第3話 底無しの谷

 猛騎の邸に着いたアト達一行。

 着くと下男が小走りでやって来て出迎えた。


「おかえりなさいませ旦那様。お客様方もようこそおいでくださいました。どうぞお足元お気を付けてお降りくださいまし。」


「留守中変わりは?」


 猛騎は下りがけに下男に聞いた。


「ございません。」


「そうか。」


 アトとラウは、猛騎と下男の後ろについて邸に案内された。

 邸は質素な造りで、正門は白壁に黒檀の柱、影壁(※1)には双喜紋に蝙蝠こうもりと、ごくありふれた図柄が描かれ、前庭は砂利を敷き詰めただけで、飾り気が一切ない。主人の猛騎は、ほとほと住居に興味がないようである。

 

 アト達は東の棟に案内され、卓と椅子、それに空の飾棚がでかでかと据えられた一室へと通された。

 猛騎は着替えるとかで奥へ引っ込み、待たされている間は下男が茶と干した桃を出した。

 暫くして頭を緇撮しさつにし、鼠色の直裾袍ちょくきょほう(※2)に着替えた猛騎が出てきた。

 

「悪ぃな待たせて。男一人で住んでる邸なぞ殺風景だが、まぁ、くつろいでくれ。」


 そう言うと猛騎はどっかり椅子に座った。


「ありがとうございます。」


 ラウは軽く頭を垂れ席につき、アトもそれに倣った。

 猛騎は頬杖をつき一息入れてから本題に入った。


「さて……まずアトよ、遠路はるばる苦労かけた。早速だが仕事の話だ。ちょいと宮女に紛れて第五皇子殿下の護衛を頼みたい。」


 アトは眉をひそめた。


「……皇子様の? 衛官(※3)がいるじゃないですか。」

 

 その瞬間猛騎の表情が一瞬強ばった。


「………………。 色々あって、衛官をつけられないんだ。」


 アトはこれを聞いて、牢で一緒になった樊の言ったことを思い出した。


 ″お上が揉めているに違いない。″


 まさか、自分の身にまで降りかかることがあろうとは……。

 アトは父を睨んだ。

 もし、そうなら千尋の谷どころか、底無しの谷である。と言うか、父がここまで厄介なことに首を突っ込んだことが理解できない。

 ラウは短くため息をつき言った。


「猛騎様の前で無礼であろう。」


「……………申し訳ありません。」


 アトはふてぶてしく詫びた。すると猛騎が


「―――――――――――。すまねぇ。」


 詫びた。

 暫くの沈黙の後重々しく。

 貴族出身の上級武官が賎民に、矜持だけで飯を食っているような輩が――。

 アトは吃驚仰天した。


「謝るなど! その……すみませんでした子供のような態度をとって。」


 アトは驚きのあまり最初は声をあげたが、なんだかいたたまれない気持ちになって、尻萎みに小声になった。しかし、次の猛騎の言葉を聞いてアトは激高した。

 猛騎はこう言った。


「いや、申し訳なく思っている。だが、他に頼めるヤツがいない。それに無用に民を傷つけないためなんだ。どうか解って欲しい。」

 

 ″無用に民を傷つけないため″だと?


 申し訳ないと言いながら……人を試した上に皇子様どうこう聞かされて断れないのに?


 アトは腹が立った。

 人が断れないのを知っておきながら、大義名分を突きつけて、さも自分が正義だと念押ししてくるこの言いぐさ……とてもじゃないが気に入らない! そこで……、


「なるほど。その皇子様はきっと、民想いの慈愛溢れる御仁なのですね。その皇子様のことですから、なのでしょう?」


 アトはわざわざ猛騎が怒るように、法外な金の要求を突きつけた。普通の神経した貴族の坊っちゃんなら、ここで侮辱したと盛大に怒る。あわよくばそのまま断れる。


「アト!! 馬鹿者!」


 ラウは当然直ぐアトを嗜めたが、アトは知らん顔である。アトは父にも腹を立てているのだ。


 目先の大金につられて、安請け合いするなんて情けない!


 それに銀錠二つなんて、そこそこの官吏ですら一度に貰ったことのない給料だろうに、まるまんま渡す気なんてあるわけがない。そもそもあの金は、私が信用に足るか確かめるための試金石だったのだろうし……。


 何より、その場限りの金で、命をやるほど皇子様におよろしくされた覚えもない!

 父上の立場も知ったことではないわっ!


