第14話 戦端は開かれた2

 第五皇子泱容謁見求め、惇太后諾とす。

 光の速さで噂が飛び交った。


「太后様は第五皇子殿下をお認めになられたのか?」


「しかし……母君は外国の出、血筋を重んじる高貴な御方が?」


「いやしかし! 慈悲深くも太后様は命までは取るまいと、他国への婿入りにも熱心だったと聞く。」


「では皇太子様はどうなるのか!? 病と聞くぞ!」


「ならばもう間違いはないのだろう。」


「間違いないとな!?」


「太子はもう……。」


 太子の死は隠されていたが、泱容が太后に謁見したことで、城内どころか都じゅうで太子の危篤かもうすでに亡くなっている、との噂が囁かれた。

 越の大使が来ると言うのに、不吉な噂を立てられ、しかも、あながち嘘でもない噂を……官吏達は皆一様に頭を抱えた。かと言って、まさかあの太后に物申す訳にもいかず、嵐が過ぎるのをじっと待つように、粛々と箝口令をしく他なかった。


 しかし、惇太后とて太子の死を明るみにしたいわけではなかった。

 だが、もう限界だった。

 越の大使入港を盧氏に押しきられ、居ない者を出す訳にもいかず、自分への求心力が削がれるばかり、これ以上城内で居場所を失うのは彼女にとって耐えがたい。

 ″我こそ正当である″と言う幼少より植え付けられた呪いが、さらに追い討ちをかける。

 彼女の一族は″尊霈に禅譲した誇り高き王族″として、代々玉座の奪還を使命に執念を燃やしてきた。それは彼女の父、惇宜トンギも同じで妻や子等は手駒にすぎず、一族悲願の大望を叶える道具にすぎなかった。

 惇太后もそれは重々承知でいたのだが、太子が亡くなった時、彼女に


ぎょくを失うとは……! 不具め!!」


 と言い放ち、慰めの言葉一つなかった。

 分かっていた。そう言われるのは当然だと。

 だが、悲しみが湧いた。子を失った母としての悲しみが。

 そして、怒りが湧いた。


 何故、わらわが理不尽にも子を失わねばならない?

 何故妾が責めを負わねばならぬ?

 何故正しき血筋の妾が、惹喜などにこうべを垂れねばならぬ?


 間違っておる。間違っておるに違いない。


 こうして、惇太后は日に日にやつれ生気を失っていった。

 そんな頃、慰問に訪れた楊曹夫人から太師より密書が渡された。密書には“盧氏は玄と一心一体であり洸を滅ぼさんと目論んでおりまする。今こそ、国母たる威厳をお示しください”とあった。

 つまり、“悔しければ協力せよ”と。これを見るや彼女は雷に打たれたように思い立った。


 そうじゃ。あやつがおる。泱容。


 身の程もわきまえぬ母を持つ憐れな子。


 あやつは、妾に″玉″をもたらすために生まれてきたのじゃ……。


 そうじゃ。だからあやつの母は死んだのだ。


 そうじゃ、全ては天の定め。


 汚い血など、我らの血で洗えば良いこと。


 この時、惇太后は少々病んでいたのかも知れない。いつもなら父に伺いをたてると言うのに、それもせず芳吉を動かし泱容に接触させた。

 寝耳に水だった惇宜は慌てたが、もうすでに噂が広がっており、娘に文を送る以外はどうすることも出来なかった。娘の返事からは


 ″我らの手に玉を取り戻すのです。″


 と綴られているのみであった。

 だから、泱容を我が子の代わりにしようとしているのかと惇宜は思い、いよいよ娘の正気を疑った。そこで静養を理由に実家に戻らせようとしたのだが……。


 惇宜は謁見前日の朝から行方不明となった。


 世間は泱容の太后謁見で持ちきりだったため、あまり騒がれることないまま、後日、太后の命にてひっそり葬儀が行われた。


 そして、謁見当日。

 泱容は橙色の円領袍を着て謁見に臨んだ。

 先ず礼を尽くし挨拶の辞を述べる。


「お久しゅうございます。お心に気付くことも出来ぬ親不孝を、お許し願いとう存じ上げまする。」


 すると、惇太后が


「皇子よ。そのような礼は不要ぞ。どうかお楽になされませ。」


 とにこやかにお声をかけられた。


「ありがたき幸せ。」


 と言って侑礼をして用意された椅子に腰かけた。太后も続いて腰を掛け最初にお話になられた。


「あぁ。なんと見違えたことか……。御立派におなりあそばされて。しかし……。」


 太后は泱容の髪を見た。


「そなたのその髪、皇族の血筋にありながら……妾は行く末を思うと憐れでな。生まれを責めはできぬが、そなたの母も悔いておろう。」


 この言葉を聞き泱容は少し眉を動かした。

 アトは少しドキリとした。

 いつもは人前で感情を出さないこの男らしからぬ行動である。


 よもや、辛抱ならなくなったか!?


