第12話 屋鳥の愛を知らぬは罪

 簪事件から少しして夏がやって来た。この時期は通常、避暑宮に皇帝臣下皆うち揃って引っ越しをする。だが、今年は喪中であることから取り止めとなった。だから、皆、海から来る潮風の熱波に堪え忍ばねばならぬのだ。


 とりわけアトには大変堪えた。元々荒涼たる山岳地帯の出身だから、この蒸し風呂のごとき暑さは未経験である。


「暑い……。」


 汗だくでアトは宮殿内で泱容を探し回った。

 ここ最近、暑さに耐えかねたのか、泱容はめっきり宮殿内にいない。お陰で早朝から泱容を探し回る羽目になった。


 ここまで探していないとなると……。


 アトは次に宮殿の外を探し回った。宮殿は庭も広い、泱容が住まう宮だけでも太師邸の倍の広さがある。林園も含めると比べるのが難しいくらいだ。立派である。立派な庭だが、何かちぐはぐした感じがする。


 例えば、池や川に小さな滝だが石の色がそこだけ違ったり、そこらかしこに置かれている石像や銅像は、無理やり置かれているような感じがする。


 変な庭……とアトは思いながら泱容を探すがそれでもなかなか見つからない。

 流石にここまで見つからないとなるとアトも不安を覚えてきた。


 何かあったのか…?


 残るは庭の奥の森だけだ。鬱蒼と生い茂る木々をかき分け進むと……。


「無粋な猿めが……。」


 泱容は森の中にある東屋で直裾袍の胸元を緩くしてくつろいでいた。


「~っ。こんなところにっ! 命の危険があるんです! わたくしから離れないでくださいませ!」


「汗臭い猿など置いていられるか。」


「申し訳ございません。そのようなことであれば、天帝に涼しくして欲しいと願い出ては? わたくしでは恐れ多うございますので。」


「フンッ! 要らぬ知恵をつけたものじゃ。」


「殿下のお陰にて!……。それにしても、こんなところあったのですね?」


 アトは辺りを見渡した。ここはにれ喜樹きじゅかえでが生い茂っており、素朴で落ち着いた雰囲気である。それに……。


「なんだか変わった東屋。こんなの見たこと無い。」


 アトは東屋を見上げた。東屋は白い柱で屋根はお椀をひっくり返したような丸い形である。


「海の向こう……西の国の建築様式らしい。」


 泱容は遥か彼方を見るような目で言った。


「へぇー。それにしても落ち葉だらけ随分使ってなかったんですね。」


「あぁ……母上がお隠れになられて久しいからな。」


 母……。


 そう言えば、泱容から母君の話を聞くのは二回目だったか……。


「西の国のご出身でしたね。」


「…………。」


 泱容は黙したまま体を起こし立ち上がった。


「どちらに?」


「戻る。」


 泱容は宮殿に向かった。アトはその後ろをついて歩いた。

 アトは泱容の背中を見つめながら思った。


 そう言えば、宮殿に来てからしばらくたつが……泱容の母の物をあの東屋以外見たことがない。それにあの東屋、手入れもろくにされず放ったらかしで、いくらお隠れになられて久しいと言っても、何代も前ではないし仮にも皇子の生母である。なのに……


 泱容の母は″居なかった″事にされている……?


 そう言えば、殿下と太師邸にいた時……


わたしは母上が西の海の向こうの出身でな。だから、わたしを皇族の一員だとは認めたくないのだ。』


 と言っていた。


 皇帝候補に上がっているのに、まさかと思ったが……。本当のことだったのか。


 宮殿に帰ってアトは泱容の遅い朝の支度にかかった。


「殿下、今日お召しのものは?」


「襦裙を…淡い青色の。簪は藍宝石サファイア玫瑰バラ。金の首飾りと。」


「畏まりました。」


 アトが髪を結い上げ、服を着せると泱容はすっかり異国の姫のように仕上がった。


「フンッ。髪結いもましになったか。」


 アトは目を丸くした。


「珍しい。殿下がお褒めくださるなんて……。矢でも降ってきますかね。」


「……くっ。猿の癖に。お前、そう言えばなんだその地味な格好は? 仮にもわたしの側仕えであろう。ただでさえ不細工なのに。」


 泱容はアトの頭から爪先までジロッと睨んだ。

 アトが今日着ているのは粉色ピンクの襦に、藤色の裙で簪は緑の瑪瑙めのうである。

 アトからすればこれでも十分すぎる贅沢品だ。

 それに文句をつけるなんて……しかし、


 始まったな毒舌!


