第14話 根底の悪意
三
「お前の哲学はどうでもいい。喜貌の仮面の扱い方、他との違い、それに彼の能力。訊いていることだけを話せ」
鷺山さんがそう口を挟むと、京楽は「分かったよ」と頷いた。
「しかし私は『喜貌』以外を扱ったことはない。
「……『喜貌の仮面』って、いったい何なんですか?」
「仮面の
あとは——そう、
「いつでも使える……?」
「知らないのか。仮面というものには、日が沈んでいる間しか使うことが出来ないという分かりやすい制約があるんだ」
その言葉を聞いて、僕は思わず首を傾げる。だって今の説明は、僕が経験してきた出来事とあまりに矛盾していた。
巳波なんかは出会ったその日の真昼間に屋上で仮面を使っていたし、それ以外にも、例えばカサネの襲撃は夜間のことではなかった。……というかそもそも、京楽自身がたった今仮面を出していたが、現在の時刻は午後四時過ぎで、まだ空が茜にすら染まっていない時間帯だ。
そんな風に当たり前の疑問を懐く僕を、京楽は愉しそうに笑いながら眺めていた。
「まあ、君は例外にばかり会っているから仕方ないだろうな。昼間に仮面が使える人間は、目下のところ四人。
一人はカサネだ。あれの能力は知っているな。任意の二つを入れ替える。あれは必要に応じて、自分の中の『昼』と『夜』を入れ替えているんだ。だから昼に使えば代わりに夜には使えなくなる。
私たち『喜貌』は、一日の全てで仮面を使うことができる。元よりそういう特別な存在なんだろう。特別であると誇るべきか、他と違うと悲しむべきか」
「あと一人は……」
「君も知っているだろう、巳波羽月だ。あれは全身が仮面だからな。人として生存するためにそう進化せざるを得なかったんだろう。奇跡的だが興味はない。あれは例外的すぎる」
いまだ謎の多い同級生に関して、気になる言葉が散りばめられた説明だった。しかし僕がそれについて質問する前に、京楽は次なる話題を口にしている。
「喜貌の仮面を発現する人間は、まあおかしい奴とされる。今まで私しか発現していないからな」
「喜貌とか、他の怒貌にしろ悲貌にしろ、誰がどう発現するのかって、何かルールはあるんですか?」
「不明だが仮説はある。人が人に対して悪意を覚えるのは珍しいことでは無いが、この世には変人がいてな。人以外の、
人が人に何かを願うのはいい。自然なことだ。しかし人が世界そのものに何かを願うというのは、ありふれたように見えて異常なことだ。
何故って、人間はあくまで世界の中でしか生きられない。仮に自分の望む変化が世界そのものに起こったとして、その変化した世界で自分が生存できる保証がない。人の想像とは一律に不確かであり、身を委ねるには不安すぎる。
普通の人間はそれを心得ている。世界に『こうなってほしい』『こうあってほしい』と考えるとはあっても、本気で願ったりはしない。世界は変わらないし、変わったところでロクなものではないと解っている。——我々と違ってな」
京楽は愉しそうに笑っていた。自分の思考が世界から隔絶された異物だと知りながら、それを否定する気配は一切ない。
それで僕は、ふと気になってしまった。
「自分が他と違うかもしれないって、怖くないですか?」
仮にも懺骸の
鷺山さんが先立って警告するのも分かる。京楽の言葉はそのことごとくが魔的で、魅力に満ちている。俗にカリスマと呼ばれる『人を惹きつける才能』が、まず間違いなくこの男にはあった。
京楽は優しく微笑んで、答えを口にした。
「恐ろしいさ。そして度し難い。そして、興味深い。異物たる私がこの世界に対して何をできるのか。私が狂っているのか、それともこの世界が狂っているのか。好奇心は尽きない。
……ふ、高校生に聞かせる話ではないか」
京楽はそんな風に言って自省すると、首を一度、こき、と鳴らした。
「本題に入ろう。君の『能力』についてだ。診断させてもらう」
「診断って、その、どうやるんですか?」
「君が仮面を発現した状況を鑑みると同時に、君の人生経験、つまり過去を聞かせてもらう。
仮面とはその人間の悪意、さらには根底にある願いが表出したものだ。つまりその人間の精神が理解できれば、ある程度は能力の予測がつく。だからまあ、カウンセリングだな。だから——」
言いながら京楽は身を乗り出し、こちらへと両手を差し出してきた。
自分と相手を決定的に隔てるガラス板を
「——君は正直に答えてくれればいい。答えたくないことには答えたくないと言えばいい」
「…………!?」
あまりに唐突な現象に瞠目する僕をよそに、京楽は言葉を続ける。
「ただ、真っ直ぐに私の目を見てくれ。瞬きはしてもいいが、なるべく我慢してほしい。眼球を観察するのとしないのとでは、カウンセリングの精度は段違いに変わる」
言い終えると、京楽は僕の顔を離して再びガラスの向こう側へと戻った。
目の前で起こった出来事の全てが理解の範疇を超えていた。
しかし幸か不幸か、ここ最近かなりの頻度で僕は現実が理解を飛び越えるような経験をしていた。それでいい加減に慣れが身についたのか、それとも驚くことに飽きてしまったのかは分からないが——僕の反応は、さして騒ぐこともせずに、ただ冷や汗が垂れ落ちていくのを感じながら、生唾を呑むだけに留まった。
そうして質疑応答が始まる。
「好きな食べ物は?」
「ありません」
「嫌いな食べ物は?」
「乳製品全般。……ヨーグルトは食べますけど」
「得意な教科は?」
「社会系。特に、倫理かな」
「趣味は?」
「特にありません」
「今のこの世界をどう思う?」
そこで僕は、言葉に詰まる。
今までの考えずとも答えられるようなものとは、唐突に質の違う質問が飛んできた。
「どうした。今のこの世界についてどう思う?」
「どう思う、って……そんなことは考えたことも」
「嘘だな。さっき君は自分から倫理が得意だと言った。世界に対する『考え方』を学ぶあのよく分からない科目は、不得手とする人間が多い。そうじゃないと言うことは、君には少なくとも、この世界に対して関心があるはずだ」
この人は——まるでこちらの心を覗き見てくるようだと、ただの五つの質問だけでそんな気分にさせられた。話す時に注意しろと警告されるのも頷ける。
どう答えるべきかと考えていると、京楽が再び口を開く。
「すぐに答えないということは、少なくとも肯定的ではないな。まあ仮面を発現してなお世界に肯定的な人間というのも珍しいが。
しかしこうなると、今のところ、報告書を読んだままだな。君の能力は単純明快に『破壊』だ。君はきっと、この世界が嫌いだ。だから壊したい。好ましいほど分かりやすい」
「壊したいなんて、そんなことは……」
「自覚がないだけさ。恥じることじゃない、人間は皆そうだ。自分の内面を言語化して説明できる者などいない。それを手っ取り早く説明できる心の具現が仮面だ。拒絶するより受け入れる方が御しやすいぞ」
言われて僕は、黙り込んでしまう。
……きっと京楽に言われた言葉に、必ずしも心当たりがないわけではないからだった。
キボウノザンガイ オセロット @524taro13
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