第13話 戦端は開かれた1

 この日、知らせを受けて盧長満は頭を抱えた。


 越側の暗殺に似せかけて、泱容を亡き者にできなかったばかりか、計画より早くに玄との戦端が開かれてしまったのだ。


「くっ……!」


 バリンッ……――――!


 長満は持っていた杯を床に投げ捨てた。


「なぜこうなった!? おい!? ブルケト皇子とは連絡がとれたか?」


 長満が家令をギロッと睨むも家令は震えながら


「ざ残念ながら……。」


 と答えた。


 ダンっ……!!


 長満は机に拳を叩きつけた。


「何故こうなった!!!」


 あぁ!! なんと言うことだ!!

 これでブルケト皇子との約束は反故となった! かと言って全克は期待ができるほど出来は良くない!

 いずれ全克はこちらで処理するつもりでおったから、不出来に関してはまぁよいと、思っておったが……仇になるとは!


 どうすればっ……――――!!



 事の起こりは一月前、洸国に南の隣国越の使者来訪以前に遡る。


 越――、洸国の南にある島国で昔、玄に都まで攻め上られた時に、洸国側につき都を共に奪還をしたことで、不可侵条約と軍事同盟を結んだ友好国である。


 今年は喪中であったが、表向き立太子もすんでいるので、恒例行事となっている使者の来航を断ることができず、受け入れることとなった。

 そのせいで皆使者を迎える準備で忙しく、泱容にすり寄っていた侍女達も借り出され、ここしばらく静かな日が続いていた。


「おい! 何してる?」


 泱容は椅子にゆったり腰掛けながらアトを睨み付けた。

 アトはあの丸い屋根の東屋の欄干をせっせと拭いている。


「何って掃除です。他に人いないし。」


「掃除ですじゃない! 私の前でするな!」


「えーだって、殿下のお側を離れるわけにはいきませんし。それにここ誰も掃除に来ないんですもの!」


 アトは口を尖らせた。


「いい性格してるな? 全く……!」


「と言うか……いいんですか? 殿下。」


「何がだ?」


「だって、越からお使者様が来るんでしょう?殿下は何も準備なさらないのですか?」


 侍女達の話だと、第三皇子殿下は衣装の準備だ、挨拶の辞の準備だ、宴会の準備だとかなり忙しそうだ。


「私を呼ぶなどあり得ぬ。本来であれば次期皇帝の披露目でもあるのだぞ? 惹喜にとって太子を差し置いて、あの牛(※1)を出席させることに意味があるのだ。」


「はぁ……。でも……。」


 アトは刑場にいた全克の姿を思い出していた。蒼白い顔で、ずっと何かに怯えているような印象で、とても皇帝なんて務まりそうに思えない。


「でも? 何だ?」


「太師が反対なさるでしょうし……あのぅ……その、第三皇子殿下はなんと言うか……せ繊細? って言いますか玉座に……その。」


 アトはかなり言い辛そうに言った。

 それを見て泱容は


「まぁ……ヤツは向かんだろうな。」


 とハッキリ言った。

 アトはその途端総毛立った。


「そんなズバリ言わなくてもっ……!」


 アトは辺りを見渡した。当然ながら誰もいない。


「お互い、嫌な立場に生まれついたものさ。しかもあの負けん気の強い母君に、始終馬の如く尻を叩かれ、発破をかけられておるのだろうからな。憐れなものじゃ。」


「そうですか。」


 なるほど、恐れているような印象だったのはそう言う訳だったのだ。本来であれば、強力な後ろ楯を持ち、威張りくさって宮殿を闊歩しているであろうに……。

 そこへ、


「殿下、こちらに御わしましたか。」


 とぞろぞろと数十名の侍女を従え侍女長がやって来た。


芳吉ほうきつ(※2)よ。そちを呼んだ覚えはないが?」


「おくつろぎのところを申し訳ござりませぬ、さりとて此度の歓待の義は、殿下にもお出ましいただかなければ……。」


「何だと?」


「惇太后直々のお申し出でございます。」


「太后が?」


 泱容は少し動揺した。

 惇太后……頓死した太子の母で、彼女も泱容と璧妃を嫌っている。なにせ璧妃が体調を崩した時、太子の体調不良を盾に、医師を彼女の元に行かせないようにしていたほどだ。

 泱容は少し緊張した。


 太后は生粋の貴族の子女、太子を亡くしたからと言って味方になるとは考えにくい。

 だが、長年友好関係にある国を前にして、私を弑するほどの暴挙にはでないだろうし……。


 一体何を考えている―――?


