四 処刑人の囲い子

 エイダンとリックが出会ったのは、山奥の小さな村だった。村の入り口には、大きな断頭台があり、首を切られた囚人の遺体が、無造作に転がっていた。

 その場所は戦争が繰り返された土地であり、村も戦火に巻き込まれていた。この地獄絵図は、侵略者たちを追い払うための、恐怖の防壁だったのだ。

 それを作り上げたのは村の司教だった。

 侵略者たちの襲来はなくなった。だが、村の入り口には、カラスが群がる死体と、すさまじい腐敗臭で溢れかえっていた。


 エイダンは、フラリと立ち寄ったその村の、歪な空気に嗚咽した。たったそれだけで、エイダンは断頭台に繋がれて、首を刎ねられたのだった。

 体は断頭台に挟まれたまま。切り落とされた首は、処刑場に放置された。

「あーあ、暇だなあ」

 不死のエイダンは、首を切られても生きている。しかし身体から切り離された生首では、動くこともできない。しかたなく、生い茂る雑草の間から、不釣り合いな青い空を見上げるしかなかった。


 日が傾むくと、今度はどす黒い夕焼けに包まれた。風の向きが変わって、むせかえる腐敗集がどこかに掻き消えた。久しぶりに新鮮な空気を吸ったエイダンは、ない胸を撫でおろした。すると、鈴の音のような柔らかな声が降ってきた。

「ねえ、もしかして、生きてるの?」

 エイダンが目線だけを動かしてみると、金髪の子どもが佇んでいた。

 泥だらけの肌にボロきれを纏い、ガリガリに痩せた体は小便臭い。子どもの青い目だけが、宝石のような輝きをしていた。

「やっぱり、生きてるんでしょう?」

 子どもが雑草をかき分け、エイダンの元へと近づいてきた。だが、エイダンは苦笑を浮かべると、気まずそうに目線をそらした。

「生きてるけど、わたしを見ないほうがいい。夜眠れなくなっちゃうよ」

「もともと、夜は眠れないから別にいいよ」

 子どもは最後の雑草をかき分け、生首のエイダンを見つけた。エイダンが遠慮がちに微笑むと、子どもは目を見開いて硬直した。

「ごめんよ、こんな不気味な姿で」

「すごい、首だけで喋ってるの?」

 謝るエイダンに、子どもは怖がるどころか傍に腰を下ろし、しげしげとエイダンを覗き込んできた。

「おじさんって、断頭台の妖精?」

「残念ながらもっと悪いものだよ。お嬢ちゃん、わたしが怖くないのかい?」

「うん、生首は見慣れてるし。あと、おれはお嬢ちゃんじゃないよ。リチャードって言うんだ」

 リチャードは歯の抜けた口をニコッとさせて、エイダンの首をヒョイっと拾い上げた。

「おじさんには名前あるの?」

「エイダンだ」

「へー、いい名前だね」

 リチャードの笑顔は、まるで星空を閉じ込めたような光を帯びていた。夕日の中で青く光る彼の瞳に、エイダンはしばらく言葉を忘れて見惚れてしまっていた。

「おじさんはずっとここにいるの? 雨が降ったら濡れちゃうでしょ」

 リチャードの気さくな態度に、エイダンは面食らった。長い人生の中で、こんな屈託のない言葉をかけられたのは初めてだったのだ。しかも、こんな生首の姿で。エイダンは動揺しながら、目玉をキョロキョロ動かした。

「わたしにあまり関わらないほうがいい。それにここは処刑場だろう。お母さんが心配するんじゃないか?」

「お母さんなら、ここにいるから大丈夫」


 リチャードは、処刑場の奥を指さした。断頭台のさらに奥に、縄で吊るされた死体が何体もぶら下がっていた。絞首刑にされた者たちだった。エイダンは、目を剥いた。すると、腐った首吊り死体が、お辞儀をするように揺らめいた。

