第11話 兎月の簪
刑を執行してから三日、泱容の毒殺未遂の説明に宦官がやって来た。曰く、
「娘の部屋から遺書が発見されまして、畏れ多くも殿下と心中するつもりで、口に毒空木を含んでいた様でございます。」
とのことであった。
恐らく、嘘であろう。だが
「あい分かった。」
と泱容は返事をした。彼にはそう返事をするしかないのだ。
それからアトは、宮廷内での立ち居ふるまいや作法を必死に学んだ。武術だけでは泱容を守れないと、今回の件で痛いほど解ったからだ。
アトは今まで通り、麗嬌や貞深との手紙のやり取りの他、宮女達を観察したり聞き耳をたてたりして学んだが、時にはあの泱容自らが教えてくれることもあった。
これにアトは少々驚いたが、″まぁ、どうせ目に見える命の危機があったばかりだから、藁にすがりたくなっただけだろう。″と思っていた。
が、周りの侍女達は違った。
侍女達は、アトにやたら馴れ馴れしく話しかけるようになり、訊ねてくるのが……
「ねぇ玉蘭。貴女……夜のお伽はどうだった?」
とか
「お胤は戴いたの?」
とか
「どうやって殿下をその気にさせたの!?」
アトがもうすでにお手付きである前提で、褥のことをあれやこれやと聞き出そうとしてくる。
否定をしても
「そんなわけないじゃない!!」
と誰も信じてくれない。
確かに、アトに対する態度が不自然なほど変わったのだから、勘ぐられても仕方ないことだとは思うが……、
お手つきだけは無い。
絶対無い。
それから、最近意外な事を知ったのだが……。
侍女達の話だと泱容は、夜這してくる侍女の相手は確かにしている。が……。
「殿下は……いつも最後までは……。事後も淡白で……。だからもしかして男色でらっしゃるのかって皆申しているのよ? 貴女はどうなの!?」
「はぁ……。左様で……。」
アトは顔をひきつらせながら聞いていたが、侍女達は必死である。
「いや……でも……もしお腹に授かりでもしたら……――――。」
粛清されるんじゃないのか? 盧貴妃様に。
とアトは思ったのだが
「あらやだ。そんなの、他所の男に嫁いでしまえばわからないわ! それに殿下の御子よ? 間違いなく玉のように可愛い子が生まれるし、文武兼備なところまで似れば万々歳よ!! ばれても皇族の落し胤だもの。お咎めなんてあるわけ無いでしょ?」
な……――何て……
アトは感心するやら気詰まりするやらで、恐ろしさすら覚えた。
こうして、主人の態度が軟化したお陰か、侍女達ともそれなりに話が出来るようになったのはいいのだが、あんな話ばかりで、ちっとも気が休まらない。休憩が終わり、泱容の元へ戻ろうとした。その時、下女が走ってやって来た。
「文でございます! 蘭玉様はいらっしゃいますか?」
「あ、はい。
文? 楊曹夫人かな? 貞深様かな?
文を受けとるとフワッと伽羅の香りがたった。
あ――!
伽羅の香り、これは……。
「兄さんだ!」
アトは手紙を懐にしまうと泱容の元に戻った。
戻ると泱容は長椅子に腰掛け、今日は男物の深衣を着て書を片手にしていた。アトを見ると、
「何だその緩んだ顔。」
「え……!?」
アトは頬を触った。
「フンッ……不細工。」
くっ……!
