首斬り悪魔と断頭台の天使
淡 湊世花
一 不死の男
ロジャーの質屋に、痩せた薔薇の木みたいな男がやってきた。背の高い痩躯は刺々しく、褐色の瞳は赤い花房を思わせる。しかし、その全てに生気がない。ロジャーは、こんなに印象的な哀調を帯びる男を、今までに見たことがなかった。
「うちになんの用だい?」
ロジャーは時計のネジを撒きながら、ひと息に尋ねた。どんな風貌をしていようが、こんな時間に来る客なんて、
「お忙しいところ、すみませんね。探し物をしておりまして」
無視をするのも憚れるほど、よく通る声である。ロジャーはしぶしぶ、男の顔を見上げた。
「何を探してるんだい」
「“何を”……ではなく、“誰か”……なのですが」
男の話に、ロジャーは沈黙で答えた。
ロジャーの質屋は、大昔の城壁に囲まれた旧市街にあり、独房のような佇まいの店である。持ち込まれる品は曰く付きばかり。血生臭い盗品が店先に並ぶことも珍しくない。
ロジャーの質屋は、そういう店だった。
「誰をお探しで?」
「近ごろ、凶暴な野犬を放し飼いにしている者がいるようで、それがうちの飼い犬にしょっちゅう噛み付くものですから、ほとほと困り果てているのですよ」
男は番台に手を置いた。黒い革の手袋がはめられた左手である。ロジャーはしばらく黙っていたが、山積みの書類から、小汚い帳簿を取り出した。
「あんたの名前は?」
「エイダン・コール」
薔薇の木みたいな男、エイダン・コールは微笑んだ。ロジャーは仏頂面にわずかな皺を寄せ、帳簿を捲る手を止めた。
「エイダン?」
「……何か、問題でも?」
エイダンは、わざとらしく聞き返した。その顔を見た途端、ロジャーは帳簿を閉じた。
「悪いが、あんたに話すようなことは何もない。帰ってくれ」
「その様子だと、
「うるさい、首と胴体がくっついている間に、さっさとうちの店から出ていきな!」
ロジャーが声を張り上げた途端、目の前でボッと火柱が飛び散った。ロジャーが驚いて後ろにひっくり返ると、エイダンは初めて真顔で笑った。
「わたしは客としてあなたに問いかけているのに、そのような横暴な態度はいけませんね」
炎の影がエイダンの顔で揺れた。赤い火柱は、黒革の手袋に包まれた手から湧き起こっていたのだ。ロジャーは悲鳴をあげた。
「わたしが知りたいのは、野犬の飼い主が誰かということです。あなたが黒焦げになる前に、教えてもらえますよね?」
エイダンは番台から身を乗り出し、ロジャーを見下ろした。火柱はさらに勢いを増す。ロジャーは震えながら起き上がり、番台に置かれた木彫りのウサギに手をかけた。
「わ、わかった、教えるよ……。あんたの言う野犬っていうのは、ワルター・ロッソというマフィアの手下だ」
「なるほど,マフィアの構成員でしたか」
「そんなんじゃない。野犬とは、ロッソファミリーの一番下っ端の、飼い慣らされてる悪ガキどもさ。ロッソの子分を気取って、麻薬も刃物も拳銃も、やりたい放題に使いまくる連中だ。ロッソ以外に手がつけられない。この町の警察だって見て見ぬ振りだ」
ロジャーが一通り話し終えると、たちまち火柱は細く小さくなっていき、店内に冷たい薄暗さが戻った。
「わかりました。それで結構です」
エイダンはわざとらしい笑顔で会釈をし、店の出口に歩き出した。
ロジャーは、声を絞り出して告げた。
「あんた、背中に気をつけなよ」
エイダンが外に出た途端、ロジャーの言葉の意味が伝わった。
「ああ、そうか。野犬とは、群れで生きる獣でしたね」
店を出たエイダンは、殺気立った無数の人影に囲まれていた。目線を上げれば、ロジャーの質屋にガス塔の炎が揺れていた。ロジャーがさりげなく触った木彫りのウサギ、あれは置物ではなく、群れの仲間に、外敵が来たことを知らせるための装置だったのだ。
エイダンは、男たちを一人ずつ目で捉えた。
「えーっと、君たち、その物騒なナイフはしまった方が良い、怪我をするぞ」
エイダンが武器を下げるように訴えても、マフィアの飼い犬たちが従うはずがない。あっという間に距離を詰められ、エイダンは冷や汗を垂らした。
「な、頼むよ、わたしは乱暴なことは嫌いなんだ」
「ごちゃごちゃうるせえぞ」
男の一人が酷い声で唸った。エイダンは顔を顰めた。
「わたしは可愛げのない犬が嫌いだ」
「殺せ!」
男たちは一斉に武器を振り上げ、エイダンの命を奪いにきた。
だが、男たちの刃がエイダンに届くより先に、鞭のようにしなやかな何かが、城壁の上から降ってきた。
それは、金髪の若い男だった。
着地した彼の影が、悪魔が翼を広げるように伸びていく。
「ボス、また闇討ちで?」
青年が、背後に匿ったエイダンに尋ねた。
「リック、こいつらはマフィアの飼い犬らしい。電報代わりに使ってやれ」
エイダンの答えを聞いた青年は、滲み出た好奇心を確かめるように唇を舐めた。青い瞳が、これから起こることを喜ぶように、爛々と輝いている。
「
青年は左右の腰ベルトから
「遅いぜ
男の首筋から、鮮血が噴き出した。
返り血を浴びた青年は、真っ赤な口紅を引いた娼婦のように微笑んだ。男たちは息を呑み、勇み足はすっかり竦んでしまっている。
ただ一人、エイダンだけが黄色い声をあげた。
「いいぞリック、素晴らしい動きだ!」
「ボス、あっちのほうで大人しくしとけよ」
エイダンを“ボス”と呼び、小言をぶつける美麗な青年、リック・レヴィ。エイダンを守る用心棒である。
