第18話 先帝の面影

 重嚴は、天中に登ろうとする太陽の下に立つ皇子に、若かりし日の先帝の姿を垣間見た。


 目に染む青い瞳は母親のそれなのに、青年は先帝生き写しの言葉でものを言う。

 重嚴の胸は締め付けられるようだった。


 幼い頃からずっと見てきたあの御方は、才気豊かで……二つほどしか違わぬ年だったが、その背中はいつまでも大きく見えた。

 私にとって彼は決して追い越せない背中で、それは不変と信じた。


 しかし、碧妃と出会われてから……彼女の前では陛下は只の男であった。

 私はそんな陛下の姿を知らない。

 今思えば、ただ悔しいだけだったのかも知れない。


 私にすら、その胸の内を晒しては下さらなんだ。


 お恨み申し上げるぞ陛下。


 このように、忘れ形見まで置いていかれて……。


「殿下……。毒を召し上がられたとお聞きしましたぞ?」


「フンッ。年寄りに心配される謂れはない。」


 泱容は精一杯の虚勢を張った。本当はまだ吐き気があるし、手足に軽く痺れがある。だが、そんな事より、アトに心配をされていることに腹が立つと同時に、ひどく切ない。


 馬鹿なヤツだ。本当に馬鹿だ。私のことなど捨て置けば良いのに……。


 本当に、文字通りに飛んで来て―――――。


 俺を生かした責任とらせてやる……。


 泱容は剣を引き抜き、重嚴に切りかかった。しかし、重嚴は鞘から剣を抜くことなく、軽々とかわした。それでも泱容は斬りかかるが、やはり重嚴は身をかわす。


 こんな不毛な剣のやり取りが、数十回続いて泱容はついに立っているのが辛くなった。剣を支えにヨロヨロと立ち上り、必死で構えをとった。重嚴はたまらず叫んだ。


「もうお止めください! 一言私に命じれば良いでしょう!? いつものように!」


だと? 誰に向かって言っているんだそれは?」


 重嚴は思わず口にてをあてた。

 そのわずかな隙をついて、泱容は剣を切り上げ重嚴の剣は宙を舞った。

 重嚴の喉元には泱容の切っ先が向けられた。


「油断をするからだ馬鹿者。」


「………。その何を置いても勝ちを得ようとするところ。よう似ておられる。」


 重嚴は姿勢を正し地に膝をついた。


「老体ゆえ、どこまでついて行けるか判りませぬが……御命とあらば命に換えましても――。」


 その瞬間泱容は、気が抜けてばたっと倒れこんだ。


「殿下!!」


 重嚴は泱容を支え運ぼうとしたが、それを押し退け命じた。


「そんな事よりやることがある! 惹喜が太后の首を取りに動いた。急ぎ太后の元へ行き、それを阻止、右羽林軍将軍を捕らえ、一旦お前に北衛禁軍の指揮全権を委譲する! 急げ!!」


「はっ!!」


 重嚴は部下を呼びつけ泱容を預けた後、走った。


 その頃、アト達は今か今かとやって来るであろう右羽林軍を待ち構えていた。

 太師とフォンの読みでは、いくら火急と言えど本来皇帝でしか動かせない部隊を、好き勝手と言うわけにはいかない。

 だから、動かすにあたってどうしても手続きを踏まねばならず、動かすまで時間がかかるというのだ。

 いくら、右羽林将軍を意のまま動かせたとして、勝手ができるのは精々一部、少数精鋭百人そこらで、しかもここは壁や柱のある屋内、心太式に敵は出てくるが、一人で大勢を相手することはない。はず……だと。

 そして、ついに……。


 ざっ! ざっ! ざっ! ざっ!


 規律の揃った軍隊の足音が近づいてきた。アトは窓の前で構えた。


 来る……!!!