 手が飛んでくるか足が出るか、アトは浴びせられるであろう怒号を待ち受け身構えた。

 が、


「なかなかしっかりしてるじゃねぇか。そんじゃちょっくら色付けてやる。そうだな……五つで話つけねぇか?」


 アトは面喰らった。てっきり図に乗るなと怒るものだと思っていたのに……猛騎は感心したように顎髭をさすってる。


「銀……ですか?」


 アトは思わず聞いてしまった。


「おや? 不足かね?」


「いっいいえ! でも……。」


 アトは猛騎を恐る恐る見つめた。

 ふっかけておいて言うのもだが、下賎の小娘に銀錠五つもの大金を積むなど、異常だ。理由を訊ねるのも怖いが、非常に気になる。アトがもじもじしながら猛騎を見ていると。


「……大金の訳を知りたいか?」


 猛騎はアトに訊ねてきた。

 アトはビクッとした。でも……


「聞いてもいいんですか?」


「猛騎様!! アト! そなた控えよ!!」


 ラウは猛騎を止めアトを睨み付けた。しかし、


「全部は言えないがな。」


 ラウは頭を抱えた。


「これはウソが下手ですぞ。要らぬ口を叩くやも知れませぬ!」


 すると黄豪逸は笑って言った。


「フッ……。そんときはそんときだ。俺は使うと決めた以上信用する。」


 仕方がない――……。


 ラウは決心して深く頭を垂れ言った。


「承知いたしました。なればアトは今日より猛騎様に差し上げましょう。存分にお使いくだされ。」


 ここまで言うなら、猛騎も引くだろうとラウは思ったのだ。そして、猛騎も少々軽率であったかと、口を開きかけたその時、猛騎はアトをチラッと見た。

 父親からいきなり身売りの話を聞かされたと言うのに、アトは眉1つ動かさない。


 ヒン族――――。

 その昔、差し向けられた五百人隊を女年寄り子供だけで蹴散らしたと伝えられ、武侠最強と名高い。


 アトはその族長の娘。気丈なのか――?


「アト……。」


「はい?」


 アトは猛騎を見上げた。

 猛騎はアトを見下ろした。

 彼の目に映るのは、まだ幼さの残る顔に華奢な小さい体、見た目は普通の十七歳の娘である。それを認めた時、猛騎にはひどく罪悪感がこみ上げた。

 勝手な都合で巻き込んでおいて″気丈なのか?″などと、十七歳の少女を巻き込んだことへの罪悪感を和らげようと、一瞬でもしてしまったのだ。


 彼女の人生を変えてしまうというのに……!

 だが、猛騎には他の選択がない。


「できる限りのことはする。今は……それしか言えない。不甲斐ない俺が――……すまん。」


 猛騎は苦虫を噛んだように、顔を歪ませ拳をギュッと結んだ。


 猛騎のその様子を見てアトは思った。


 なんと……憐れなほどにお人好しか!


 辺境の田舎から来た小娘一人の扱いで、こうも重く責任を感じるとは……。

 アトは改まって父に向き直った。


「申し訳ありません。この身を粗末に扱う愚か者のことは、今日をもってお忘れくださいませ。どうぞ、お体をお大事に。」


 アトは深く身を倒した。

 アトはこのお人好しを気に入ってしまったのだ。彼女が一旦決めてしまったことを、違えることがないのは、父であるラウが誰より知っている。

 ラウは諦めたように小さくため息ついて呟いた。


「愚か者。」


 ラウは席を立ち猛騎に供手して言った。


「もうわたくしめは部外者でございますゆえ、下がらせていただきとうございます。」


 猛騎は面食らったように目を丸くしたが、アトの揺るぎない眼光と、ラウの真直ぐな目を見てその覚悟を思い知った。


「あい、解った。」


 猛騎にはそれ以上言うことができなかった。

 下男にラウを送らせた。アトも一緒に門の前までついて行ったが、父は無言のまま村へ帰って行った。

 アトは父の背を送りながら


「父上……。」


 と呟いた。これが父と呼ぶ最後となった。

 アトが猛騎のところに戻ると、猛騎は心配そうに言った。


「俺が言うのもナンだが……アトお前、本当に良かったのか?今ならまだ…。」


 アトは呆れた。武人だと言うのにお人好しを通り越してケツの穴が小さい。


「一度決めたことを引っ込めろと?」


 アトがにじりよると猛騎はたじろいだ。


「だってお前、嫁入り前の娘なんだら――。」


 この男……その娘に不意打ちかけたこと忘れているな?


