三 地獄の楔
古いホテルで起きた殺人事件。
被害者は、ロッソファミリーの殺し屋だった。二人とも急所への一撃で即死しており、確実に命を奪う残忍な手口を使われていた。彼らを殺した犯人は、殺しのプロというより、そういう生き物ではないかとすら思えてくる。
例えば死神や、悪魔のようなものではないかと。
ドウェインは、真夜中に起こった大量惨殺事件と、昼間の殺人事件の類似点に、嫌でも気がついていた。二つとも、ロッソファミリーが絡んだ事件であり、被害者達は、返り討ちにあって死んだのだ。
つまり、夜中の事件も、麻薬中毒の犯行ではない。もっと残忍で天才的な殺人鬼が、この町の何処かにいるはずなのだ。
ところが、他の警官たちは複雑化した事件に愚痴を言い、天井が曇るほど煙草をふかしている。ドウェインは、煙草の煙を払うように事件の資料を振り上げた。
「みんな、どうしてそんな顔をするんだ。この事件は、パン屋と肉屋の殺し合いじゃないんだぞ、ロッソファミリーに介入する、絶好の足がかりになるじゃないか!」
「たった今、上からのお達しが出たぞ。今回の事件には、我らは必要以上に干渉しないことになった」
ドウェインが息巻いた直後に、部長が部屋に戻ってきた。その腕には、規制線を張るための地図や道具が抱えられている。
ドウェインは、目を見開き部長に詰め寄った。
「どうしてですかっ、ロッソを監獄へ送る絶好の
「俺だって悔しい。だが、これは上部からの命令なんだ」
部長は無気力だ。ドウェインは隊長の闘志を取り戻そうとして、彼の胸に資料の束を叩きつけた。
「部長も言っていたじゃないですか。この町の悪を、排除したいって!」
「……ドウェイン、懲罰部屋に行きたくなければ、町の巡回にでも行ってこい。今すぐだ」
部長は、冷めた目でドウェインを睨み、規制線張りの道具を押し付けた。ドウェインは怒りのあまり顔を青くさせ、震えて立ち尽くしていた。だが、後ろから同僚のアルフレッドがドウェインの腕をとり、そっと囁いた。
「行こうぜ、ドウ」
ドウェインは、引きずられるように部屋を出て行った。
「世も末だな、マフィアの息が、ここまでかかるとは!」
ドウェインは、廊下のゴミ箱を蹴り飛ばした。アルフレッドは、怒り狂うドウェインを哀れんだ目で見つめていた。
ようやく、ドウェインが大きく息を吐きだすと、アルフレッドは懐から煙草を取り出し、一本をドウェインに差し出した。
「吸うか? 少しはマシな気分になるぜ」
「僕はやらない。娘が生まれたばかりなんでね、妻に吸わないように言われてるんだ」
ドウェインはアルフレッドに笑顔を見せようとした。だが、家族の顔が思い浮かんだ瞬間、マグマのような感情がさらに膨れ上がり、徐々に黒く冷えていった。
アルフレッドは眉間にしわを寄せて、煙草をグシャリと握りつぶした。
それから一週間のうちに、新たな死体が六つも上がった。なのに、警官は犯人探しも事件の捜査も行わなかった。昼間から酒と煙草を口にして、賑やかに過ごし続けたのだ。
「この町の警官は明るくていいなぁ、活気があるよね、活気が」
その光景を、エイダンがカフェテリアのテラスから見下ろし、にこやかに微笑んだ。リックはサンドイッチを頬張りながら、周囲に目を這わせ、警官の様子なんて気にも止めていない。
「リッキー、今は昼間だよ。ロッソの刺客も簡単には手出しできないさ」
「けど、スナイパーが狙ってるかも。ケツの穴がもう一つ増えたら、クソするときどーするんだよ」
「リック、今は食事中だよ」
エイダンが黒手袋をはめたままワインを飲むと、リックはムッと口を尖らせ、サンドイッチを喉の奥へ押し流した。
「この街にいるうちは、落ち着いて飯も食えないよ。いつもみたいに、適当に地図に印をつけて旅に出ようよ」
リックはレモネードをガブガブ飲み干して、店員にお代わりを要求した。それから、もう一度エイダンを振り返った。
「このままじゃ、ロッソに狙ってくださいって言ってるようなもんだぜ?」
「本当は、わたしも旅に出たい。だが、近頃は列車の切符も船の乗船券も手に入らないだろう。それに、どこに行っても、身元がはっきりしない人間を排除する力が強まっている。簡単に移動できる時代じゃないんだ」
「あ〜、身分証だとか通行証だとか、いろいろとうるさいよね」
「人類が法と秩序によって成熟している証拠でもあるが、人類ではないわたしには、少々生きづらい」
エイダンが乾いた笑みを見せると、リックは肩を落とした。
「19世紀が恋しいな」
「19世紀などほとんど知らないだろう」
「ジジイって呼ぶぞ」
リックが頬を膨らませたそのとき、少し離れた場所から、可愛らしい声がクスクス笑った。エイダンが振り向いてみると、一人の若い店員が、夢見るような表情でリックを見ていた。どうやら、リックとエイダンの会話を、途切れ途切れに聞いていたらしい。
リックを見てみると、彼も満更ではない顔をしている。
「……ほう?」
思わずエイダンが声を上げると、リックは弾かれたように顔を赤くした。
「ボス、そんな顔するな! あの子は最近よく顔を合わせる店員なんだよ! 明らかに危険な人物じゃないだろ。だから警戒する必要もない!」
リックの言い訳には耳を貸さず、エイダンは店員に会釈をした。店員は姿勢を正してから、深々とお辞儀を返してくれた。どうやらエイダンを、リックの身内か仕事の上司だと思っているらしい。