 そして、喚声と共に兵士達が二列編成で突入。しかし、扉の前に立ちはだかる孫凱一人にかなり苦戦をしている。

 アトは、窓から突入してきた兵を切りつけ応戦。一人倒してはまた一人、を続けた。やはり、太后もろとも殺すつもりのようで、隙間から太后狙って矢も放たれてくる。

 アトは飛んでくる矢も凪ぎ払いながら、兵の相手をした。しかし、いつまでも持つものではない。肘で矢を受け、ギリギリのところで兵の剣を躱した。首の静脈をかすり襟は血で染まった。

 その時、また


 ざっ! ざっ! ざっ! ざっ! ざっ!


 と、今度はさっきより多い数の兵士の足音がした。増援が入ったのだろうか? 


 このままでは持たない!! そう思った時、声が響き渡った。


「攻撃止め!」


 フォンも孫凱もアトもホッとした。

 泱容は間に合ったのだ。


「ふぅ――っ。殿下が出来損ないじゃなくて良かった良かった……。」


 フォンがへたっと床に座り込んで言った。


「御身は不敬が過ぎよう。」


 孫凱が少し笑って嗜めると


「全くでござる。いずれは我らの玉座に戴くお方じゃ。」


 と白髪混じりの体格のしっかりとした老人が入ってきた。


「重嚴様。お久しゅうございまする。」


 孫凱が作揖すると揖礼で返した。


「そなたも変わりなく。」


 蘇信はフォンの元へ行くとフォンを立たせ


「しかしながら、此度は大きな貸しができた。いつか必ずお返ししよう。」


 と礼を述べた。するとフォンは人差し指を立て言った。


「では、まず我が友を解放願いましょう。」


 ガシャン……ギィィィィ。


 かぬきを開ける音がした。

 扉の隙間からフォンの顔を認めると、


「フォン!!!」


 タインは半べそかいて叫んだ。


「おぉ! 我が友よ!」


 フォンは両腕を広げると、タインはフォンの胸に飛びこみ、鳩尾みぞおちを……。


 ぐふぅっ……―――!!?


 フォンはゲホゲホとむせると顔を上げた。


「わ我が友よ……。助けてやったて言うのに……鳩尾って……あんまりじゃないか!?」


 するとタインは大いにキレた。


「ふっっ……ざけるな!!!!! オイラは何度死ぬような目にあったと思うんだ!!? 盧貴妃様めちゃくちゃ怖かったンだぞ!! 皇子殿下は献盃した盃で吐くし!! 何か賊とか言われて首落とされるかと思ったわ!! 決めた絶対決めた!! 帰ったら陛下にチクるからな!? それでお前のことウンと叱ってもらうんだ!!!」


 タインは一気に言い終わると、はーっはーっと息を切らした。


「……お前、すっごい早口だな?」


 フォンが少し身を引いて言った。するとタインは堰を切ったように、目から涙を滝のように流した。


「い…………生きてて……良かったぁ!!」


「あぁ! あぁ! 良かったさ! 国に帰れる!」


 フォンはタインの肩を握り、タインと二人喜び合った。喜び合ったのも束の間、フォンから飛び出た言葉に、タインは泡を吹いて倒れそうになる。それは……


「うん。思ったよりタインが元気そうで良かった。何しろこれから!」


「…………………………………………………。何だって?」


「だから戦だ。」


「どことどこが?」


「玄とウチが。」


「へーソウナンダー……。って!!! なんじゃそらぁぁぁぁぁぁ!!!」


 タインの騒ぎようは大変なものであった。越語で喚くタインを、御しながらフォンは蘇信と勝手に話を進める。


「ではこれから我々は一旦国に帰りますが、もう既に我らに、手勢を向かわせている可能性もある。海は我が軍にとって勝手知ったる庭ですからにわかの編隊など敵ではない。しかし……そこが怖い。」


