッソの邸宅の前で足を止めた。

 すると、門の前で煙草をふかしていたマフィアが声をあげた。

「なんの用だ?」

「立派な屋敷だなぁと思ってみてたんだよ」

「てめえ、からかってんのか?」

 マフィアがリックを威嚇するように睨みつけると、周りから数人のマフィアが歩み寄ってきた。どうやらリックを警戒して、加勢に来たらしい。リックは彼らを見ると、鼻を鳴らして笑った。

「見た目は宮殿でも、中身は豚小屋だな」

「なんだと!」

 リックは、掴みかかろうとしてきたマフィアの頭を掴み返し、捻じるようにへし折った。周りのマフィアたちはギョッとして、慌てて武器を構えたが、それらを使うことなく、あっという間に首を斬られて死んだ。

「おっと、煙草の火はしっかり始末しないとな」

 転がった煙草を、リックが踏み消した。

「リックさん、貴方よくも……っ」

 ドウェインは、虫けらのように人を殺すリックに怒りをぶつけた。だが、リックは肩をすくめて、叱責を受け流した。

「ドウェインさん、これが俺のやり方ですよ。制服を着てる貴方と違って、おれはルールを守っていたら、生きられない世界にいるんです」

 ドウェインは青い顔をさらに青くさせた。そんな善良な男に、リックは冷淡に告げた。

「ここから先はおれの専売特許テリトリーです。ドウェインさんは足を踏み入れない方がいい、すぐに家族が待ってる家に帰ってください」

 リックは腰ベルトから二本の短剣サーベルを取り出した。

「……わかりました。絶対に生きて帰ってきてくださいね、リックさん」

「あなたの正義のためにやるんじゃない。おれの忠誠心が、こうさせるんです」

 リックはそう言い残すと、屋敷の中に走っていった。死を覚悟した男の背中を、ドウェインは黙って見送った。そして、首を折られて死んだマフィアを見下ろすと、そっと呟いた。

「……いいな、これ」


 空気が冷えてきた。夜明けが近いのだ。

 リックはマフィアの屋敷に侵入すると、目についた人間を片っ端から切り刻んでいった。首元を刺し、腹をかっ切り、頭蓋骨を叩き割った。最初は音もなく忍び寄り、痕跡を残さず手を下した。だが、マフィアたちも自分たちが攻撃されていると気づき、激しい抵抗が始まった。豪華絢爛な屋敷は、瞬く間に戦場と化したのだ。武器を手に向かってくるマフィアを、リックは足をかけ転ばせ、心臓を突き刺した。

 

 リックたった一人の戦争は、路地裏で出会った、ドウェインと名乗る警官から誘いをかけられたことに始まる。

「貴方はずっとマフィアにつけ狙われているんでしょう? だったら、こちらから出向いてマフィアを壊滅させませんか?」

 ひ弱そうな警官から、こんな過激な提案が飛び出すとは思ってもみなかった。リックは思わず眉をひそめ、笑い飛ばしてしまった。

「公僕がそんなこと言っていいの? それに、あんたたちは、ロッソファミリーに干渉できないんでしょう?」

「貴方とマフィアたちの会話を聞きました。だから、貴方に提案したんです。マフィアの刺客を殺し続けている貴方になら、できると思って」

 ドウェインは、真剣な眼差しでリックに訴えてきた。

「この街はマフィアに牛耳られているんです。奴らをこの街からつまみ出すには、手段を選んでいられない。力には、それを上回る大きな力で対抗するしかないんです」

「だから、おれに声をかけたの?」

「マフィアを潰せば、貴方だって得をすることがあるのでしょう?」

 ドウェインの言葉は図星だった。彼の言う通り、ロッソ・ファミリーのしつこさは、リックの予想を上回っている。おそらく今後も自分とエイダンの両方に、追っ手が付くことだろう。ここで、根こそぎ潰しておくべきだ。

 ならば、リックが選ぶ道は一つだけ。

「利害の一致ってやつだな。いいぜ、のってやるよ。ただしおれは殺人鬼じゃない、用心棒だ」


 そう、リックがマフィアを八つ裂きにするのは、殺人の狭楽に酔っているからではない。これはボスへの最後の奉公。完膚なきまでにロッソ・ファミリーを潰せば、エイダンの秘密を狙う輩はいなくなり、先の旅路は安泰であるはず。

 リックは、用心棒として最後までエイダンのために働くのだ。


 屋敷の一階と二階にいたマフィアは葬った。リックの全身は返り血で光り、爪の間にまで血がしみ込んでいる。ここまで酷使した身体には、疲労が蓄積し始める。だんだん重くなる手足に、リックはさらに神経を集中させた。

 三階に続く階段を登りかけたところで、リックは殺気に気づき、手すりを飛び越え身を隠した。その直後、今までリックがいた階段が粉々に吹き飛んだ。三階の渡り廊下から、マフィアがショットガンで狙いを定めていたのだ。

「ドブネズミめ、諦めて出てこい!」

 勝ち誇ったマフィアの声に、リックは深いため息をつきながらポケットを弄った。その手に、血が滲んだ。リックの血だった。

「さすが、金持ちは持ってる武器が違うなあ」

 くたびれた独り言と一緒に、火薬を放り投げて拳銃で撃った。すると、瞬く間に骨を揺さぶるほどの爆音が轟き、屋敷の壁に大穴を開けた。リックは噴煙の中に飛び出し、踊り場にいたマフィアの脳天を銃で撃ちながら階段を駆け上った。