リックは断頭台のように男たちを次々と手にかけていく。右耳を削ぎ、背中に回り込んで左腕を切断し、最後はへその真上に刃を突き立てた。
「お前の飼い主に伝えとけ。うちのボスに噛み付いたら、ただじゃ済まねえってな」
リックが冷ややかに告げたところで、事切れた死体には聞こえていない。だが、この男の裏にいる飼い主には、この伝言が確かに届くはずだ。
リックの背後に回り込んだ男が、銃を向けた。しかしリックは、振り向くより先に短剣を投げ飛ばし、男の胸を刺した。男は痛みに悲鳴をあげるが、絶命するほどではない。目の前に青い瞳が迫った瞬間、命乞いに似た声を出す。
リックは男に刺さった短剣を握ると、皮膚を剥ぐように傷を抉った。噴水のように血が噴き出し、全身を真っ赤に濡らしたリックは、生き残りを探して目だけを動かした。
「う、うわあ、こっちに来るな!」
一人残った男が、背を向けて走り出した。マフィアの飼い犬と言えども、所詮はただの人。目の前の惨劇から助かることだけを考えたのだろう。だが、リックはあっという間に男の背骨を叩き折った。男は凄まじい激痛に悲鳴を上げるが、直後にリックの回し蹴りで口を潰され、石畳に静かに落下した。
「汚ねえ」
リックは肩で息をしながら、エイダンを振り返った。
「年寄りの世話も楽じゃねえな」
「こらっ、わたしを年寄りと言うな」
リックがニヤリと笑うと、エイダンは腕を振り上げ地団駄を踏んだ。
そのとき、リックの足がピクリと疼いた。エイダンの背後に、忍び寄る人影を見たのだ。
「ボスっ、危ねえ!」
エイダンの背後には、質屋のロジャーが立っていた。ロジャーはエイダンが逃げるよりも早く、斧を振り上げ、エイダンの首元を掻っ切ったのだ。
エイダンの頭が、、蹴り上げたボールのように飛んだ。目玉は大きく見開かれ、崩れ落ちる胴体とは逆の動きをする。
エイダンの頭が石畳に叩きつけられる寸前に、リックが滑り込んで抱きとめた。リックの腹部が、あっという間に血に染まる。
すると、ロジャーは震えながら斧を下ろして、悲鳴をあげた。
「あんたは知らないんだ! この町で、ロッソの意向を無視すると、どうなるか!」
「どうしてロッソが、うちのボスを狙うんだ?」
リックはエイダンの首を胸に抱えて怒鳴り返した。その顔に、返り血が涙のように滴っていた。ロジャーは震えながら、声を絞り出した。
「そんなの知らない! だが、ロッソが、エイダン・コールという男の死体を連れてこいと、町中の人間に命令してる! もし見逃せば、わしが殺される!」
「……だからあんたも、エイダンの命を狙ったのか」
「すまない……どうしようもなかったんだ……」
ロジャーは力無く呟き、しくしくと泣き出してしまった。
リックは、エイダンの首を抱えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……だ,そうですよ、ボス」
リックの場違いなほど冷静な声に、ロジャーはしゃくりあげる声を飲み込んだ。
「なるほど、ワルター・ロッソの刺客が予想以上に多いようだ。早々に手を打たなければならないな」
続いて聞こえたのは、紛れもないエイダン・コールの声だった。顔を上げたロジャーは、心臓を握り潰されるような衝撃を受けた。
リックの整った唇は、ピタリと閉じている。死んだ男たちが、石畳に転がっている。
エイダンの生首だけが、愉快そうに動いていた。
「やっと、あなたから欲しかった情報が聞けました」
そう言って、エイダンの生首が微笑んだ。
ロジャーは金切り声をあげて斧を落とし、石畳にぶつかった刃が火花を散らした。
「な、なんなんだ、あんたは……」
「不老不死、といえばわかりますか?」
エイダンは生き生きとした表情を見せ、面白そうに答えた。
「ロッソがわたしの命を付け狙うのも、どこかでわたしの秘密を嗅ぎつけたからでしょう。そのせいで、大勢の犬が死んでしまうのは皮肉なことだ」
しかし、ロジャーにはエイダンの言葉はもう必要ない。首を切られても平然としているエイダンを見て、ロジャーはおかしくなりかけていた。気づけば、ロジャーのズボンが濡れていた。思わず粗相をしてしまったのだ。
「ボス、こいつも殺しとく?」
「お前の好きにしなさい」
リックは、哀れな質屋の主人に静かに歩み寄った。
「い……命だけは……」
ロジャーが呟いた瞬間、リックはジャケットの内側から拳銃を取り出し、引き金を引いた。
エイダンは眉間にしわを寄せ、落ちたロジャーを見下ろした。
「わたし、火薬の臭いも嫌いなんだが」
「ボスの秘密を守るためだぜ、我慢しろよ」
リックは軽口を叩くと、放置したままのエイダンの胴体に走りよった。
「身体に痣が出来てないといいんだけど」
リックは寝た子を抱くように、エイダンの胴体を起こし、その上にエイダンの生首をそっと置いた。すると、エイダンの身体がブルリと震え、指先が石畳を引っ掻いた。
「やれやれ、またお前に縫ってもらわないといけないな」
エイダンは首を押さえながら立ち上がり、リックに眼差しを向けた。彼も自分も、酷く血まみれである。
「それより、服のクリーニング代をどうすればいいと思う?」
エイダンは店主が不在になった質屋を振り返った。
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