第8話  だってしょうがない!

 普通、皇族の側仕えになろうと言う女官は、上級貴族のご息女か、宮廷内で地位と位を有した者。それが、身分卑しい小娘がいきなりなってしまったらどうなるか……。


 言うまでもない。

 城に入った途端アトは、宮女連中から穴が開くほど見られ、その割には誰も話し掛けてこない。

 何だろう? と不思議に思っていたら、翌日から麗嬌から借りた簪がなくなったり、与えられた部屋に鳥を放たれ糞だらけにされたり、何より困ったのが、行く先で他の用事を押し付けられる事だった。


 アトの仕事は宮女と言うより護衛である。それなのに泱容の側を長く離れるのはまずい。しかし、そんなこと他の宮女達が知るはずもないから、アトに仕事を押し付け、その間に自分達が泱容の用事をこなし、あたかもアトがサボっていたかのように吹聴し、お叱りを受けるように仕向けてくれた。

 それを知ってか知らずか、泱容はあれだこれだと山のように我が儘……もとい、指示を出しては、遅いだのどんくさいだの、叱りつけてお取り巻きの宮女達と一緒に、散々嗤ってくれるのだ。


 それにしてもよく笑えるものだ。幸いまだ何もないが、いざというとき間に合わぬ。アトは頭を痛めた。


 どうしたものか……。


 宮女たちに関してはやはり、新参者で大師の縁者とは言え地方貴族の娘(本当は庶民だが)が、皇族の側仕えと言うのは納得がいかないのだろう。


 しかし、アトは不思議に思った。

 衛官も付けられない皇子様、普通に考えてあまり引き立ててもらえそうにない。それどころか、下手に一緒にいたら巻き込まれてとんでもない目に遭う可能性がある。なのに彼女らは恐ろしくないのだろうか? と。だが、夜になればその答えは簡単に判った。


 この男、何はともあれ見た目が良い。

 だから、誰かしら夜這いにやって来る。それをこの男は片っ端から相手していたのだ。

 そう、宮女達は皆彼のお手つき。てっきり女の格好が趣味だから、男でも相手にするのかと思いきや、どちらとも遊んでしまう節操のなさ……。


 宮女達もよくこんな軽薄な男、甲斐甲斐しく世話を焼くものだと呆れるが、皇太子殿下はご病気で臥せっていて、特定の宮女数人しか出入りができないし(皇太子殿下が御隠れになられたことは秘匿されている)それに、もう一人城に残っている第三皇子は、見た目がいまいちな上に、ご生母であらせられる盧貴妃に逆らえない気弱。

 なるほど、腐っても皇子。泱容しかいないわけだ。


 登城して初日の夜など、知らなかったから衣擦れの音を聞き付け急いで部屋に入れば、裸の女はキャーキャー叫んで騒ぐは、泱容には


「主人の睦事を覗くとは……変態猿。」


 となじられるわで散々だった。

 点心に出す月餅を運ながらアト真剣に考えた。


 このままでは不味い。


 何しろアトは今、一国の皇子を護ると言う重い任を受けているのだ。この仕事、やり通さねば銀錠五両が消えるばかりではない。アトの命が消えてもおかしくない。

 そんな思い詰めているアトを尻目に


才猿サイエン(※1)! やっぱり桃酥タオス(※2)食べたーい。持ってきてぇ!」

 

 と泱容がそう言った瞬間アトはガックリきた。

 何しろ最初は、点心に香瓜マクワウリが食べたいと言ったから持ってきたのに


「うーん……。やっぱり気分じゃなかったわ。もっと食べ応えのある……月餅! 月餅にする! 胡桃入りねー!」


 と言ったから今度こそ気を良くして食べるかと思いきやコレである。


「まぁ! 殿下! お気の毒でございますこと! 御心を察することもできない側仕えだなんて! なんて気のきかない!」


 泱容の隣で、泣き真似でもするような仕種で立っている宮女が言った。彼女は豊邑ホウユウと言って、どこぞの名門貴族のご息女なのだそうだ。


「はぁ……。申し訳ありません。」


 いい加減うんざりしてきたがしょうがない。そんなアトの心音が顔に写っていたのか


「んまぁ!! 殿下に向かってなんてふてぶてしい態度なのでしょう! 無礼者! 殿下? このまま捨て置いてはなりません! 沽券に関わりますわ!!」


 ともう一人の女官が騒ぎだした。彼女の名は梅鈴メイリン、豪商の娘だとか言ってた気がする。

 すると、フッと泱容は嗤って言った。


「しょうがないだろう。何せ山奥からやって来た猿なんだから。」


 うふふ……ほほほほほほっ。


「まこと殿下は慈愛深い!」


 豊邑も梅鈴も一緒になってアトを嗤った。


「……………。」


 アトはため息をつきたくなった。


 コイツらは一体何をしたいのだ?


