第9話  冷たい宮中

「捨て置け。毒だ。」


 泱容は女を見下して言った。


「な……!」


 アトは拳が震えるのが判った。


 この男!! 本気で殴ってやりたい!!


 アガッ……ガっ……ヒィっ……ヒィっっ!


 倒れていた女は、今度は泡を吹き顔は赤黒くなって痙攣をし始めた。

 これは……


毒空木ドクウツギだ!! ダメだ! 死んじゃう!」


 アトは思わず叫び、女の上半身を抱き起こした。が、


 亜亜ぁぁぁぁ……


 女は一声上げ事切れた。


「………。」


 アトは女の手をとって、静かに床へ寝かせた。そこへ


「殿下。もし。いかがなされましたか?」


 と外から宦官が声を掛けてきた。


「女が死んだ。運べ。」


 泱容がそう命ずると


「はっ。只今。」


 宦官が三人部屋に入ってくると、二人は女を運び、一人小太りの宦官が泱容の前に進み出て


「御体は大事ござりませんか?」


 と上目使いで尋ねた。


「フンッ。私に何かあった方が良かったのではないのか? 如福ジョフクよ。」


 泱容は宦官を睨み付けた。


「滅相もございません。やつがれにはそのような畏れ多いことはとても……」


 宦官は額を床にすり付け言った。


「良い! 下がれ! いつまでもお前の醜い顔など見とうない!」


「はっ。」


 宦官は後退りに部屋を出ていくその途中で、アトと目が合った。その時、アトは何かイヤな感じがした。彼の目は油を垂らしたように粘着質で、ギラギラと何かたぎっていたからだ。

 しかし、彼は直ぐにアトへの興味を失ったらしく、さっさと目を反らした。

 宦官達が出て行くとアトは泱容に訊ねた。


「あのひとは……? どうなるのですか?」


わたしに毒を盛ろうとしたのだ。一族郎党斬首になろうな。」


「そんなっ!! だって……!」


 だってあのひとは死んでしまったし……。それに、こんなことになったということは何か事情が……。


 動揺したアトを見て泱容はため息をついた。


「後宮とはそういう場所だ。馴れることだな。」


 それを聞いたアトはふと思った。


「殿下? こんなことに馴れて良いのですか?」


 すると泱容は眉を吊り上げた。


「何だと?」


「だって……! だって、こんなの馴れてしまったら……血が、氷ってしまいそうです。」


 アトの手は震えていた。

 アトはこの場で、子供の駄々のように″こんなのは嫌だ!!″と叫びだしてしまいそうだった。

 すると


「そうだ。いちいち情など通わせていたら、身など持たん。今はまともな人の心など、捨てることだ。お前はその内、もとの場所へ戻れるのだから。」


 泱容はそう言った。


 殿下は?


 そう思ったもののアトは聞かなかった。

 この日の夜、泱容は寝る部屋を変えなかった。泱容はあえてそのままにしたのだ。理由は……


「宦官は信用ならん。奴等は皆、惹喜じゃっきの配下だからな。」


「惹喜様って――えっと盧貴妃様?」


「あぁ。この世でわたしを一番殺したがってる女だ。」


 アトはこれを聞いて奇妙に思った。

 なぜなら、惹喜こと盧貴妃は、皇太子生母の惇太后の次の位の妃で、国一番の財力を持つと言われる豪商・盧長満ロチョウマンの娘。しかも第三皇子の母でもある。太子亡き今間違いなく、この国一番の権力者だ。もちろん泱容など敵では無い。殺したいと言うなら泱容の後ろ楯の太師の方がよっぽど――……。


「どうして?」


 アトは口をついて訊ねてしまった。すると泱容は呆れた顔をして言った。


「……………………………。お前。わたしが皇子あることを分かってないのではないか?」


「え? そんなに聞いちゃいけないことでした?」


 アトがキョトンとしていると泱容は笑いだした。


 くっ! あははははははははっ!


「あー……。笑った。その考え無しなところは阿呆の極みだな! いっそ清々しい。」


 阿呆と言われてアトはムッとした。


「それはようございましたね!」


「クック! そう拗ねるな。誉めてやってるんだから。」


 泱容はまだ笑ってる。それを見てアトは思った。


 馬鹿にされてるようにしか見えないんだが?