「見た目がイマイチなのは、重々承知でございます。ですので似合う方に着飾っていただいた方が良いかと。」


 アトは澄ました顔で言い返した。泱容の毒舌も最近は上手いことあしらえるのだ。


「………。お前、本当に私から寵を得たいと思うておらんのだな。」


 泱容はまじまじとアトを見つめた。


「? ……はい。」


 アトが首をかしげていると、泱容が突然アトの頬に触れてきた。


「妃にすると言ったらどうする?」


「…………え……!? はぁ!?」


 アトは流石に口が過ぎたと手で口を押さえた。


「申し訳ありません。思いもよりませんで。」


 この男、なに考えてるんだ!?

 もしかして兄さんに張り合うつもりで?

 イヤ、皇子だし張り合うもなにも……。

 兄さんの手紙は読めなかったから、中身は知らないけど、男妾の文体で書かれた手紙なら勘違いしてるだけだろうし……。


「私を妃にしても意味無いでしょう。」


 兄さんに張り合いたいって言うんなら尚の事。


「………。」


 泱容はアトの両頬をギュッと寄せた。


「何するんですか!」


「………。お前、もしかしなくても男に興味ないのか?」


「男に興味ないって……どういうことですか?」


 アトは泱容の質問の意味が解らなかった。

 この様子を見て泱容は


「……………まさか……その年で色恋が全く――――?」


 解らないのか? 子供じゃあるまいし……。


「色恋……。改めて言われると……功夫クンフーばかり積んでましたし、ずっと男の成りで暮らしてましたし……考えたことない? かも?」


 泱容はこれを聞くと一気に脱力した。

 そして納得した。通りでアトは、自分やあの手紙の主である月映とか言う奴にも、″男″としての興味を持ってない筈である。


「………アホらしい。」


 寄ってくる女共は、この顔に惹かれて集ってくると言うのに……期待すべくもないが泱容は一応聞いてみた。


「お前は私をどう思う?」


 アトは訝しげに顔をしかめ答えた。


「殿下です。」


 分かっていた答えだが泱容は


「聞き方を変える! お前にとって私はどういう奴なんだ?」


 と改めて聞いてみた。するとアトは少し考え込み


「顔が綺麗……で羨ましいなぁと思いますよ?」


 と答えた。すると、泱容は少し声を荒げた。


「………大して何も思ってないようなものなのに……どうして命をかけられる? 金か?」


「金、と言われればそうです。でも……目の前で死にそうになってる奴を、放ったらかしにするなど、人道に反するでしょう? 人でなしになってまで生きる意味はないと思います。」


「嫌な奴でもか?」


「当然です。」


 アトは言い切った。


「私はお前を裏切るかも知れんぞ?」


「そうなったら仕方ないですね。」


「お前は死ぬのが怖いと思わんのか?」


「怖いですよ。」


「なら……」


「いつ死ぬかなんて選べません。でも、どう生きるかは自分で決めるんです。いつ死ぬか分からないのに、思い残すような生き方したって、しょうがないじゃあないですか?」


 泱容は少し目を見開いた。そして


「生き方……。私は生き方など考えたことがない。」


 呟くように言った。


「考えてみたらいいじゃないですか?」


「阿呆。私は皇子だぞ? 皇帝になる以外の生き方などあるものか!」


「皇帝になって、何するか考えてみたらいいじゃないですか? 皇帝って私等からしたら神様みたいなものですし。」


「フンッ。大権を振りかざして人臣を従えているだけだ! 神なものか。」


「嫌なんですか?」


「ずっと……ずっと人を疑っていなければならないだろう?」


 そう言った泱容の姿が、アトには人並みに悩みを抱えた普通の青年に見え、てつい口が滑った。


「殿下も人の子だったんですねぇ……。」


「何だと!?」


 泱容は口の片側をヒクつかせた。


「いいんじゃないですか? 今の殿下は全うに悩んで……今の方が良いですよ。」


「なっ!? ……何なんだお前。」


 あははははっ!


 アトは何だかおかしくなって笑った。むくれる泱容が、丁稚の香月と重なって愛着すら湧いた。


「私はお前なんか嫌いだ!」


 泱容はそっぽを向いた。


 大嫌いだ! 私ばかりが動揺させられて……

 私に何も思わないなど……可愛げがない!