「も申し訳ありませぬ。」
「顔に出すな! 何度言わせるのだ! 物覚えの悪い奴め。」
腹立つぅ――……!!本当のことだけど……。
アトはどうにか笑顔を作り
「殿下は今日も絶好調で何よりです。」
と片言で返した。
「全く……。―――?」
泱容はアトを見てスンッと臭いをかいだ。
「お前、伽羅なんて持ってたのか?」
「あぁ……手紙かな?」
「手紙? 狸太師の奥方か……。」
狸…………。
皇子と言えど一国の太師に向かって……。
アトは呆れながら答えた。
「あぁ……いえ、知り合いからのです。」
泱容は眉を潜めた。
「知り合いだと? お前にそんな高貴な知り合いがいたのか?」
アトは一瞬答えに迷った。何故なら一応″側仕え″であるからだ。
側仕えという役職は、通常皇族の花嫁候補でもある。そのため、二等親以内の親族男性意外とは謁見はもちろん。文のやり取りも禁止となっている。しかし……。
殿下だし……男性ったって月映兄さんだし……。
まぁいいか……。
「兄貴分の兄さんですよ。都じゃちょっと有名な男妾なんです。」
とアトは得意気に答えた。すると、
「手紙を見せろ。」
「嫌です!」
「いいから見せろ。命令だ!」
「はい。」
アトは口を尖らせ渋々手紙を出した。泱容はそれをひったくると、ざっと手紙を広げた。すると、ぽとんっと何かが手紙の中から滑り落ち、泱容がそれを拾い上げた。
それは簪だった。銀の兎が丸い琥珀の月を背にした、可愛らしい簪だ。
「簪……。」
泱容は呟くとぎゅっと眉根を寄せた。そして手紙を読むと
「何だこのムカつく内容の手紙は……。」
と眉をつり上げた。
アトはこれに大変不満を持った。
殿下には関係ないだろうに……。
「返してくださいよ! 手紙!
すると、泱容は明らかに不機嫌になって訊ねた。
「お前……。兄貴分ではなく恋人の間違えではないのか?」
「恋人って!! 兄さんは兄さんですよ!」
「ほう……。その″兄さん″とやらはそのつもりのようだぞ?」
「えっ!?」
それを聞いた途端、アトは火を吹いたように赤面した。それを見ると泱容はますます不機嫌になった。
「フンッ……! 尻軽同士お似合いではないか!」
と悪態をつき簪と手紙をアトに投げつけ、
「兄さんとやらは、お前が側仕えであると知らんのか? こんなもの寄越して……。お前もいつ胴体と泣き別れるか分かったものではないな!?」
と泱容が言い放った瞬間……
あっ! ……
アトははたと気がついた。
にっ兄さんに(側仕えになったこと)伝えてない……。
最近忙しかったから……――。
アトが気まずそうな顔をしていると、泱容は目の色を変えて詰問した。
「お前……!! まさかこの男と定期的に文を交わしていたのではあるまいな!?」
この泱容の剣幕に、″たかが手紙″と思っていたアトも、大変なことをしたと思い慌てて否定した。
「いえ……逆です!! ここ最近忙しくて、兄さんに報告すらままならななかったから……。兄さんに悪いことしたって……思って。」
アトがこう言うと泱容はため息をつき、アトから再び手紙と簪を取り上げた。
「今回は目をつぶってやる。」
「あの……! 兄さんは? 兄さんは何か咎を受けるのですか?」
アトは不安になって泱容に訊ねた。
すると、泱容は少し寂しそうな顔をした。
「……――。目をつぶってやると言ったろう。何もない。ただし、手紙と簪はこちらで処分する。」
「………――。申し訳ありませんでした。」
アトはしおしおと頭を下げた。
泱容はため息をつくと、文の用意を命じた。
文をしたため届けさせたその日の晩、猛騎が泱容を訪ねてやって来た。
アトは久しぶりに猛騎と挨拶を交わした後、泱容と猛騎の周辺に人が寄らないよう、部屋の外で見張りに立った。
泱容は事の仔細を説明した後、手紙と簪は猛騎に渡した。その時、猛騎は少々驚いて言った。
「珍しい……。殿下がこれほどまで目を掛けるなど……。」
「フンッ。あ奴を寄越したのはお前だろう!
と言って泱容は猛騎の方に向いた。
「それにしても驚いたなぁ……。清琅閣の月映と言えば、飛ぶ鳥も落とす勢いの売れっ子だ。そんなのと知り合いとは……。」
「気に入らぬ。」
「文の内容が?」
「違う! 男妾の知り合いということがだ!! どこの誰と繋がっておるやら、分かったものではないだろうがっ!!」
「確かに殿下の仰せの通り。しかし、使えるのでは?」
この猛騎の提案に泱容は方眉をつり上げた。
「使える? 男妾など信用ならんだろう? 宮廷の連中より小マシかも知れんがな。」
「そうかもしれませんが、アトがおります。殿下もお分かりでしょう?」
「分かる? 何をだ?」
「手紙の内容見れば一目瞭然ですよ。」
猛騎は手紙を広げた。
″
もう宮廷に入ったと聞いて驚いたよ。あれから手紙も来ないから心配してね。せっかくだし手紙のやり取りをしながら詩を覚えない? きっと役に立つだろうから。
手始めに、私が書いた詩の元の詩が何か当ててごらん?