「太后様は母上をお許しに?」


 泱容が尋ねると、芳吉は首をかしげ


「許す……? とは異なことを――、太后様は殿下を我が子同然にご心配されておいでです。陛下もお隠れになられた今、太后様を頼りなさるのがよろしいかと……寂しがっておいででござります。」


 と答えた。

 この答えに泱容は怒りを覚え拳を握った。


 よくもまぁいけしゃあしゃあと……。

 しかし、狐相手に問答を繰り返しても不毛なだけ……。仕方ない。


「それは……親不孝に気づかず、申し訳なく存じます。近日、是非とも太后様をお訪ねいたしましょう。」


 と泱容はにっこり笑って言った。


「それは宜しゅうございます。太后様もお喜びになられましょう。」


 と芳吉もにっこり笑って言うと、その場を辞して去っていった。


 一連のやり取りをずっと黙って隣で聞いていたアトは、泱容がわずかに震えているのに気づいた。

 やがて、芳吉の姿が見えなくなると、泱容はスッと立ちあがり、拳を柱に強か打ち付けた。


「何だと言うのだっ!!!」


 その声は涙声のように震えていた。


「殿下……――。」


 アトは、ここまで感情的になった泱容を初めて見た。普段他人を信用しないこの男は、口は悪くとも、いつ何時も感情を深く沈め、表に出すことをしない。こんなに感情を露にするなど、余程のことである。だが慰める言葉も見つからず、アトは黙って泱容を見守った。

 しばらくして、泱容は顔をあげ


「太后に会う。文をしたためよう。」


 と言って宮に戻っていった。


「会って大丈夫なんですか?」


 アトは後ろから尋ねた。


「鈍いお前でも解ったか。惇太后、血筋を誇りとし、母上を″憐れ″と侮辱していた。」


「憐れ?」


 アトの認識では憐れと侮辱が繋がらない。


「そう、後宮へ上がってきた異物。責められぬ生まれを憐れとな。」


 泱容はまだ怒りが醒めず、人殺しでもしてきたような顔で言った。


「憐れ……ですか。」


 生まれと言われてもピンとこないアトだが、何かあったのだろうなと、言う想像は容易にできた。

 その頃、惹喜が住まう宮では紫蓮が女官長と泱容の接触について報せていた。


「……如何致しましょう?」


 惹喜は眉を潜めた。


「太后が……。無いとは言いきれぬ事態だが、あちらもなりふり構っていられぬのであろう。特に太師が泱容の後ろ楯となったしな。」


「ではっ……!」


「文の用意を。先ずは父上に知らせよう。」


「そのように悠長な――……!」


 紫蓮は身を乗り出したが、惹喜が抑えた。


「焦ってはならぬ。確実をもって遂行せねば。それに……あの女官、気になる。」


「女官?」


「あぁ。泱容に一人だけ側仕えがおろう? 仮にも側仕えと言うにあの様子……育ちは良くて商人上がりと言ったところ……。太師の遠戚などとあり得ぬ。」


「しかし! 女で何が出来ようと言うのです!?」


「そのように!!」


 と惹喜は声をあげ紫蓮の言を塞ぎ


「油断をしてし損じたこともあろう?」


 と続けた。

 これには紫蓮も言い返す言葉がなく、


「面目次第もございません。すぐ文の用意を……。」


 と引き下がった。

 実際、惹喜の勘は当たっている。そして、この時点での彼女の判断は正しかった。


 しかし……――、

 昼下がりに文を受け取った長満は、ふぅむと唸り五十過ぎて尚黒々とした髭をさすると、家令を呼びつけた。


「旦那様。如何しましたか?」


 家令が部屋に入ると長満は


王獅オウシ様にを納めようと思ってな? 後、越に儂が開いた商会があるでなの準備も頼む。」


「では王獅様は暫しを?」


 家令は上目使いで尋ねた。


「あぁ……。じゃ。少々長うなるじゃろて、くれぐれも荷の準備は怠りなくな?」


「ははっ。」


「それから、鷹仙ヨウゼン様はご準備整われたと返事があった。のお渡しは一月後と、する旨お伝えしろ。」


 家令はそそくさと準備に走っていった。すると、長満の後ろから白い腕がスルリと回された。


「オウシ様? ヨウゼン様? 私のことを呼びつけておいて、一人寝させるなんて……そんなに良いんですか?」


 長満は振り返った。


「月映や……。そなたが妬くなどまた可愛いことじゃが、王獅様鷹仙様は行商人でな、数ある取引相手の一人よ。」


 長満はそう言いながら月映の肌を丹念に撫でた。


「フフフっ……。旦那様……。」


 月映が瞳を潤ませ呟くと、長満は再び月映を寝所に連れて行った。

 このところ、長満は月映ばかりと遊ぶようになっていた。元々男色が激しかった訳ではないのに、このところすっかりのめり込んでいる。

 もちろん月映がそう仕向けているのもあるが、長満自体も妻をもう十人以上抱え、子も多いため面倒になってきてる。月映はそう言う点で面倒のない相手であった。加えて、この天女の如き容姿と教養の深さ、そして気が利く。


