二 慈悲深い用心棒

 真夜中の惨劇は、町中の警官に招集がかかるほどの騒動となった。

 その一人、ドウェイン・フォルテは、古い路地裏に転がる無残な死体に、吐き気を催して物陰に飛び込んだ。

「酷い。人の命を、なんとも思っていないみたいだ」

 丸眼鏡を外して涙ぐむドウェインの肩を、同僚のアルフレッドが支えた。

「ドウには辛い現場だよな。けど、事件はもう片がつきそうだ」

「もう容疑者が割れたのか?」

 ドウェインは丸眼鏡を掛け直した。すると、アルフレッドは神妙な顔で頷き、ドウェインに耳打ちした。

「警官が駆けつけたとき、まだ息のあるマフィアがいた。奴は“喋る生首と翼の生えた悪魔が仲間を殺した”と言って死んだらしいぞ。麻薬の幻覚とは、恐ろしいもんだ」

 アルフレッドは笑い出した。

「薬物中毒者の、同士討ちだっていうのか?」

「部長はそう睨んでる。喋る生首と悪魔なんて、幻覚じゃなけりゃなんなんだ?」

 アルフレッドは、のんびりと歩いていった。

 容疑者が死んだのなら、犯人探しはやらずにすむ。この惨劇を善良な市民の目に入れないようにすればいいだけだ。

 ドウェインは、アルフレッドの気の抜けた背中からそんな意図を読み取った。


 しかし、ドウェインは違和感を拭えない。

 ドウェインの目は、少なくとも死体は“七つ”あったはずだと捉えていた。なのに、現場には“六つ”の死体しかない。

 死体のあった場所とは別に、明らかに致死量である血溜まりと、血溜まりを踏みつけたらしい足跡が残されていた。まるで、死体が起き上がったかのような跡である。

「なあ、アル。この被害者が誰だか知ってるか」

「質屋のロジャーだよ。質屋といっても、ロッソファミリーの息がかかった男さ。ロジャーは奴に借金があったらしい。そのせいで妻も娘も売ったそうだ。自業自得の死に方だ」

 アルフレッドはそう締めくくって、煙草をふかし始めた。ドウェインは、流れてくる煙を手で払いつつ、ポツリと言った。

「本当に、薬物中毒者の犯行なんだろうか。もしかしたら、本当に化け物みたいなやつがいたのかも」

「ドウ、お前、活動写真の観すぎだぞ」

 アルフレッドの皮肉を聞き、ドウェインは血溜まりの足跡をかき消すように踏みつけた。


 何事もなかったように、夜が明けた。街の小さな新聞社が、残忍な殺人事件について、一面で大々的に報じていた。

 エイダンは黒手袋をつけた手で、寝癖のついた髪の毛をかきあげながら言った。

「なんと物騒な事件だ。真夜中の道で大量殺人だと。しかも犯人は、麻薬中毒で幻覚を見ていたそうだ。おいリック、お前は間違っても麻薬なんぞに手を出さないでくれよ」

 エイダンの嘆きに、リックは白けた表情で釘を刺す。

「それヤったの、オレだっつーの」

「あれ、そういえば、そうだったなあ」

 エイダンは笑いながら新聞を畳み、テーブルの端に置いた。そこへ、リックが朝食を並べた。

「今日の朝食はスコーンと紅茶だ。蜂蜜をかけて食べろよ」

「朝食? 武器の間違いじゃないのか?」

 エイダンはスコーンを掴むと、テーブルの角にガンガン打ち付けた。ぼろっと崩れたのは、古い木のテーブルだった。

「こんなの食べたら首がもげるよ。ただでさえ、昨日から調子が悪いのに」

 エイダンがため息をつきながら肩を回すと、リックはエプロンを脱ぎ捨て、キッチンからすっ飛んできた。

「まさか、首がくっついてないのか? 切られ方が下手くそだったからか?」

「んー、砂利とか挟まっちゃったかなあ」

 エイダンが首を左右に伸ばし始めると、リックは肘をエイダンの肩に押し当て、グリグリと回し始めた。

「砂利、ありそうか?」