 泱容は一息つくと言った。


「惹喜がな、わたしを殺したがっているのは、我が母上がこの上なく憎いからだ。奴は母上が妃になるまでは、父上の寵愛を一身に受けていたらしい。ところが、母上を妃にした途端、どの妃にも見向きしなくなったのだとか……。したたかに鼻柱を折られたのだろう。」


「では、殿下が玉座を望まずとも……。」


わたしは殺される。全く、どいつもこいつも勝手ばかりだ。」


 泱容はため息をついた。


「殿下はこのままでよろしいのですか?」


「このままとは?」


「だって……。」


 殺されるじゃないか!


「そうだな……。しかし、わたしを祭り上げようなど、考える連中の思惑に乗るのも御免だ。それにわたしは皇帝になったとて、何かを成したいと思うておるわけでもない。ならば、少しよこしまでも大望ある方がよっぽど皇帝としては、真面目ではないか。」


 何かを成す?


 アトにはさっぱり解らない。

 アトのとって国は、戦もなく食うには困らず居られれば、それ以上はない。今だって病や飢饉が無ければ、それなりに暮らして行ける。それではいけないのだろうか?


「皇帝とは……何かを成さねばならないのですか?」


「何?」


 泱容は眉を潜めた。


「その……成すとかそんなのよく解りませんけど……。私みたいな普通の民は、戦がなくて食うに困らなくて、病に倒れれば薬が飲めて飢饉があれば、米を分けてもらえたら、これ以上の幸せはありません。それは、何かを成さねばできないことですか?」


 泱容はこれを聞いて驚いた。

 国を治めるにおいてあまりにも当たり前なことだ。そして、それと同時に愕然とした。なぜなら……


「……。お前が言ってるその幸せは、洸国民ならば当たり前に享受できるはずのものだ……。当たり前ではないのか?」


 アトも泱容の話を聞いて驚いた。


「だって……。飢饉があっても備蓄米は領主様が勝手に他所へ売ってるし……商売人から買おうにも、値段つり上げられて貧乏人は買えません。薬だって、金持ちのモンだと思ってましたよ?」


 泱容はいよいよ目を丸くした。


「………。我が国の法は機能しておらぬのか? 民は法を知らぬのか?」


「法ですって!!?」


 アトはひどく驚いた。なぜなら法律と言うものはだからだ。まさか、民に配慮する文言が入っていた等考えもしない。それより何より……


「知っている人もいるかもしれませんが、ほとんどは知らないかと……。それより……民は米を分けもらえたのですか?」


「当然だ。任に就いた領主は、民を守らねばならぬ。そもそも、薬が買えぬほど困窮するのはなぜだ? アトよ。それはどこの国も似たようなものか?」


「それは……領主様が、任期中に搾り取れるだけ取っていきますから、年貢を納めたら食うだけでやっとになるからです。外国は行ったこと無いので……あ。郭の旦那は、どこの国でも付け届けがかかってしょうがないって、愚痴ってたことありましたね。」


「………………………そうか。」


 泱容は呟くように言った。その姿にいつものような傲慢さはなく、一回り小さく見えたような気がした。落ち込んでいるのだろうか?


「………。殿下。」


「何だ?」


「お願いですから死なないでくださいね!」


 アトは真顔で言った。


「…………逃げたって構わんのだぞ? わたしが死んだとて、お前を罰する連中は黙ってても惹喜に粛清される。わざわざ貧乏くじを引くこともあるまい。」


「それでも! 死なれたら夢見が悪すぎます。」


「なら忘れろ! 猿の得意技だろうが!」


「嫌です。」


「何だと!?」


 泱容は声を荒げた。しかし、アトは泱容の顔をしかと見つめて言った。


「嫌です! 死ぬのは嫌ですが、魂を傷つけるのも嫌です!! それこそ人でなしになってしまう! 人でなしになったら生きられません!」


「っ! 後悔しても知らんぞ!! 阿呆!」


 泱容は一瞬言葉を詰まらせ怒鳴り付けた。


「はい。阿呆ですので。」


 アトはそう言うと泱容の寝台に背を向け剣を支えに座った。


「何してる?」


「眠るんですよ? わたくしは殿下を守らねばなりませんから。お休みなさいませ。」


「フンッ! 勝手にしろ!」


 泱容は頭の上から布団を被った。

 しばらくたってから、泱容は寝言のようにアトに尋ねた。


わたしのような男が皇帝になっても良いと思うか?」


 いつになく気弱な泱容にアトは


「さぁ?」


 と答えた。


「そうか。」


 泱容はそれっきり何も言わなかった。

 アトは思った。


 この男、口では悪ぶっているようだが、どうも根は優しい気がする。

 でなければ民の暮らしぶりを聞いて、落ち込んだりはしないだろう。と。


 アトに皇帝の何たるかは全く解らないが、せめて民にも思いやり一つくらいはあってもいいと思う。そうすれば、民百姓は少しでも辛酸を舐めずに済むだろう。そうすれば月映兄さんだって、男娼なぞしなくてすんだかもしれないし、アトの母も餓えで死ぬことは無かったかもしれない……。