羿(※1)
返事を待っているよ。″
「普通、″嫦娥″の詩は逃げられた女への未練の詩。しかし、この詩では嫦娥は
泱容はため息をつくと簪を見た。
「猿にはその簪の価値は解るまいに……。」
「やはり相当の……。」
「唐変木に簪の価値など解ったのか? 一見地味だが、兎の瞳には
「ならば……」
「フンッ……。好きにしろ。」
泱容は不機嫌にそっぽを向いた。
猛騎は泱容の不機嫌の原因を憂えた。そして、
「殿下。蘭玉のことはあくまで手駒とお考えください。彼女のためにも……。」
泱容は猛騎を睨んだ。
「何が言いたい。」
「我欲を貫けば不幸を呼び込むこともある。よくお分かりのことと存じまする。」
と猛騎は泱容を諌めた。
その猛騎の言葉を聞くと泱容の脳裏に一瞬、母の姿を見た。
母は―――――――……。
泱容は澄ました顔をしながらも自分の片腕をぎゅっと握った。
「……―――。解りきったことを……。」
そう口にしながらも泱容の心中は空しさが湧いた。
この泱容の様子を見て、猛騎はため息をつきたくなった。どうも、彼が憂いが現実のものとなったらしい。
「どうかお耐えください。」
酷なことを言っている。それはよく解っている。しかし……。猛騎は泱容を見た。
泱容は猛騎の言葉を聞きフッと嗤った。
「耐える? 馬鹿なことを……。猿一匹知ったことではない。」
泱容は不意に空を見上げ言った。
「月など嫌いだ。」
「月を恨んだとて詮無きことございます。」
猛騎も空を見上げた。
今夜は青白い雲一つ無い明月であった。
猛騎は月を見ながら、アトを泱容の元に送りこんだことを後悔した。
話し合いが終わり、猛騎が部屋から出てくると
「今夜は月見酒と洒落込むのが乙だぜ。」
とアトに声をかけた。
「満月ですからねぇ。猛騎様が風流を好むなんて以外です。」
「俺を何だと思ってんだよ……。人は見かけじゃ無いんだぜ。」
アトは笑った。
「それは失礼しました。」
「ところで、月映とか言う男妾のことだが……。」
猛騎が言いかけた途端に表情が曇った。
「咎は無いと……殿下から――。」
「あぁ。だが代わりに我々に協力してほしい。」
「それは……――。」
断れるのかとアトが聞こうとしたが猛騎は厳しい顔をした。
「解ってる筈だ。」
「………。はい。」
アトは項垂れた。
兄さんは頭が良い。だから上手くできる。
でも、
巻き込むつもりなんてなかったのに……!
アトは重い足取りで泱容の元に戻った。戻るとすぐに
「二度はない。ここが宮廷であること忘れるな。」
と泱容に釘を刺された。
「はい。―――……兄さ……いえ。申し訳ありませんでした。」
「下がれ。もう休む。」
泱容は衣をそのへんに脱ぎ捨てさっさと寝台に潜り込んだ。
「はい。御休みなさいませ。」
アトは部屋から出て扉を閉めると、その場で膝を抱えた。
「ごめん兄さん。」
アトは自らの至らなさを恥じて悔やんだ。
その頃、猛騎は早速内偵に月映がアトに贈った簪と共に密書を送った。
月映は密書を受け取り読みながら、丸窓から月を眺めた。
すると、後ろから弟分の
「兄さん。こんなところで油売ってたら長満様に見つかりますよ?」
「心配要らないよ。長満様は峯の梅に愛を乞いに行ったから。」
「なるほど。蝶の次は花を手折りに……お元気なお方だ。」
「あのお歳で立派なものだよ。普通丸くなるからね。」
「で?」
「憂えたお顔でどうしました?」
「うーん……。ちょっと困ってねぇ。」
月映は香炉に密書を
その横顔を見ながら綾月は恐々尋ねた。
「兄さん? ………何か怒ってます?」
すると月映は
「怒るも何も、天を恨むなど馬鹿げているじゃないか。」
と言ってニッコリ笑った。綾月はビクッとした。天、それは……。
「………天!? ………。冗談ですよね?」
天に例えられる唯一のもの……皇帝あるいはその血族。
「そう。冗談だよ。」
月映は笑ってない目で笑って言った。
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