第17話 宮中の戦い 

 太后を人質に立て籠る。

 筋も骨も細々とした青年が突拍子もない事を言い出し、太師も諾とするのでアトはいよいよ狼狽えた。


「ま待って! えっと……フォン様! 太后様を人質にだなんてっ!! 殿下を連れて一緒に越へ走ればいいんじゃないの!? それに……それに……決闘って!」


 すると、フォンはアトの肩をポンっと叩いて


「まぁ……落ち着いて。」


「お落ち着いてって――……。」


 アトが喰ってかかろうとした時、フォンはアトの言を遮った。


「今、猛騎殿が玄の国境に向かっている。恐らく、国境付近に既に配備されている玄の軍勢に攻撃を仕掛けるため。そして、以前より巡回船が襲われている事実と、今回越の大使を弑しようとしたこと。これらから敵は、洸国と越の同時攻略を考えている可能性がある。

 もし、そうなら第三皇子殿下を越に走らせるのは、洸にとって……いや現皇室にとって自殺行為、我が国にとっては、大国二つを相手せねばならず万事休す。盧氏が城内を掌握しきる前に、なんとしても第三皇子殿下に、主導権を握ってもらわなければならない。解った?」


「ででも!! 決闘って無茶苦茶だ!!」


「無茶の一つや二つ通してこそ、皇族というもの。皇子サマだって、三つや四つのお子ちゃまじゃないだろう?」


「そうだけど……」


「アンタがそのざまじゃ、皇子サマ傷つくだろうなぁ。」


「え? 何で?」


「大の男が女からそんな、オムツもとれないお子ちゃま扱いされちゃへそ曲げるよ。」


「そ……だって! 毒で死にかかってたんだぞ!?」


「主人に対して、母ちゃんみたいな気分になるのは、解らんでもないんだけど……もそっと男として見てやれよ?」


「お男って!」


「まぁ、確かに、アンタの主人の腕っぷしはアンタほどじゃないだろうよ。でも、この魑魅魍魎溢れる宮廷で、今まで生き残ってこれたんだ。アンタが思ってるほどひ弱じゃないさ。」


「そそうだけど……。」


「今、正念場なんだぜ。信じろ。俺達も出来る限りをつくそう。」


 フォンはそう言って少し強めに拳をアトの肩に入れた。


「……。解った。」


 アトは渋々承諾した。

 それから、太師が文を出して、翌朝早くに太后からの返事が来た。太后印の文と太后の馬車の迎えつきで。直ぐ来いと仰せなのだ。

 この迅速な行動、フォンは思っていた以上に、太后がなりふり構っていられない心持ちである。と言うことを察し、少々不安にかられた。


 頑なに血筋を重んじていた家系の女が、こうも心変わりをするなど……皇太子の死がそれほど?


 とは言え、今考えるべきことではない。まずは、城に入らねばにっちもさっちも行かないのだ。

 大急ぎでアトとフォンそれに孫凱も、城に入る準備をした。手勢は一人でも多い方が良いと太師が命じたのだ。それに、彼は太師付きの宦官であるため、宮廷内でもそれなりに認知を得ており、後宮にも易々と入れる。

 問題はフォンだ。後宮は女しか入れない。後宮の手前までなら、太后の馬車で行けばお咎めなしに入れるのだが……どうするのだろう? とアトが横で見ていると、フォンも襦裙を着始めた。

 まさか……女装で誤魔化そうと? そんな簡単なことでとアトは不安に思ったが……

 元々筋も骨も細いフォンは、襦裙を着て化粧をしても違和感がない。と言うか、肌が白いから、アトよりよっぽどお嬢様っぽく見える。


「さて、行きますわよ。お嬢様。」


 とフォンが裏声で言った。裏声にも違和感がないから驚きだ。アトは器用な男だなと感心しながら


「何て呼べばいいの?」


 と聞くと


「そうですね……。では風梅ふうめいとでもお呼び下さい。」


 とニッコリ笑った。


 アトも新しい襦裙に着替えて、準備を整え、三人は太后が寄越した迎えの馬車に乗り、城へと向かった。

 太后の馬車と見るや否や、どの門もさっさと開かれ、アト達は呆気ないほど易々と後宮の門の前に立った。宮に招かれると、下女達がササッと現れ、一斉に作揖礼し面を上げ言った。