 蘇信も頷いて言った。


「うむ。やはり主力は陸。兵力の分散が目的と考えるのが妥当であろう。」


「ですから……。」


「心得ておる。こちらとて敗けは許されん。」


「では、我々はここで失礼を……。」


 フォンはタインを引きずり退席した。去り際に蘇信が激励を送った。


「生意気な小僧よ! 武運を!」


「御身こそ。年寄りの冷や水になりませんよう。」


 と笑ってフォンは返した。


「一言多い餓鬼じゃ。」


 そう呟き、重嚴はフォンの背中を見送った。

 その頃、盧長満の元にも急ぎ報せがもたらされた。


 報せは二つ。

 まず、泱容を暗殺出来なかったこと。そして、二つ目の報せは何より長満を震撼させた。

 それは、黄豪逸猛騎の進軍。


 国境近くに駐屯していた、玄の第一皇子ブルケト率いる軍に、攻撃を仕掛けたというものであった。

 これは長満にとって非常にまずい。

 何せ、領土を手土産に和睦を結ぶ約束の相手が、ブルケト皇子その人なのだから――。


「くっ……!」


 バリンッ……――――!


 長満は持っていた杯を床に投げ捨てた。


「なぜこうなった!? おい!? ブルケト皇子とは連絡がとれたか?」


 長満が家令をギロッと睨んだ。

 余裕もなく、普段は鷹仙と呼ぶブルケト王子を、そのままの名で呼んだ。家令は震えながら


「ざ残念ながら……。」


 と答えるしかできない。


 ダンっ……!!


 長満は机に拳を叩きつけた。


「何故こうなった!!!」


 あぁ!! なんと言うことだ!!

 これでブルケト皇子との約束は反故となった! 最早同盟維持は困難だろう……。かと言って、全克は期待ができるほど出来は良くない! あやつでは、軍を率いてブルケトを始末することは出来ぬ! いずれ全克はこちらで処理するつもりでおったから、不出来に関してはまぁよいと思っておったが……仇になるとは!


 どうすればっ……――――!!


 いや……いや! 焦るな! いざという時のために保険をかけておいたではないか……!


 王獅様……! いや! 玄の第四皇子アルスラン皇子……!!


 越を攻撃させ、そのまま捨駒にと考えていたが……。念のため、儂が運営している港に停泊させてある!!


 今、越をとる必要はない。


 アルスランを急ぎ戻らせ、今度は確実に泱容の首を……!


 洸を我が手に!


 長満は直ぐ港に停泊しているアルスラン皇子の元に、文を送った。


 アルスラン皇子……彼はブルケト皇子の異母弟で、皇位継承権第二位の皇子である。

 アルスランは十六歳と年が若く、ブルケトに比べ武勲が少ない。このままでは帝位を望めないために、長満と盟約を結んだのだ。勿論、長満がブルケトとも同盟を結んでいたことは知らない。長満のことは、金鉱山欲しさに国を売った賎しい商人と見下していたし、そんなに知恵が回るなど、考えてもいなかったのだ。

 だから当然、今届いた長満からの文に大変不満を持った。


 文を見るなりブルケトは文を投げつけた。


「商人風情め! 予に指図するとは!!」


 すると文を届けた家令は言った。


「殿下、恐れながら指図などと畏れ多い、忠心から申し上げているだけなのです。それに……好機ではありませんか! 越などとるに足らぬ、ブルケト殿下を御自らほふるまたとない好機! これで玉座はアルスラン皇子……いや未来の皇帝陛下!!」


 アルスランはこれを受け満更でもない顔であった。


「ふんっ! 金の亡者の忠心など宛になるか。しかし……兄者を葬る良き機会ではある。致し方あるまい。乗ってやる。」


 アルスランは北叟笑ほくそえんだ。

 北叟笑んだのは長満も同じであった。

 若く愚かな皇子アルスラン。

 慎重で警戒心の強いブルケトより、はるかに御しやすく扱いやすい。

 当初はブルケトと共に西域進出を考えたが、

 大陸全土と海を跨いだ大帝国の玉座……。


 天命は我に下された――――!


 アルスランと長満はそれぞれにそう思っていた。







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