「砂利は嘘。だけどリッキーのマッサージは最高だよ。次、反対側もお願いね」

 ちゃっかり小間使いにされてしまい、リックはエイダンの肩を目一杯押しつぶした。エイダンが悲鳴をあげると、リックは悪魔のように笑い返した。

「もー、お前はどうして優しくしてくれないんだ。わたしは優しい人間が好きなのに」

 エイダンが肩をさすった拍子に、血が滲んだ素肌がさらされた。斬られた首を、黒い糸でギチギチに縫い付けている。これは、リックが夜明け前に縫い直したものだ。しかし、それよりもっと昔から、エイダンの身体には沢山の縫い跡がある。

 リックは、真新しい縫合跡に指を這わせた。

「なあボス、これって本当に大丈夫なの?」

「ああ、リッキーは裁縫だけは苦手だよね。だから肩の調子が悪いのかな」

「そうじゃねえよ、まだ血が滲んでるのに、痛くねえのかって質問してんだよ」

 リックはエイダンの顔を覗き込んだ。

 銀髪。赤い瞳。白い肌。薄く伸びた老いの影。この荘厳な顔は、十年間以上、陶器のように在り続けている。

「なんだ今更。千切れた身体なんぞ、初めて見るわけでもないだろうに」

 エイダンが鼻で笑うと、リックはまだ血生臭いさい彼の背中に顔を埋めた。

「そうだけどさあ……」


 エイダンは、不老不死の生き物だ。なぜそうなのか、どうやってそうなったのかは、リックも知らない。確かなことは、エイダンは長い時間を生きており、摩訶不思議な術を使ってみせる。首を刎ねられても死なず、老いることもない。

 一方のリックは、幼い頃にエイダンに拾われた孤児である。十数年の時が経ち、今ではエイダンを守る“用心棒”を自称するほど、立派な青年に成長した。


 そんなリックが、エイダンの背中に顔を押し付けるときは、決まって悩みや不満を持っているときだ。エイダンはリックの好きなようにさせたまま、彼の言葉を待つことにした。

「……おれも、不老不死になりてえ」

 やっとリックが喋ったと思った矢先、エイダンは驚きのあまり声が上ずってしまった。

「なんだって?」

「だってここ最近、ボスの秘密を知りたがる連中が、うじゃうじゃと現れるだろ。殺しても殺しても、きりがねえ。いつか、ボスを守れなくなるんじゃないかって、不安なんだよ」

 リックは深々とため息をつき、萎んだ風船のようになって言った。

「それに、おれも不老不死になれば、やりたいことがたくさんできる」

 エイダンは笑いながら、リックの金髪を撫でてやった。

「昔から言ってるだろう。不老不死なんて碌なもんじゃないぞ。それに、不死のわたしには用心棒なんて要らない。お前が気に病むことなんてなにもないんだ」

「はあ〜、そんなこと言ってるけどな、ボスを世話してやってるのは、誰だと思ってんだ?」

 リックはエイダンの前に並べられた朝食を指差した。

「用心棒だけじゃねえ、衣食住の面倒も見てるし、列車の切符も、新聞も、物忘れの介助も、やってるのはオレだぞ」

「わかった、わかった! リッキーがいなければ、わたしは生きていけない。しょぼいジジイがカッコつけてすまなかった!」

 エイダンが弁明すると、リックは満足そうに頷いた。

 それでも、エイダンは紅茶を一口含んでから、言葉を選ぶように言った。

「だけどな……本当に、わたしのことは気にするな。わたしは、お前には幸せに生きてほしいんだ」

 エイダンは、黒革の手袋に包まれた自分の手を見た。昔、リックの手は、この手袋にすっぽり隠れてしまう大きさだった。あれから、彼の手はずいぶん広くなった。そしていつかは、またすっぽり覆えてしまうくらい、細くなるのだろう。時の流れを知らないエイダンは、リックの変化に時の指針を見出してきた。