先ほど頼んだレモネードと赤ワインを、その店員が運んできた。店員は嬉しそうにリックに話しかけ、リックも嬉しそうに返事をする。店員が去った後、リックには緊張の名残が残っていた。その顔は、悪魔のような用心棒ではない。年頃の、幸せそうな青年の顔である。
「……いいんじゃないか、とても」
リックを祝福したはずのエイダンは、チクリと胸が痛かった。
思っても見なかった。いつか、リックに人生の伴侶が現れるかもしれないなんて。
エイダンはテーブルに並べた札束を、リックの姿を思い浮かべながら、丁寧に重ねて封筒に押し込んだ。そこへ、風呂上がりのリックが半裸姿でやってきた。金を数えているエイダンを見て、リックは囃し立てた。
「すごい大金じゃん。やっと新天地への旅立ちが決まったの?」
「そうだ。次の行き先は、お前が決めるんだ」
エイダンは分厚い札束をリックに差し出した。
「おれが決めていいの?」
「ああ、どこへでも好きな場所に行くといい」
エイダンの奇妙な口ぶりに、リックは眉を顰めた。
「言っている意味が、ピンとこないけど。おれの行きたい場所に、ボスは文句を言わないでついて来れる?」
「無理だな」
「じゃあ、どういう風の吹き回し?」
リックが札束を降ると、エイダンは難しい顔で腕を組んだ。リックはさらに怪訝そうに、エイダンの言葉を待った。
いよいよはぐらかすことができなくなったエイダンは、仕方なく答えを突きつけた。
「そろそろ、わたしたちは別の道に進むべきということだ」
「なに言ってるんだよ。ボスと一緒に旅ができるやつなんて、おれぐらいしかいないだろ」
「だから、お前が煩わしくなった」
突き放すようなエイダンの言葉に、リックは愕然とした。冗談だと思って笑い飛ばそうとしていたのに、エイダンの表情にはなにも感じられない。彼が真剣に話していることを理解して、リックは、恐ろしく沈んだ声で真意を尋ねた。
「ボスは、おれと一緒にいたくないの?」
「そうだ」
「おれ、誰よりも強くなったよ。殺し屋が束になってかかってきても、全員返り討ちにできる。殺し方を選ぶことだってできる。それなのに、どうして一緒に行けないんだよ?!」
リックの悲痛な問いかけに、エイダンは答えた。
「お前は確かに強い。身体も若く丈夫だ。しかし、いずれは老いて朽ちてしまう。不死のわたしとは釣り合わない。お前は必ず弱くなる」
「そんなこと百も承知だ。おれがボスを守れなくなったとき、自分で自分のケジメぐらいつけられる」
リックは食い下がると、自分の首を掻っ切る仕草をして見せた。それを見た途端、エイダンの取り繕っていた仏頂面が、ガラガラと崩れてしまった。
「……そうだろうなあ。リックは、躊躇わずに己まで殺してしまうよなあ。……だからだよリック。わたしのそばにいる限り、お前はいつまでも地獄にいるままだ」
エイダンは、黒い手袋をはめた手を伸ばし、リックの滑らかな頬を触った。
「リックと出会ったとき、わたしは、あの地獄からお前を救い出せると自負していた。しかし、わたしのそばにいることで、リックを楔で繋いでしまい、地獄の渦中に留めただけだった」
「それは、おれが望んだことで––」
「わたしの望みは、リックが幸せに生きることだ。今までの長い人生で、これほど誰かを思ったことは一度もない」
エイダンは強い口調でキッパリと言い、リックの青い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「わたしのことも全て忘れて、新天地でやり直すんだ。お前は、わたしではない誰かと生きる道を探しなさい」
「……ボス、おれは……」
リックが泣きそうな声で呟いたとき、エイダンの背中から、真っ赤な火柱が立ち上った。リックの金髪が赤色に照らされ、頬がジリリと熱くなる。エイダンは整然としたままで、ゾッとするような顔で告げた。
「わたしは、もともとお前に守られるほど弱くない。その気になれば、お前を一瞬で消し炭にできるんだぞ。……さあ、札束を黒焦げにされたくなければ、さっさとわたしの元からいなくなれ!」
エイダンの怒鳴り声に、リックは身体をキュッと縮こませた。その目には恨めしさや寂しさが浮かんでいたが、一切の小言もないまま、リックは歩き出した。
しかし、リックがふいに立ち止まり、リ背中を向けたままエイダンに告げた。
「ボス、おれが側にいたいと思うのは、あなただけだ。この先何があろうと、それは変わらない。おれはあなたがいる地獄なら、いつでも喜んで飛び込むよ」
「いいから、早く行きなさい」
エイダンは覇気のない声でリックを追い出した。最後に扉が閉まる音が聞こえると、火柱はあっという間に消え去って、エイダンはその場に崩れるように座り込んだ。
リックがいなくなると思うと、震えが走るほど寂しかった。堪えようと思っても、涙が溢れて止まらない。
「わたしは、あの子を楔で打ち付けていたんだ。これでよかったんだ。もっと早く自由にしてやるべきだったんだ」
エイダンは泣きながら自分に言い聞かせ、その場に突っ伏して涙を流し続けた。
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