 確かに、アトを側仕えにしたほうが護衛としてはやりやすいかもしれない。だが、それは下女でも十分だったはずなのだ。それをわざわざ目立つ側仕えに置き、取り巻きの事情もよく知らない宮女達を煽って嫌がらせをする。


 まさか、自分は死なないとでも思っているのか? そんな馬鹿な。


 いくらわたしが気にくわないからと言って、自分の命を危険にさらしてまで?


 正気の沙汰ではない。


 アトは泱容を見た。今日は藤色と菫色の儒裙で、大輪の象牙の牡丹は栗色の髪に華やかに映える。それを肉付きが良く、泱容程ではないにしても麗しい美人が両脇を彩って、絵のように美しい。


 見ているだけならどんなに良かったか……。


 しかし、そんな泣き言を言ってる場合ではない。

 アトは身震いした。


 こんな阿呆のために死ぬなんて絶対に嫌だ!!!!!


 そこでアトはに打って出た。それは……


 アトが厨房から戻って来ると、廊下を塞ぐように豊邑が立っていた。優雅に微笑むと彼女は口を開いた。


「あら才猿じゃない? ちゃんと仕事は覚えたの?」


 するとアトは


「あら、才猿じゃない? ちゃんと仕事は覚えたの?」


 と、手を顎の当てる仕草まで真似てオウム返しした。


「な何よ! 真似なんかして! そんなことしてわたくしに敵うとでも思っているの!?」


 するとアトは揖をして


「いいえ。ですから後学のために、豊邑様から学ばせていただこうと思いまして、どうぞご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。」


 と言った。豊邑は身を引いて驚いた。


「なっ……! 貴方! 図々しのではなくて!?」


 するとアトも


「なっ……! 貴方! 図々しのではなくて!?」


 と身を引く体の動きまで真似て、アトは言った。すると豊邑はものも言えずに怒りに震えた。その様子を見たアトは


「大変勉強になります。どこまでもついて参りまする!!」


 と、大声で宣言したのだった。

 アトはそれからと言うもの、泱容の用事もそこそこに(放おっておいても他の宮女がどうせする。)豊邑だけではなく、他の宮女もを追いかけ回すようになった。

 そう、アトは思い付いた。教えてもらえないどころか邪魔をするなら……真似をすれば良いと。


 文のやり取りで貞深や月映兄さんに聞くこともできたのだが、それでは時間がかかりすぎる。それで手っ取り早い方法で、アトが思い付いた方法がコレだったのだ。


 この何から何まで真似る、と言うのはアトが幼い頃、武術の習い始めに、兄達から最初に教わったことだ。

 こうしてアトは毎日のように宮女達を追いかけ回した。

 最初は、屈辱的に罵倒を繰り返した彼女らだったが、だんだんと気味悪がるようになった。

 何しろ、どんなに屈辱的な罵倒をしたつもりであってもアトはジッと、観察し仕舞いには鏡のように動くようになってきたのだ。

 だからか、これまで以上にアトの服を汚したり物をとって壊したりするようになった。だが、これに関してはアトが宮廷に入った最初から、麗嬌に文で壊された物、なくなった物を逐次伝えていたから麗嬌が手を回し、アトの部屋に宮廷内の風紀が乱れているとして、宦官による立ち入り調査が行われ、これがてきめんに効いた。なくなっていた物も一部帰ってきたほどに。


 もうこうなると、流石の宮女達もお手上げらしく、無視を決め込むしかなくなっていった。

 しかもその頃になると、アトは大まかにではあるが、宮女の仕事も覚えてきて嫌がらせをされる前に、先回りで仕事ができるようになってきてしまっていた。


 これには流石の泱容も驚かずにはおれなかった。

 これだけ陰湿にやれば、泣きべそかいて逃げるに違いないと思っていたのに……。

 そして、ある日の晩。

 泱容は晩酌の杯片手にアトに尋ねた。


「お前何をそこまで必死になっているのだ?」


「はい?」


 泱容は少ししかめた。


とぼけるな! お前までわたしを皇帝に担ぎ上げて甘露を舐めたいのか?」


 アトは少し吃驚した。

 この皇子、下賎の身であるアトにさえ、そのような猜疑心を持っていたのである。

 アトには″甘露″と言われても、遠く考えが及ばないことだから言葉がでないでいると


「………フンッ。返事がないところを見ると図星か。」


「違います!」


「違うだと……?」


 泱容の瞳は冷たく凍てついた。アトは何と言っていいのか迷いながら話した。


「何と言いますか……わたくしは……高貴の御方のお考えは、全く解りません。えーと……それで……でも、報奨をお約束されて殿下のお側に居りますゆえ……甘露にありつくため、と言うのは間違っていない……??」