「……あれが、お母さんだって?」

「おれのお母さんね、敵の兵士の赤ちゃんがお腹にいたんだって。だから、お父さんに殺されちゃったんだ」

 リチャードの言葉を聞いた瞬間、エイダンは堪えきれずに声をあげた。

「それじゃ君のお父さんって、この村の司教なのかっ?」

「そうだよ」

 リチャードはくたびれた表情で頷いた。

「おれがここに来てること、お父さんには内緒なんだ。だからおじさんと喋ってても平気だよ。お父さんは知らないもん」

 リチャードの金髪が風に揺れた瞬間、首筋に残る拷問の痕が夕日の光に照らされた。あまりのむごさに、エイダンは顔を顰めた。戦火に見舞われる村には、こんな光景ばかりが目に付いてしまう。エイダンは、せめてもの慰めになればと思い、おずおずと切り出した。

「リチャード、わたしのお願いを聞いてくれるかな。そうしたら、君のお母さんを地面に下ろしてあげるよ」

 エイダンの申し出に、リチャードは青い瞳を光らせて頷いた。

 エイダンは、リチャードに断頭台から体を下ろさせると、コートのポケットに入れていた黒い糸で、生首と体の断面を縫い合わせるように頼んだ。首が胴体と繋がると、エイダンは何事もなかったように立ち上がり、リチャードを驚かせた。エイダンはすぐにリチャードの母親を、ゆっくりと抱き下ろした。

「おじさん、ありがとう」

 リチャードは、青い目から涙をボロボロこぼして、久々に母親と抱き合った。


 だが、リチャードはすぐに家路を急いだ。そろそろ帰らないと、父親に叱られてしまうと言ったのだ。別れの挨拶もそぞろに、エイダンは墓場に残されてしまった。

 仕方なく、エイダンはリチャードの母親の傍に腰かけた。

「貴女の息子さん、天使みたいな子ですね。わたしを怖がらずに首と胴体をつなげてくれた」

 エイダンは、空っぽになった母親の目の奥を見た。

「だけど、なぜあの子はここにいたのでしょう?」

 リチャードは、司教の息子のはずだ。悪魔のような自分を忌み嫌っていてもおかしくはない。それに、あの子の拷問の跡は真新しかった。エイダンはしばらく考えた後、無言の死体に会釈をし、村に通じる坂道を下り始めた。

 司教の家は、こんな夜でも明かりが煌々と灯っている。エイダンは司教の家に忍び寄ると、処刑場で拾った金棒で、施錠されたドアをこじ開けた。家の中は不気味なほど静まり返っている。だが、床の下から、嫌に湿っぽく、腹の奥がムズムズするような音が、規則的に聞こえていた。

 エイダンは地下に通じる階段を下り始めた。蝋燭が無数に灯され、地下だというのに、とても明るい。

 そこは小さな礼拝室だった。

 だが、ここで繰り広げられている惨劇は、祈りとはまるで逆だった。

 酒と煙草が、気化した人の体液と混ざって凄まじい悪臭を放っている。その中に、小さな断頭台がそびえていた。台から突き出た小さな手が、ときどきピクンと痙攣している。奥の壁には、獣がまぐあうような影が、断頭台の背後に長く伸びて揺れていた。

 断続的に聞こえていたのは、この断頭台が軋む音と、小さな子どもがあげる悲鳴だったのだ。

「お父さんっ、痛いよっ」

 金切り声が聞こえた途端、エイダンの緋色の瞳がぐらりと揺らめいた。

 理解したのだ。あの子の拷問の跡が、誰につけられたものなのか。なぜ悍ましい自分にも臆することなく接することが出来たのか。朽ちた母親の死体を抱きしめ泣いたのか。ここはあの子にとって、とっくの昔に地獄に成り果てたのだと。

 地下室の蝋燭が轟々と燃え上がり、エイダンの口から赤い霧が漏れ出した。


 その瞬間、リックは目を開いて飛び起きた。心臓が壊れたみたいに脈を打ち、汗がヘドロのように全身にまとわりついている。

 最悪な夢だった。燃え盛る生家、灰に変わった村、断頭台に押さえつけられた父親の叫び声。だけど、あの日はリックが生まれ変わった日でもあった。全てを消し去ってくれたのは、唯一無二のあの人だ。

「ねえ、ボス、今さ–––」

 リックはエイダンを探して起き上がり、そこにはもう誰もいないことを思い出した。

 部屋が寒く感じて、リックはベッドの上で膝を抱えた。子どもの頃、こうして座っていると隣にエイダンがやってきて、リックが眠るまで不思議な魔法の話をしてくれたものだ。ときどき、リックは寝たふりをしたが、エイダンはそのあともずっと側にいて、手袋をはめた手で、優しく髪を梳いてくれた。あの手の感触は、今もリックの胸に仕舞われている。