 しかし、泱容は直ぐ体制を立て直した。


「そのようにお心を砕かれていたとは、母も太后様に感謝していることでしょう。越の大使来駕歓迎の儀も、お手をお貸しくださり感謝いたします。」


「気にせずとも良い。そなたはではないか。親が子の面倒を見るは当たり前のこと。」


 泱容は少し目を丸くした。

 公式の会見の場でこれを言ったと言うことは、皇族であると認めたと共に正式に後ろ楯となると言ったも同然だからだ。


「し……しかし、」


 泱容は動揺した。それとは対照的に惇太后はゆるりとして言った。


「案ずることはない。時に、そなたも将来妻を持たねばな? 太師とも相談しておこう。」


「ありがたく存じます。」


 泱容はどうにか笑顔で返事をしたものの。内心驚きと猜疑と恐怖があい混ぜになった。

 今の泱容にとって、これ以上にない強力な後ろ楯がつき喜ばしいことだが、相手が相手である。


 そして、――――。

 泱容はアトをチラッと見た。

 強い後ろ楯を得た。

 ならば、アトはもう……。


 謁見が終わり、泱容はアトを引き連れ宮へ帰っていった。そして、その途端に芳吉が送り込んだであろう侍女と宦官達が泱容の世話をし、宮の門に衛官が立った。

 これが本来の泱容のあるべき姿で、受けるべき待遇である。

 アトは側使えであったが、あっという間に仕事をとられ、やって来た侍女達にあれやこれやと指示を出され、泱容から暫く離れることになった。

 この時、アトは


 あ、―――。自分の役割が終わったのだ。


 と実感した。

 それから数日、アトは泱容と同じ宮にいながら会わない日が続いて、宛がわれていた部屋も知らぬ間に他の侍女達と雑魚寝になっていた。


 泱容と違ってあからさまに待遇は悪くなったもののアトは、大して苦にすることもなかった。今までの泱容のお取り巻き達と違い、やって来た侍女達は洗練されており、必要以上に話し掛けない代わり、嫌がらせもされず思いの外アトは快適に過ごすことができた。


 しかし、どういうわけか日にちが経つにつれ妙な同情を受けるようになり、侍女長からは


「礼儀作法はともかく、淑女として良き心構えです。」


 等と何故かお褒めの言葉を頂いた。

 そうして、日々は過ぎていき、知らぬ間に越の大使がやって来る日となっていた。その頃、アトは実家(太師遠戚の名を名乗った猛騎)から手紙が来て城から出ることになった。

 これで本当にアトの仕事が終わった。

 しかし、アトの中ではわだかまりが残った。


 私は、泱容を守りきれてない。


 自分が、あまりにも宮廷を知らなすぎたせいで、惹喜の前で泱容を庇いきることができなかった。


 こんなことでいいのだろうか?


 それにアイツは心底孤独な男だった。


 このまま何もしないまま、アイツを一人置いたまま去っても良いのだろうか?


 これからは私じゃない奴がアイツを守る。


 本当にそれで良いのだろうか?


 しかし、アト一人でどうこうなるものでなし。

 アトはこの思いを打ち消すように早朝から越の大使出迎えの準備に走った。


 この日、喪中にもかかわらず都じゅうがお祭り騒ぎになった。それでも爆竹が鳴っていないのでいつもよりは静かなものだが。

 そのお祭り騒ぎの街を越人の青年がぶらぶら一人で歩いていた。


「おー喪中だってのに活気だってて良いねぇ!」


 彼の名前はグェンフォンと言う。これでも越の大貴族グェン家の当主であり、此度の洸国訪問の大使としてきている。

 フォンは屋台の串焼きに目を止めた。


「親父さ〜ん一本ちょうだいな。」


「あいよ!」


 フォンは銭を渡すと屋台の親父に軽口をきいた。


「いやぁ~オイラ驚いちまったよ。喪中なんだろう? 随分活気だってるじゃないの。」


「そりゃあんたアレだい……越から偉いさんが来るんだろ? 祭りにもならぁ! それによ喪中ったて今年いっぱいまでだもの…それまでやれ我慢それ我慢なんてやられてみなぁ、気ぃおかしくなっちまわぁ……。」