 泱容はハァとため息をついて


わたしが言っていることを、解っておらんな? わたしを皇帝に登らせ、その見返りを期待しているかと聞いている!」


「えぇ?  そんなモノないでしょう?」


 アトは″何言ってるんだ? こいつ″と言わんばかりの顔をして答えた。

 泱容は目を丸くした。


「何故にそう思う? 現にお前はわたしの側にいるではないか!」


 そう言われてアトは痛感した。


 あぁ。私は下賎で、目の前に御わすお方は皇子様なのだ。


「……………。殿下……。わたくしめは本来なら、お目にも入れてもらえぬ身の上でございます。殿下が皇帝におなりあそばすのであれば、それは幸いではございますが、あまりに身分が違います。ですので、甘露が落ちてくることがあったとしても、わたくしのところまで届くことはありません。あったとしても身に余るものですので、結局はどうすることもできないでしょう。」


「では……何故がそうも必死になる!?」


 泱容はどう言うことだ? と目をしばたかせた。それを見たアトは少し呆れた。


 皇子の癖に身分ってものを解っていない。


 と、そしてこう答えた。


「それは、わたくしの命が貴方様に比べて、遥かに軽いからです。殿下……。貴方が死ねばわたくしの命はありません。」


 泱容はハッとした。


 彼女が余りに逞しく屈強であるから、失念していた。


 イヤ……今まで下民とこんなに近くで、合間見えたことがないから解らなかった。


 ″彼女は下民であり、下民は自分のような皇族や貴族の一挙手一投足で、その命ですら簡単に吹き飛んでしまう″この当たり前が……。


 泱容はアトから顔を背けた。


「お前、そう言えば名すらまともに聞かなんだ。何と申す?」


 アトは一瞬耳を疑った。名すらどうでも良いと思われていると感じていたのに……。


「おい! 才猿のままでいいんだな?」


「あ! 宮廷では蘭玉と名乗っております。」


「本名は?」


「アトでございます。」


「……。アトか。変な名だ。」


わたくしの父上にでも言ってくださいまし。」


「フンッ。口の減らぬ。可愛いげの欠片もないヤツめ。良い、下がれ蘭玉。」


「えっ!?」


 アトは驚きのあまりつい声を出してしまった。まともに名を呼ぶなど初めてである。


「何だ?」


「いえ……。おやすみなさいませ。」


「あぁ。」


 アトは泱容の部屋を出た。


 一体どういう風の吹き回しだろう?


 人の名前にけちをつける辺り、の嫌みは相変わらずだが、皇子も皇子なりに思うところがあったんだろうか?


 アトはそんなことを考えながら、寝る準備をした。寝る準備と言っても、直ぐ身動きがとれるよう短褐に着替えるだけ、寝台には上がらず壁にもたれ掛かって眠る。髪も簪をはずしたらそのままにしていることが多いから、早いものである。

 アトは腕組みし、泱容の部屋に続く扉の柱にもたれて眠った。

 そうして暫くした頃、アトにとってまたが今夜もやって来た。


 スルスルスル……


 廊下から聞こえる衣擦れ、

 少しすると、うふふと女の笑い声に混じる甲高い声……。


 はぁぁぁぁぁ、とアトはガックリ肩を落としため息をついた。

 聞いてたくはないけれど、起きていなければならない。いつもの夜這い……。


 モヤシの癖に、随分体力の有り余った皇子様ですこと……。


 アトは心底あきれ返った。

 ところが……

 何かいつもと様子が違う。

 言い争っている?

 アトは直ぐ扉を開け泱容の部屋に入った。


「殿下!」


 すると素っ裸の女が嘔吐して倒れ込んでいた。


「これは……!?」


 アトは慌てて女を介抱しようとしたが


「捨て置け。毒だ。」


 と泱容は寝台から女を見下して言った。


「な……!」



 ―――――――――――――――――――――――――――――――


 ※1:泱容から付けられたアトの字。


 ※2:クッキーに似た焼き菓子。











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