「此度のお越し、太后様もお喜びでございますが、謁見前に御身を調べますゆえ、ご無礼のほどお許し頂きたく存じます。」


 と仰々しく言われてアトは一瞬たじろいだ。多少宮廷生活をしていたとは言え、元々は賎民、その性が簡単に抜けるはずもない。

フォンが


「ふんぞり返って、許すでいいんだよ。」


 と耳打ちしアトは慌てて


「許す。」


 と言うと、下女達が三人の体をトントンと手で軽く叩きながら調べ始めた。

 アトは少し緊張した。

 今回、事を起こすのに際し何も持ち込んでいない。それにフォンが男だなんて信じられない程の化けようである。


「結構でございます。」


 そう言うと下女達が下がっていった。

 アト達は後宮に入った。

 アトは少し安心した。

 やがて太后の侍女がやって来て―――。


「太后様のご準備整うまで……。」


「良い。通せ。」


 とキリリとした声色が命じた。


「ですが……。」


「構わぬ。」


「はっ。」


 扉が開かれた。

 御簾の向こうに太后がいる。

 アトと孫凱はすかさず衛官の位置を確認した。

 入り口に二人、御簾の前に二人、御簾の内には侍女と太后のみ。

 そして……。


 アトと孫凱は目配せし、アトは御簾の前の衛官二人、孫凱は扉の前の衛官二人を倒し武器を奪った。

 孫凱は直ぐに扉前にいた衛官達の首と、脇を切りつけ殺したが、アトは床に倒れた衛官を前に躊躇った。

 しかし、もう一人の衛官からの剣を受け柄を狙い切り上げた後、剣は宙を舞い武器を奪った衛官の肩に刺さった。返り血が御簾を濡らした。


 きゃぁぁ――――!!!!!!


 太后にはべっていた侍女は、絹を裂く声をあげた。孫凱は素早く御簾の前の衛官達の首を切りつけ、二人とも絶命した。

 孫凱はアトを平手打ちした。そして、


「躊躇うな! 汚れぬ剣で何が掴める!?」


 と腹の底から湧き上がる声で怒鳴り付けた。


「……。すみません。次は殺します。」


 アトはそう言うと、ギュッと剣の柄を握った。

 孫凱は何も言わずくるっと背を向け、扉の前に仁王立ちした。


 アトは御簾を叩き切っり、太后に切っ先を向けた。その切っ先の前に現れたのは、色白で黒々とした髪のたおやかな印象を受ける女性であった。

 太后はアトが思っていたよりもずっと若々しく美しい。


「ご無礼お許しを!!」


「構わぬ。」


 太后は少し驚いたように目を見開いたが、慌てる様子もなく落ち着いていた。しかし、侍女の方は腰を抜かして倒れ叫んだ。


「た太后様ぁ……!!」


「お辞め! みっともない! して? 何を望む?」


 太后は侍女を嗜めるとアトに尋ねた。するとフォンが


「では……第五皇子殿下に。」


 と懐から文を出した。すると、太后は


「行け。そのように。」


 と侍女に命を発した。


「は……はい。」


 侍女は文を受けとると、こまネズミのように走っていった。それを見送った孫凱は


「聞けぇ!! 無礼にも越の大使を捕らえた太后許すまじ!!! 直ぐ様解放せぬなら太后の首を貰い受ける!!! 近寄る者も許さん!!」


 と城中に響き渡るような大声で発した。

 侍女の姿が見えなくなると、アトは太后から切っ先を下ろした。


「どうぞお楽に。」


「楽にとな? 衛官共の亡骸を前にしてか……。」


 それを聞くとアトの胸が締め付けられた。


 今考えるな! 考えたくない!


 家族がいたかも知れない。友人がいたかも知れない。事情を話せば黙って協力してくれたかも知れない。


 殺さずにすんだ?


 アトの手から滴るほど汗が吹き出た。


「御許しください。」


 アトは平静を装うと必死だったが、顔は真っ青である。

 その様子を太后はしらけた様子で見ていた。そして、ため息をついて言った。


「良い。殿下が来るまで待つとしよう。」


 その瞳は切り殺された衛官も、アトも、興味一つ湧かぬ醒めきったものであった。

 その様子からフォンは、太后に貴族特有の残忍さを垣間見た。だからこそより一層警戒心を強めた。


 帝位簒奪。


 まさかとも思う。しかし、身の保身のためだけに第五皇子にくみするのか?

 背に腹は代えられぬとは言うが、果たしてそんなに単純なものだろうか?

 誇り高き皇太后が、外つ国の血の混ざった異端児に味方するとは……。


 他国の権力闘争に、それほど感心があるわけではないが……無関心を決め込むには我が国と洸の距離はあまりに近すぎる。

 商業的利害関係、洸国に住む越人達、その処遇は洸国皇帝によって容易く揺らぐ。そしてこの女は……。


 俺の勘が当たっていてもいなくても、目の前の難局を切り抜ける!