 この屋敷の主人、ワルター・ロッソは、寝間着姿で葉巻を咥え、イライラと足を揺すっていた。

 途切れることのない騒音と、壊滅寸前のアジト。ロッソは怒りと不安に苛まれて、じっとしていられなかったのだ。そこへ、爆発音が轟いた。

「おいっ、迎えの馬車はまだ来ないのかっ?」

 ロッソは執事の胸ぐらを掴んで詰め寄った。屋敷に置いてあった馬車は、全て車輪が破壊されていたのだ。

「屋敷の若い連中に伝えろ、侵入者を殺した奴にはさらに報酬を出す! なんとしても侵入者を殺せ!」

 ロッソは、だんだん体の震えが止められなくなっていた。そのとき、重厚な木製の扉から声がした。

首領ドン、お迎えにあがりました」

 待ち望んだ言葉だ。ロッソは執事にコートを取って来させ、寝間着の上からゆったりと羽織った。

「ああ、助かった!」

 執事が扉の向こうに声をかけた。ロッソも急足で扉に駆け寄る。だが、二人ともすぐに予想が外れたことに気がついた。

 開いた扉の向こうには、金髪を返り血で染めた一人の青年が立っていたのだ。

「あんたがワルター・ロッソだな?」

 ターゲットを見つけたリックは、血の滲んだ口をニヤッと吊り上げた。その途端、ロッソはコートを翻して踵を返した。

「殺せっ! 撃ち殺せっ!」

 ロッソを囲んだ護衛たちが、一斉に拳銃を構えた。リックは扉の側にいた執事を掴み、自分の前に引っ張った。

 激しい銃撃戦の狭間で、執事の体が血を噴き出した。リックは“盾”に隠れながら、銃を撃つのマフィアを突き刺し、もう一人の腹を斬り裂いた。リックはボロボロになった盾をマフィアに放り飛ばし、相手が驚いた隙にその頭をかち割った。そのとき、部屋から逃げ出そうとしているロッソを横目で捉えた。

「待て!」

 次の瞬間、激しい痛みがリックの体を貫いた。残ったマフィアの攻撃をまともに受けてしまったのだ。

 リックは痛みを踏み躙りながら短剣を飛ばしてマフィアを倒した。だが、生き残りのマフィアは虫のように湧いてくる。

 その間に、ロッソは秘密の抜け穴を通り、屋敷を抜け出そうと必死だった。壁に隠された避難用の階段を駆け下り、あっという間に庭に出た。

 それを窓から確認したリックは、庭に生えている南国の樹木を頼りに身を投げた。大きな葉や枝を握りしめ、ほとんど墜落しながら着地した。それでも、芝生の上に降り立ったリックは、すぐにロッソの前に飛び出した。

 もう誰の血なのかわからないほど、真っ赤に濡れたリックの姿に、ロッソはあられもない声をあげた。

「あ……悪魔だ」

「そうだよ、おれは悪魔だ」

 リックは短剣を握り、ロッソの上に馬乗りになった。ロッソは悲鳴を上げるだけで反撃もしない。しつこくエイダンを狙った相手にしては、あまりにも弱すぎる。リックは眉を顰め、ナイフを突きつけながらロッソに言った。

「お前、エイダン・コールの秘密をどこで知った?」

「秘密? なんのことだ?」

 ロッソが困惑した顔を見せると、リックはさらに問い詰めた。

「とぼけるな! エイダン・コールに何度も刺客を送っただろう! 何が目的だったのか白状するんだ!」

 すると、ワルター・ロッソの目に殺気が戻り、初めてマフィアのボスらしい顔を見せた。

「エイダン・コールは、わたしの息子を殺した男だ! 復讐するのに、理由なんて必要ないだろう!」

「息子……?」

 ロッソの答えを聞き、今度はリックが困惑した。確かに、この街でリックは大勢の人間を手にかけた。だが、それは全てロッソが送り込んだ刺客たちだ。ロッソの息子なんて、殺した覚えは全くない。それどころか、ロッソに息子がいたことも、初めて知った。

「どうして、息子を殺した犯人がエイダンだと思ったんだ」

 リックが落ち着いて問いかけると、ロッソも不思議そうな目をした。

 その直後、二人の頭上に黒い人影が近づいてきた。リックが目線を上げたのと同時に、発砲音が響き、ロッソが短い悲鳴をあげた。リックが目線を下げると、ロッソは頭を撃ち抜かれて死んでいた。

「大丈夫ですか、リックさん」

 その声にリックは弾かれるように驚いた。屋敷の前で別れたはずのドウェインが、ゾッとするような顔をして銃を構えていたのだ。

「あんた、帰ったんじゃ……」

「やっと、忌々しいワルター・ロッソを殺すことができました。リックさんのおかげですよ」

 ドウェインは涼しい顔でロッソの死体を見下ろし、拳銃を閉まった。

 リックも短剣を鞘に戻したが、糸が切れたように体がグラりと揺れだした。視界がだんだんぼやけてきて、空なのか地面なのかもわからない。

 リックはロッソの横に倒れてしまった。

「まだ、生きててくださいね」

 ドウェインが、声をかけながらリックの顔を覗き込んできた。

「あなたには、まだ頼みたいことがあるんです」

 すると、ドウェインの背後から屈強そうな大男が現れた。リックは大男に抱き上げられ、無抵抗にどこかに連れていかれようとしている。しかし、リックは疲労と死の香りに掴まれて、振り払うことができない。落ちていくリックの意識が、最後に感じ取ったのは、懐かしいあの匂いだけだった。

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