「ククク……。そなたは良い。望むなら身請けをしてやろう……。なんなら婿にしても良い。」


「勿体なきお言葉。ですが……今のままが一番よろしいでしょう?」


 月映は寝台から体を起こし言った。


「妬いたと思ったら、こちらが差し出す手は簡単にはとらぬとな? 憎い奴じゃ……。」


 長満は月映を弄びだした。


「えぇ……。私と旦那様は楽しく遊んでいるのです。そこに水を差すなど……。」


 月映は息も絶え絶えに嬌声を上げながら答えた。


「そうだな。では……とことん遊ぼうではないか……。」


 長満はこの日も晩まで月映を離さなかった。

 お陰で月映が妓楼に帰れたのは夜遅くであった。


「はぁー……疲れた。」


 月映は背伸びをして腰をおさえた。すると香月が走ってきた。


「兄さん! 今日も盧の旦那のとこ? 最近多いね? はい! 薬!」


 月映は薬を受けとると、長椅子に腰掛けもたれ大あくびをかいた。だがそれでも、机の上に山と置かれた文には一通一通目を通す。といってもこの文はほんの一部で、頻繁に文を送る客や、一度でも相手したことのある客は、必ず返事を書くようにしているのである。


「兄さんもよくやるよね。他の兄さん連中はここまでやらないよ。」


 香月は感心して言った。


「ははっ……。字を読むことは好きだからね。特に苦でもないよ。」


 そう返事をして月映は一通の文に目を止めた。文の宛名は宋達ソウタツ。この男、よほど入れ込んでいるのか毎日文を寄越す。しかし、内容がひどい。詩一つ作れないようで猥本わいぼんの中身を綴ったような文章であった。それでも月映は返事をしたためる。

 温厚な綾月ですら返事は出さなくても……と言う。香月に至っては「捨てましょうよ!」と言うくらいだ。なぜならこの宋達と言う男、武の名門宋家の三男坊で、ボンクラだともっぱらの噂の男であるからだ。しかし、「客にかわりはない。」と言って月映は毎度ではないにしても、返事を出す。

「客にかわりはない。」のも理由の一つだがもっと大事な理由がある。それはこの宋達との下らぬやり取りこそ、猛騎との連絡手段であるからだ。


 猛騎は元々、宋達が月映にぞっこんなのを知っていた。だから彼に″確実に月映から返事の来る文のやり取りをしてみないか?″と提案し、宋達はそれに乗ったのだ。念願叶っての文のやり取りをそうそう人にばらすはずもなく、猛騎は易々やすやすと月映と手紙のやりとりで情報を得ていた。


 月映からの情報を元に、太師や猛騎調がべ上げた結果。

 月映がよく耳にする鷹仙なる人物は、盧氏の娘婿の父である人物を騙る何者かで、高齢と病気を理由に隠居して表にほとんど姿を表さない。が、忍ばせていた間諜の話によれば文字を横の行に書く癖があったり、話し声は玄の訛が強く、病気だと言う割には酒をよく喰らうと言う。

 それに、盧氏との物品のやり取りが多すぎる。

 このことから“鷹仙”はおそらくは玄人で、以前に接触があったと見られる、玄の第一皇子ブルケトの窓口となっている人物では? と推測される。

 そして、もう一人頻繁に出てくる王獅という人物だが、鷹仙とは比べ物にならないほどやり取りは少ない。泳がせている腐敗官僚の記録からは、食料品に見せかけて、武器のやり取りをしているらしい形跡はあったものの、取引は殆ど港で行われている。

 だから貿と猛騎も太師も思っていた。

 そこが、盲点であったということは後に知れる。

 このことから、今はブルケトの対策が急務であると判断した太師は、太后をけしかけ泱容に接触を図らせたのだった。


 宮廷では、太后との謁見を望む手紙を泱容はやっと書き上げぐったりとしていた。


「文一つ送るのに胆力がいるなど……馬鹿げておるわ……。」


 と相変わらず口が悪い。

 しかし、太師の手の上で転がされていると分かれば、口が悪いどころか怒りで荒れ狂うに違いなかったが、その事実を知ることは終ぞ無かった。


「その調子でボロが出ないなんて……そっちの方が馬鹿げてません?」


 アトは呆れ気味に言うと


「フンッ! 伊達に宮廷暮ししておらんでな。!」


 と返した。いつもなら憎たらしいがこの時のアトは少し安心した。


「殿下が引きずっておられぬようで、少し安心しました。」


 そう言うとアトは自分の部屋に戻っていった。


「お休みなさいませ。」


 パタンと扉を閉めた。

 その時、泱容は一瞬、泱容はアトを引き留めようとしている自分に気付き、思わず自分の手をぎゅっと握った。


「馬鹿な――――。」


 静かにその声は響いた。



―――――――――――――――――――――――――――――――


※1:第三皇子、全克のこと。泱容が勝手につけたあだ名。


※2:侍女長の名前。

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