「まぁそれもそうだなぁ……。」


「あ……! そうそう! あんた他所から来たんだろ?」


「おうぅ。越からよ。」


「だったら気ぃつけな!」


「何を?」


 屋台の親父はフォンに手招きをして声を落として言った。


「いいか……、太子様と惇太后様……とりわけ第五皇子殿下のことはぁ、外で言っちゃなんねぇ。」


 すると、フォンは目を丸くして訊ねた。


「何で?」


「箝口令が出てんでぇ。一文字言っただけで胴体と泣き別れよぉ。」


 親父は手をブンブンふって首を切る真似をした。


「ふーん……。恐ろしいことで、下々には関係無いのにねぇ。」


 と、残りの串焼きを全部口に放り込んで、フォンが言ったところで、越の言葉で叫ぶ者がフォンのところへヅカヅカやって来た。


「あぁ!! こんなとこで!」


「あらぁ……。」


「あらぁ……じゃないでしょう!! 何をやってるんです!! 仮にもグェン家の当主でしょ!? 串焼き食べてる場合ですか!?」


 フォンはウンザリしたように耳を塞いだ。


「あーもー……うるさいなぁ。カインもお前もお堅いんだか――。」


「陛下の御名を、公衆の面前で軽々しく言わないでください!!!」


「は―――――――~い。」


「全くもう!! 帰りますよ!!」


 タインはフォンの腕をひっ掴んで、強引に連れていこうとしたがフォンが動かない。そして、真顔で


「イヤ、帰らない。」


 と言い放った。


「はぁ💢!?」


「取り替えっ子だタイン。」


 フォンはイタズラっぽくニヤリと笑って言った。


「……――えっ?」


 タインは顔をひきつらせた。

 嫌な予感しかしない。

 フォン、この男がこんな顔をした時は大抵ろくなことがなく、振り回されるだけ振り回されるのだから。


 この頃、アトは越の大使出迎え準備も殆どを終え、自分の荷物を纏めていた。するとそれに気付いた侍女達が寄ってきて、声を掛けてきた。


「まぁ! もう?」


 そんなに急がなくてもと、彼女達の顔に書いていたが、アトは


「はい。今までお世話になりました。」


 とあっさり返事をした。すると、


「せめて、最後に遠くからになるけれど、殿下のお姿を見ていきなさいよ。それくらいは、太后様も女官長もお許しくださるわっ!」


 と、憐れまれるようなことを言われてアトは不思議に思った。


「??????? 別に……見なくても?」



 このくそ忙しい時に、挨拶する暇もないだろうし?


「いけないわっ!! 貴女っ愛しい人が胸にありながらどこかへ嫁ぐのでしょう!?」


 !!!!??


「い愛しい人?」


 アトは冷や汗が出た。


 誰だソレ!!?


 嫁ぐのはここを出る口実だし……。


 愛しい人???


「だって!! 殿下が直に貴女を側使えにお命じになられたのでしょ!! 通じあっている男女が離ればなれになるなんてっ!!!」


 ふぁっ!?


 アトは思わず叫びそうになって口を塞いだ。


「え……と。いやあのぉ……そんな良いもんじゃ……。」


「ごまかしてはダメよ!! いきなり引き離されたと言うのに……あんなに健気に仕えていたじゃない!! さぁ!! もう刻限よ!! 最後に殿下を見てらっしゃい!!!」


 と言ってアトは強引に侍女達に押されて行った。


 そして、その頃フォンに扮したタインがちょこんと、洸国宮殿の貴賓殿の大広間に座らされていた。

 タインは小さい頃から、フォンの小間使として近くにいたから、フォンの振りをするのは造作もないが、こんな公務の肩代わりまでさせられるなんて……。恨むことこの上なかった。

 しかし、格上相手に知られるわけにいかない。下手すると外交問題に発展しかねないのだ。タインは自分に言い聞かせた


 私はフォン私はフォン私はフォン……!!!


 緊張とプレッシャーで吐きそうである。

 かわいそうなタイン。しかし、後にこれが好判断となる。

 刻限となった扉が開く―――。




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