 少なくとも今は、味方に違いないだろう。


 その頃、惹喜にも報せはもたらされた。


「好機にございます!! 右羽林将軍を動かされませ!」


 紫蓮は惹喜に迫った。


「…………。なぜ今か?」


 惹喜はこの好機に引っ掛かるものを覚えた。しかし、


「何を迷うことがございます! 啄薙めは存命、太師の手駒の孫凱が、越を騙って太后を盾に立て籠った。ならば、越も太后も葬ってしまえば良いのです! 今をおいて、いつが有りましょうや!?」


 確かに、紫蓮の言う通りだ。泱容を殺そうと、杯を陶器に替えて実際、口に含ませるところまで成功した。なのに、あの側仕え……。

 やはり、只の側仕えではなかった。


「……分かった。しかし、全軍は出すな。将軍は置いておけ一部隊で事足ろう。」


「畏まりまして!」


 紫蓮は直ぐに宦官を呼びつけ、右羽林将軍の元へ走らせた。

 この時、惹喜は読みを誤った。

 確かに、罠であることは勘づいて、不足の事態に備えるため。この行動は全くの的はずれと言うわけではないのだ。


 しかし、それは泱容がの話だ。

 そして、泱容の元にも報せは来た。

 太后付きの侍女が、息も絶え絶えに文を渡して子細を報告に来たのだ。


「ご苦労。下がって良い。」


「はっ。」


 侍女を下がらせた後泱容は文を見た。

 宛名は無し。見知らぬ字。

 書いてある内容は――――、


“此度は殿下に文を出す栄誉を頂き、感謝いたします。つきましては、拙い筆ながら、詩を贈らせていただきたく存じます。


 慈母手中線慈悲深い母は

 懦子身上衣情けない我が子のために

 臨行密密縫糸を手に服を縫ってくれた

 意恐遅遅帰子の帰りが遅くなるのを心配して

 誰言寸草心誰が言うのだ?ちっぽけな心で

 報得三春暉春の陽光のような愛に報いるなど


 我等臣下はこのように、母の心で主に仕えているものでございます。

 どうかこれ以上、母心でいる小娘に心配かけぬよう。チャチャっと左羽林軍将軍引き連れて、ここまで来てください。

 漢ならこれくらい簡単でしょ? それでは悪しからず。”


 そして、


 グシャっ――……。


 泱容は文を握り潰した。


「フッ――。懦子腰ぬけだと? 一国の皇子相手に、随分なめたモノ寄越す奴もいたもんだ……。」


 泱容は横たえていた体を起こした。


「殿下! なりません!!」


 侍医が叫んだ。


「構うな……。直ぐ左羽林軍将軍の元へ行く!」


 泱容はよたとたとした足取りで、剣を手に向かった。

 泱容は非常に腹を立てている。

 文の内容も腹立たしいが、図星を得ているところがさらに憎たらしい。

 しかし、毒を食らって身動きままならない自分の体は、殊更に腹立たしい。


 くっ……――!💢

 これではあの文の通りではないか!!


 しかし、ここまで直情的にならなければ、泱容はあの、左羽林軍将軍蘇信重嚴と対峙するなどなかっただろう。


 重嚴は碧妃が生きていた頃に、彼女を傾国の美女と仇なし、先帝に遠ざけるように諫言してきた臣下の一人であった。そのため、子である泱容も疎み遠ざけていた。だから、実際のところ泱容は、重嚴との接触はほぼ皆無であったのだ。それに、泱容も玉座を積極的には望まなかったから、何も無理を押して会う必要もなかった。


 しかし―――。

 アトの姿がちらついた。

 母の心で、多分それは正解だ。

 子供のように心配されているのも。

 だからこそ、今計略に荷担し、綱渡りのようなことをしているのだろう。死ぬかもしれないのに……。あの馬鹿。


 かつて、先帝を兄のように慕い、剣の腕を切磋琢磨し合った仲と聞く―――。


 母似の容姿である私を見て、どう反応するか……。


 泱容が羽林の詰め所に着くと、兵達が慌ただしく出動の準備をしている最中だった。

 こんな時に皇子様の御相手などしている余裕も無く、兵達は慌てふためいた。

 しかし泱容は気にもせず、ずかずかと羽林の詰め所に歩を進め、とうとう蘇信のところにまでやって来た。

 一瞬足がすくんだ気もしたが、泱容はそれすら腹立たしい。


 バンっ!!!


 泱容は怒りに任せ、勢いよく扉を開いた。


「いつぶりかな? 将軍。」


 重嚴は目を丸くして泱容を見上げた。


「貴方は……――。」


 重嚴は幻を見ている気分だった。


 ″いつぶりかな?将軍。″


 先帝もそう言って、勝手に執務室に入って来ていた。


 本当にあの御方は勝手ばかりで――……。

振り回されてばかりだった――――!


 重嚴はふと我に返った。彼は先帝ではない。重嚴は、喉元まででかかった先帝への恨み言を引っ込めた。


「如何されましたか殿下?」


「手合わせする! 来い!」


「――――……は?」


 重嚴は躊躇った。

 その言い種、あの御方そのもではないか……!


「どうした?」


 泱容は振り返った。


「おお持ちを!」


 重嚴は、先帝とは似ても似つかぬその背中を必死に追いかけた。



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