 リックは、冷たくなったベッドの、皺の寄った面を見た。もう、ここに寝そべる気にはなれない。仕方なくシャツを羽織り、月明かりを頼りにボタンをかけようとした。

 しかし、リックはふいに手を止めた。窓の下、二人組の男が、薄暗い路地の影に立っている。

 リックは素早く身支度を済ますと、猫のような身のこなしで部屋を出た。

 街をうろついてたのは、マフィアの下っ端だった。

 どうして下町のゴロツキは、みんな同じような服を着たがるんだろう。ボスがここにいれば、修道女みたいだと冗談を言ったに違いない。笑いそうになって、リックは慌てて頭を振った。もうエイダンはそばにいないのだ。リックは深く息を吐くと、未練を断ち切って月明かりの下に忍び込んだ。

「ねえ、誰かを探してるの?」

 リックはポケットに手を突っ込み、間延びした声で尋ねてみた。すると、二人のマフィアは飛び上がって驚いた。

「もしかして、迷子の猫でも探してる?」

 リックが首を傾げながら歩み寄ると、二人のマフィアはナイフを突きつけてきた。

「金髪青目の殺し屋ってのは、てめえか」

「ああ、探してるのは金髪青目の殺し屋か。だけどおれは、殺し屋じゃなくて、用心棒だよ」

 リックが答えた瞬間、二人のマフィアが襲いかかってきた。リックは無駄のない動きでナイフをかわすと、一人目のマフィアに膝蹴りを食らわせ、二人目が振り上げたナイフを手刀で叩き落として、空いている片手で掴み取った。

「遅いなあ」

 リックが呟いたのと、二人のマフィアが首元から血を吹き出して息絶えたのは、ほとんど同時だった。リックは返り血を乱雑に拭うと、倒れたマフィアの髪を掴んで、もげかけた首を覗き込んだ。

「……やっぱり、ロッソの手下か」

 マフィアの鎖骨の間に、赤い蛇の刺青を見つけた。リックは死体を手放し、腰に手を当てて肩を落とした。まさかロッソ・ファミリーが、ここまでしつこいなんて。

「……このままじゃ、いけないな」

 そのとき、リックの耳に小石の転がる音が届いた。リックはすぐさま胸ベルトから拳銃を抜き出し、音の出所を睨みつけた。

「出てこい、勝負といこうや」

「ま、待ってください。敵意はありません!」

 返ってきた間の抜けた声に、リックは思わず肩透かしを食らった。それでも、引き金を弾けるように、指に神経を集中させた。すると物陰から、警官の帽子を被った男たちが顔を出した。人の良い笑顔の男と、大人しそうな丸眼鏡の男だ。

 リックは思わず鼻をしかめた。なんだか、嫌な臭いがしたのだ。

 警官たちは、自分たちの弁明に必死だった。

「俺たち、巡回中の警官です。物音を聞いて駆けつけたんです」

「へえ、こんな夜中にお疲れ様です。もしかして、オレを逮捕するつもりですか?」

 リックは気さくに話しかけ、拳銃の引き金に指をかけた。すると、警官の二人は顔を青くさせた。

「いえいえ、俺たちはロッソ・ファミリーの件には手出しできないことになってるんで、何もしません!」

 笑顔の警官が、わざとらしくへりくだった。彼の言葉に嘘は無いらしい。リックは拳銃を下げると、胸ベルトに戻した。

「だったら、オレはもう行かせてもらうよ。アンタらは、この死体を掃除しておいてくれ」

 リックは警官たちに背を向けて歩き出した。ところが、しばらくすると、また背後に気配を感じた。リックは踵を返して駆け出すと、短剣の切っ先を突き出した。

 物陰の隅に、先ほどの警官の一人が、縮こまって立っていた。

「オレを逮捕しないんだろ?」

 リックは値踏みしながら尋ねた。すると、警官の男はガタガタ震えながら告げた。

「ぼ、僕はドウェイン・フォルテと言います。逮捕しない代わりに、僕はあなたに協力したいんです」

 ドウェインは、緊張した笑顔をリックに見せた。

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