 泱容はパッとアトの方を振り向き、両頬を掴みグニグニ揉んで言った。


「商人を呼べ。服を買う。」


「畏まりました。」


 アトは宦官を呼びに走った。

 この時アトは、取っつきにくい主人だが、旨くやっていけそうだと安堵感を覚えた。

当然、泱容がアトに対して抱えている想いなど知る由もなく……。


 丁度その頃、

 猛騎は避暑地として有名な恒山の寺院に国家繁栄五穀豊穣を祈願しに来ていた。参拝を済ませ宿の庭に出て涼んでいると、


「俗世を捨てた仙女は、本当に思い残すことなどなかったのでしょうか?」


 と美しい顔の男が猛騎に声をかけた。


「仙女になるとは限らんよ。御身こそ天に昇って行きそうではないか?」


「天などと恐れ多い。世俗にまみれた汚れた身故、叶わぬことでしょう。」


「月と名乗っておきながらよく言う。」


「虜の身のようなもの、自由になるものなどございません。」


「虜が嫁もらえたのかい?」


「虜でなければいいだけです。」


「顔だけじゃなく中身まで自信家のようだな。」


「私とて漢でございます。」


 そう言った月映の顔は、優雅に微笑みを湛えながらも眼光は力強く光った。


「そりゃ頼もしいことだ。まぁ、腹の探り合いなんて時間の無駄だ率直に……。盧長満について情報が欲しい。」


「首を寄越せ、と言っているのと代わりございませんね ……。では、条件をつけても?」


「聞くだけなら。」


「兎をお返しくださりませ。」


「元々お前のじゃないと思うが?」


「金を持たせれば必ず私を買いに来る。」


「色男の言うことは違うね。」


「そういうです。」


「それにしても欲の無い。それだけでいいのかい?」


「はい。後は自分の手で掴みます。」


「そうかい。馬鹿じゃなさそうで安心だ。兎だが――――。まぁ、大丈夫だろう。」


「煮えきりませんね?」


「努力はする。これ以上のことは約束しきれん。と言うか……よそから見たら芋だろうよ。俺ぁちょっと信じられん。」


「ふふっ。よそ様からは芋で良かったと言うか……私以外そうなら良かった。天に座する彼のお方はさぞ、孤独な方だったでしょう?」


「なぜそう思う。」


「私もそうですから。」


 月映は遠い目をした。


 今でも覚えている――。


 先の戦で両親を亡くしてすぐ、私は叔父に娼館へと売り飛ばされた。売られた娼館は劣悪な環境で、禿かむろにまで体を売らせていた。私も、当然のように男たちの相手をさせられた。

 男達からは股から引き裂かれるような痛みと、屈辱しか与えられなくて……体を酷使したせいかある日、しもからの出血でみるみる内に真っ赤な鮮血で染まる布団を見て――――、


 死を覚悟した。


 でも、目覚めたら寝台の傍らでアトが船漕いで手を握ってた。

 後で聞けば、私を助けるために冬虫夏草を取りに行って、それを銭に換え一晩私を買ったらしい。

 それから直ぐ、私は都にある妓楼に売られた。

 アトが冬虫夏草を郭の旦那に売りに行った時、たまたま静養兼ねて薬を買い付けにやって来ていた清琅閣のご隠居に、「兄さんは男前なんだぞ!?都の奴ら何て目じゃないんだからな!?」と、啖呵たんかを切ったらしく、それが縁となって私を買っていただく運びとなった。

 アトがいなかったら私は死んでいた。


 月映は髪に挿したアトに渡すはずだった簪に手を触れた。

 ずっと可愛い妹と思っていたのが……この苦界に身を沈める内に、年に一度の何気ないことばかり書き綴られた手紙が、どうしようもなく愛しくなって、次第に欲望を抱くようになった。


 月映はニッコリと笑った。


「ならば……是非ともを手にしていただきましょう。兎など興味も失せて野に放って下さいましょうや。」


 ″玉を得る″これは帝位に就くと言うことだ。

 猛騎にとって泱容を是非とも玉座に、とやる気十分なのは結構なことだが……気詰まりを禁じ得なかった。


「…………。男妾ってのは皆腹が黒いのかい?」


「お互い様にて。」


 相変わらず月映は美しく笑った。


 さて、宮殿では泱容が商人を呼んでアトで遊んでいた。


「ふーん。あんた南国風の簪の方が似合うのねぇ。」


 アトは着せ替え人形よろしく、さっきから衣装を取っ替え引っ替え……。


「殿下……さっきの腹いせですか?」


「無礼な女ね? 私の側を歩くんなら、それなりの格好をしろって言ってんのよ! あー親切な私! わざわざ商人まで呼んで!!」


 くっ……――! 男の癖に根に持つ奴だ!


 この後、アトは泱容の着せ替え遊びに夕刻まで付き合わされた。
















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