 もう夜も明ける。少しの間だけアトは眠りについた。

 そして日は登り、泱容の朝餉を出す頃。宦官が大逆罪による斬首刑執行の義を知らせにやって来た。

通常の刑の執行では知らせはないが、大逆罪になると、皇族が立ち会う決まりとなっているので泱容も出席せねばならないのだ。

 そして、今回処刑されるのは泱容の部屋で死んだ彼女の一族であった。


 アトは思った。


 あのひとの一族郎党処刑だって言うのは聞いていたが、事が起こったその翌朝とは早すぎはしないか!?


 アトは釈然としなかったが、泱容は平然と知らせを聞いていた。

 宦官が出ていってからアトは泱容に尋ねた。


「殿下、こんなに早いのって……。」


全部用意していたからに他ならん。まぁ、いつものことだ。」


 アトは″いつものこと″と聞いてゾッとした。宮廷の権力者の思惑で簡単に人が処刑される。それが日常的だなんて。

 アトは下唇を咬んだ。


「……っ。何も……他の人まで巻き込まなくたって……!」


わたしに噛みついたところで、しょうがあるまい。それに、その辺飛び回る羽虫が蜘蛛の巣に勝手に引っ掛かっただけよ。それを……なぜわたしが気にしてやらねばなるまいに?」


 そう泱容は言い捨てた。その目は酷く冷酷なものだった。


「殿下は、あのひとをお怨みでらっしゃったのですか?」


 すると泱容は薄ら嗤った。


「怨む?? その辺飛び回る羽虫をか?」


「羽虫って……。」


 アトは何だか悲しくなった。

 アトの腕の中で息を引き取った彼女は、それはもう苦しんで逝った。なのに、それなりにでも思いやりがあると思っていた泱容が、そんな言い方するのは驚きであり悲しかった。

 衝撃を受けたアトの顔を見ると泱容は言った。


「違わぬだろう。わたしの容姿と地位に惹かれ、集ってきた羽虫よ。親切にも羽虫どもにわたしをあてがってやっているのだ。死んだとて本望であろうが。」


 それを聞いたアトは困惑した。


 解らない男だ。

 昨夜は庶民の窮状を知って、心を痛めているようにも感じた。なのに身近に接したであろう宮女達に対して冷酷だ。


 では、わたしは?


「では、私はその羽虫なのですか?」


 アトは怯えにも似た不安に煽られ、たまらず尋ねた。だが


「ふん。羽虫が良かったのか? 猿めが……。」


 泱容は突き放すように言った。

 それを聞くと、アトはわずかに体が震えるのが判った。

 悲しいというのか、恐れというのか。

 高々数日その側で、過ごし言葉を交わしただけでも、ある程度の信頼や親しみがあるものと思っていた。ところが彼にとって自分は″どう扱っても良い″存在であると、叩きつけられたような気がした。

 泱容はアトから目を反らして命じた。


「才猿。さっさと玄端(※1)をもて。」


「かしこまりました……。」


 アトは返事をすると、部屋を出て廊下に敷き詰められた石を見ながら歩いた。冬でもないのに、石の冷たさが爪先から上ってくるような気がした。


 寒い。


 宮中ここは何と寒いところか。


 体が冷えるのではない。


 気持ちが冷えてしまうのだ。


 だが、あれだけ冷酷な泱容の姿を見てもアトは憎く思えない。憎いと言うより憐れに思えた。


 あの男は誰も信用していない。いや……できなかったのか……。


 孤独であったのだろう。そして……それが久遠に続くと諦めているのだろうか?


 どちらにしろ、アトがどうこうすることではない。今はただ、泱容を守りきるしかない。

 例え本人が望まずとも。



―――――――――――――――――――――――――――――――

※1:漢服での礼服。




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