「嫁入り前の娘とわかって、命を懸けろと仰せでしょ? 今さら女扱いされましても……、わたしはあなた様を主人と決めたのです! しっかりなさってください!!」


 アトに一括されると猛騎はククッと笑った。


「こいつぁ参ったな。女にしとくにゃ勿体もったいねぇってもんだ! こんなに肝が据わられちゃ主人の俺が形無しだい! 良いだろう。しっかりついて来い! はぐれたらそれまでだ!」


「御意。」


 アトは供手して応えた。

 猛騎はアトを従え部屋に戻ると、話し始めた。


「さて……、護衛の件だが、衛官をつけられないと言ったろう? まぁ、後宮に入れば噂で耳にすることだが、一応話しておこう。断っておくが外でベラベラ喋るなよ?」


 アトはうなずいた。


「第三皇子側から謀反の嫌疑をかけられてな。付けられる衛官は息のかかった者ばかり、おおっぴらに護衛をつけられない状態になっちまった。それでお前だ。その腕なら護れるだろう。しかもお前、女だ。相手側から気取られん。」


「そんな理由で?」


 口をついてつい本音がこぼれた。言った後でアトはハッとして口を覆った。


「申し訳ございません!」


 猛騎は頭を抱えた。


「馬鹿! 宮廷でそんな口絶対叩くなよ!!」


「あ……はい。すみません。あの……。でも、父はどうして?」


 アトがそう訊ねると、猛騎はなぜ彼女が納得してなかったのか合点がいった。


「そうか。お前の村は自治であったな。一般の民以上に、国事などお前達には無縁なことだったか。……そうだなぁ。」


 猛騎は少し困ったように顎髭をさすり続ける。


「第三皇子の母君であられる盧貴妃が、と言うより……実家の盧氏が玉座を簒奪しようと企てている。」


「は…はぁ。」


 アトは随分と間抜けな返事をした。事が大きすぎて正直他人事にしか思えない。もっと言えば、誰が皇帝になろうが知ったことではない。

 このアトの関心が薄そうな態度に、まぁ庶民なんてそんなものだと心得ている猛騎は、目をつぶり話を進めすことにした。(もちろん、後宮に入ってからこの態度では困るのだが……)


「でだ。奴らにとって、肝要なのはいかに軍を掌握するか……。手っ取り早い方法として戦だ。」


「えーと……第三皇子と第五皇子が?」


に考えればな。」


 黄豪逸の顔に一層の憂いが表れ、こう続けた。


「北の隣国″玄″とわざわざ。そして、負けた責任は皇族筋の将軍や※大司馬に負わせ、第三皇子には″玄″との講和を功績として収めさせ、玉座に据え講和の手土産に領土の一部を渡す。そうすれば第三皇子の母君の実家の盧家は、名実ともに皇族も政権も好き放題できるってわけだ。」


「……。戦ってそんな上手いこと終わらせられるのですか? 何と言うか……綱渡りのような。」


 アトも幼い頃戦を経験した事があるからこそ、大いに疑問を感じた。

 あの時、三年続いて人も田畑もボロボロになった。散り散りになった馴染みもいるし、母も飢えに耐え兼ね亡くなったのだ。


 下手をしたら国は滅ぼされてしまう。なぜそんな危ないことを?


 アトは不思議でたまらない。その疑問に猛騎はこう答えた。


「あぁ。それはなあっちも今、次期皇帝争いで忙しいからだ。でも、次期皇帝が即位すればまた戦だろう。奴らにとって洸国をとることは長年の悲願だからな。しかし、盧氏にとってはそれすら好都合なのだ。」


 アトはそれを聞いてゾッとした。


「好都合ですって……!? どうして!? 田畑が荒れて人夫も減って土地を耕せなくなります! そうなったら……。」


 その間、長雨や旱魃かんばつに遭わないとも限らないのだ。備えなど出来ようはずもないのに!! もし……そうなったら?

 前回の戦どころでない惨事となるのは間違いない。

 すると猛騎はハッと嘲笑って言った。


「そうだ。そうして戦を大義名分に、堂々と民を搾取し続けられる。それに異を唱えるならば、国賊として処罰し放題だ。今より強力な支配体制を整えられる。その上で、お前の村のような自治を許すことはあり得ない。強制的な廃村、恭順を示すためキツい要求を飲まされることもあり得よう。」


 アトにとっては寝耳に水であった。


「それは……どういうことですか!? 父は何も……。」


「あぁ……。それは村の皆を動揺させるわけにはいかんとのことだ。」


「………。そうですか。」


 アトは力なく返事をした。ここまで深刻な事態が起こっていようとは、想像だにしないことだった。


「アトよ……。」


「貴族もロクでもないねぇが、人でなしってのはもっといけねぇ。何としても食い止めるのだ。」


「御意。」


 アトが供手した隙間から見た猛騎の目は、剣のようにギラついた。

 猛騎のそれは、怒りの表れなのだろうか? アトにはそう感じた。



―――――――――――――――――――――――――――――――

 ※1:表門入って直ぐに設置される目隠しのための壁。

 ※2:上下が繋がっていて一枚で着れる服。帯を用いて服を締める。

 ※3:宮廷内の警備をする兵士。

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