「いつまでも、わたしのそばにいる必要はない」

 エイダンが顔を上げたとき、リックの姿はそこになかった。いつの間にか声の届かない場所に移動してしまったらしい。

「不老不死なんて、誰かにくれてやれるものなら、とっくにそうしているのに」

 エイダンは、再び新聞に目を向けた。そこには、ロッソが政界に進出するという記事が載っていた。

 ワルター・ロッソという男。どこで不老不死の話を聞きつけたのか。エイダンの長すぎる人生の中で、こういう輩には何度もあってきた。みんな底抜けの強欲さをもち、永遠の命をエイダンから奪おうとしてきた。ロッソもそういう輩の一人だろう。

 それを成し遂げた者は、一人もいないというのに。


「ボス、ちょっといいかな」

 外出用の服に着替えたリックが、食器のナイフを持ってやってきた。

「なんだ、朝食が食い足りないのか?」

 エイダンが尋ねると、リックは肩をすくめてみせ、スコーンにナイフを突き立てた。

「いいや、お客さんだ」

 そこでようやく、エイダンも人の気配に気がついた。リックの視線の先、部屋の薄いドアの向こうに、誰かが近づいている。

「ボス、下がってて」

 リックが告げた直後、部屋のドアが蹴破られ、武装した二人の男がなだれ込んできた。

 リックはナイフを刺したスコーンを投げ飛ばし、木のテーブルを蹴り上げた。食器や紅茶が宙に舞い、激しい音を立てる。

 投げ飛ばしたスコーンは、侵入者の口にガッポリ挟まった。

 男が悲鳴をあげた直後、リックは木のテーブルを飛び越え、男の口に挟まったスコーンとナイフを踏みつけた。男の首が、鈍い音を立て、ナイフが深々と突き刺さった。

「マジでスコーンで首がもげちゃった」

 リックは侵入者の死体を踏みつけると、もう一人の侵入者の背後に回り込み、右耳にフォークを突き刺した。

「耳の穴かっぽじってよく聞け、誰の差し金か答えな」

 リックが侵入者に尋ねた直後、侵入者は耳から血を流しながらも、袖口に隠した刃物でリックに切りつけた。

 リックは紙一重でその太刀を交わしたが、綺麗な頬に一筋の傷跡が残った。

「昨日のチンピラとは違うな、訓練された暗殺者アサシンだ」

 リックの評価も聞かずに、侵入者はもう一度斬りかかる。間合いが詰められた瞬間、リックは腰の短剣を抜きとり、侵入者の心臓を貫いた。

「だけど、腕はオレの方が上だぜ」

 リックは崩れた侵入者を掴み、服を乱暴に破り割いた。侵入者の腕には、褐色の蛇の刺青が施されていた。

「このマークは、ロッソ・ファミリーの刺客だ」

 リックが振り向くと、エイダンは鍋をかぶって縮こまっていた。滑稽な姿に、リックは思わずため息をついた。

「用心棒が要らないなんて、絶対に嘘じゃん」

「よくやったな、リッキー」

 エイダンは、血溜まりに沈む死体を見下ろし、オエっと顔をしかめた。

「それにしても、お前の仕事はちょっと汚すぎるぞ。もっと綺麗にできんのか」

「汚れ仕事に慣れきっちまってね」

 リックは茶化すように舌を出し、死体を踏みつけながら歩き出した。

「それで、これからどうする?」

 リックはトランクの前に行くと、エイダンの答えを聞く前に荷造りを始めた。ロッソファミリーの暗殺者が送り込まれたということは、このアジトはもうアジトではないということだ。エイダンは、サッと身なりを整えると、死体を避けながら荷造りを済ませた。

「これだから不老不死はせわしない」

「オレは結構楽しいけどね」

 リックは微笑むと、帽子を目深にかぶって窓を蹴破った。隣の古アパートの壊れたバルコニーまで、ぴょんと飛べば移れる距離だ。

 不死の男と用心棒は、こうして用意周到に姿を眩ませたのだった。

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