第30話 茶会

 “何か”のために――――。


 その“何か”は人の原動力となる。


 太后となり、女の地位を上り詰めても、足元を見れば、いつ引きずり降ろそうと、足を掴みかかってくる者共に怯えた。

 他の女に入れ込み、顧みることもない夫は頼れず、嫁いでもなお言葉で鞭打つ父親に耐え、しがみつくように我が子と自分を庇ってきた。

 そして、ようやく立太子し、確かな寄る辺ができたことに安堵した。

 なのに……。


 我が子の命は奪われた。

 そして、仇を打った。


 なのに、何のためにまだしがみついているのか?


 先帝最愛の女が産んだ子が、憎いのか?


 それとも、これまで負ってきた傷を庇うためか?


「太后様。お目覚めになられますか?」


 寝台の傍らから安寿が訊ねた。


「あぁ。」


 惇太后永欣は、体を起こし、身支度を整えた。

 朝餉を食べながら、安寿や侍女の里潤リージュンからあれやこれやの報告を聞く。


「そうか。美燕はもう希勇君ならず者に人を送ったか。」


「えぇ。流石は太后手ずからご指導した才媛。陛下にも上手く恩を売っているのだとか。」


 と、里潤が報告すると永欣は、チラッっと先日、希勇君から届いた謝罪の文を見て言った。


「ふむ。では茶会に美燕と希勇君ならず者を呼ぼう。」


「それは良うございますね。太后様の御心の広さ、希勇君ならず者。」


 安寿そう言って薄く微笑んだ。


 これで、目障りな太師の駒を暫く封じられる。


 永欣はそう思うと、安堵する反面、後ろめたさも感じた。


 希勇君楊蘭玉、以前は浜族族長、ラウの娘アト。

 彼女を見たのはニ度ほどで、素直で感情豊かな印象が強く、その反面、勇猛果敢であった。


 悪い印象があるわけでは無い。

 捨て置けるならそうしてやりたい。


 しかし、


 あの娘も、術中謀略に明け暮れ、政争ばかりの意地汚い男共に、捕まってしまったのだ。

 生殺与奪まで握られ、自由を奪われ、最早この蠱毒の壺の中で無ければ、生きることも許されぬ。


 だったらせめて、私ができることは、あの娘を野辺に返せるように、陛下の執着を断ち切ってやるくらいか……。


 正午を過ぎて、アトにまたしても試練がやって来た。


「太后様より文でございます。」


 アトの宮に太后から、茶会の誘いの文が届けられたのだ。


「困りましたね。」


 李華も綾月も頭を突き合わせて悩んだ。

 この様子に大いに不安を覚えたアトは


「茶会って何するの?」


 と訊ねた。すると、綾月が説明した。


「茶会は、詩を詠み合ったり、闘茶とうちゃ(※1)をしたりするのですが……。お茶を淹れたことはございますか?」


「い……一応。」


 あるにはある。

 太師邸にいた時に、一回、二回は。


「やはり、あまりご経験は無いのですね……。」


 と、李華、綾月共に肩を落とした。そして李華が言った。


「しかし、此度の茶会は絶対に行かなければ、前に書いた謝罪の文に対するものですし……。」


 とは言っても、此度の茶会、名目通り希勇君の無礼を水に流し、宥和ゆうわするためなどではない。

 恐らく、希勇君を追い込むための罠。

 だからと言って、先に希勇君が無礼を働いた手前、断るなど言語道断。


 茶会は二週間後―――――――。


 それまでに、出来るだけのことは、しなければいけない! 


 アトは幾度も幾度も茶を入れる練習をした。詩を作る練習も行い、墨で手を黒くする日々であった。


 その日々の中、李華も綾月も、熱心に指導し、翠蝶もそれに付き合った。


 李華と綾月は、翠蝶が練習に付き合うとは思わなかったので、以外に思った。

 しかも、時折、希勇君に厳しいことも言うこともあったので、懐に入り込もうとする狡猾さを感じられず、少々不思議に思った。


 女傑に使えたいなど……本心なはずがない。

 では、何を考えているのか?


 李華も綾月も警戒をとかなかった。


 しかし、彼女ばかりに目がいったせいで、失態を招くこととなる。


 また、翠蝶は、安寿に希勇君の動向を流しながら、希勇君の茶会出席を阻止すべく動いていた。

 なぜなら……。


 太后様は、希勇君の命まで取ろうとお考えではないかも知れない。

 でも……。

 あの男。

 安寿違う!


 何としても、今回は出させるわけにいかない!!


 翠蝶はある行動に出た。


 それは、安寿は勿論、李華や綾月にも気付かれてはならない。


 そして、

 茶会当日。


「希勇君!!」


 朝から李華は血相を変えてアトの前に出た。


「李華? どうしたの?」


 アトは李華の背中をなで気遣った。李華は顔を上げ、


「服が……全て破かれています。」


「そんな! じゃぁ……。」


「茶会には……。」


 出られない!!


 翠蝶は胸の前でギュッと拳を結んだ。


 こうするしかなかったんです!

 お許しをっ!!


 翠蝶は心の中で懺悔した。

 その表情の僅かな機微を綾月は見逃しはしなかった。


「翠蝶殿。一番のご心労は希勇君のはず、どうしてそう、お顔を曇らせておいでなのですか?」


 と、朗らかに翠蝶に訊ねた。


「……。申し訳ございません。私も、精一杯お使えしていたつもりでしたので……。」


 と、誤魔化した。




―――――――――――――――――――――――――――――――


※1:お茶の入れ方や、茶器、お茶の葉で、競い合う遊び。








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